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vol.696-1(2016年11月17日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ83―復興五輪

 1ヵ月ほど前の10月初旬、リオオリ・パラのメダリストが東京・銀座で凱旋パレードをした。沿道に集まった約80万人の観衆にメダリストたちは手を振り、4年後の東京オリ・パラに向けて飛躍を誓ったという。
 私はその様子を私はテレビニュースで観た。その日の夜、福島の知人から電話がかかってきた。
 「メダリストの凱旋パレードをやるのはいいよ。しかし、4年後の東京オリンピック・パラリンピック開催に復興五輪≠掲げているんなら、たとえば被災地の岩手・宮城・福島の県庁所在地で分散してパレードをやってもいいんじゃないか。そうすれば俺たち被災者は喜ぶけどね・・・」
 そう訴えてきた。その通りだが、私にも今回の凱旋パレードは納得できなかった。何故に金・銀・銅のメダリストだけしか参加できないパレードだったのか。たしかにメダリストは英雄であり、多くの人は見たいだろうが、できれば出場者全員に拍手を送りたい。それが無理なら、少なくともメダルに手の届かなかった入賞者にもパレード参加を呼びかけるべきではないのか。メダリストに入賞者を加えれば200名近くになる。
 そして、さらに被災地の岩手・宮城・福島出身のオリンピック出場者にパレード参加を呼びかければ、知人が訴えるように3県に分散しても凱旋パレードはできたはずだ。
 要するに主催した文科省もスポーツ庁も何も考えていないのだろう。4年後の20年東京オリ・パラ開催に向かって盛り上げることだけに躍起となり、復興五輪であることを忘れているのだ・・・。

 今年1月の寒い日だった。私は連載する月刊誌『体育科教育』(大修館書店刊)の取材で、福島市在住の福島県立橘高校保健体育教師の山下訓史さんに会った。現役時代の山下さんは、陸上競技三段跳の第一人者であり、ソウルとバルセロナのオリンピックに出場している。86年の日本陸上競技大会では17b15の日本記録を樹立し、30年経った今も破られていない。
 福島陸上競技協会競技部長でもある山下さんは、3・11を振り返った。
 「あの日、5年前は伊達市の梁川高校に赴任していてね。午後はグラウンドで部活をしていて、もう異常な揺れ方だったが、問題は翌日の原発事故ですよ。福島第1原発から北西方向に放射能が拡散し、伊達市はもろに汚染された。グラウンドの放射線量を測ったら、毎時9・9マイクロシーベルトでした。もう驚いてね、すぐに『除染してくれ!』と県に訴えたら10マイクロシーベルト以上でないと除染できないと・・・。基準値は0・23マイクロシーベルトなのにね。シーズンイン直前だったため、選手は可哀相でした・・・」
 山下さんは視線を宙に浮かしつつ続けて語った。
 「ぼくの場合、長男の航平は橘高に在学中で、三段跳の練習ができないために線量の低い県営あづま陸上競技場に連れてって、練習させたけどね。周囲は『練習している場合か』と見ているようで厭だった。でも、当時の航平は全国高校合宿に選ばれていて、3月下旬に三重県で行われる合宿に参加しなければならない。もう東北新幹線は運休していてね。車で行くほかない。ところが、顧問の部長や監督は選手を車に乗せて県外に出ることはできないという規則がある。そこで父親のぼくが車に乗せて三重県まで行った。いろんなことがあったよねえ・・・」
 あれから5年。息子の航平君は筑波大に入学し、4年生となった今年5月、三段跳の参加標準記録の16メートル85をクリアし、リオオリンピック出場を果たした。
 山下さんと会った場所は、福島市の信夫ヶ丘陸上競技場。午後6時過ぎの気温は2度で、橘高陸上部の選手たちが吐く息は白い。選手らに熱い視線を送りつつ、山下さんは言った。
 「やっぱり、5年前を思いだすと辛いです。津波と地震の自然災害だけならともかく、福島の場合は原発事故で放射能問題も抱えているしね。ぼくは4年後の東京オリンピック開催はいいと思う。でも、復興五輪≠ニいうのは何かおかしい。無理に復興という言葉を使っている感じでね・・・」
 山下さんの言葉に、私は頷いた。

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