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vol.677-1(2016年5月12日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−29
  これでいいのか ユース五輪

 ユースオリンピック(YOG)をどう考えるべきだろうか。どんな形で行われるのが望ましいのか。既に夏季、冬季とも2回の大会が開かれているが、スポーツ界としても、そして一般のスポーツファンにとっても、いまだにあいまいさを含んだままのように思える。
 年若いアスリート、ジュニア層の選手たちにオリンピックやスポーツ全般の基本的な精神を学んでもらい、あわせて異なる文化や世界中のさまざまな人々との出会いを通して人間的な成長のきっかけをつくっていく。IOCがYOGを創設した意味とはそういうことだろう。これは十分に理解できるし、意義ある試みと言っていい。ただ、実際のところはどうなっているのか。その意義をしっかり生かせる舞台となっているのだろうか。
 競技だけでなく、選手向けの文化・教育プログラムが一方の柱となっているのがYOGの大きな特長だ。ことし2月に開かれたYOGのリレハンメル冬季大会からは「Learn&Shere」(学びと共有、L&S)という名称となり、オリンピズムや自己開発の方法、フェアプレイ、ロールモデルとしての役割などについて、さまざまな形で話を聞いたり体験したりする活動が多岐にわたって設けられている。よく取り上げられる「チャンピオンとの対話」では、講師となる世界のトップアスリートから直接に話を聞くことができる。そのほか、夏季ならバスケットボール、冬季ではアイスホッケーで、試合ではなく個々の技術を競う「スキルチャレンジ」という種目があったり、国籍を超えた混成チームが結成されたりといったところも、YOGならではの工夫と言えるだろう。
 ただし、ユース「オリンピック」と銘打てば、関係者の関心はどうしても競技そのものに、ことにメダル争いへと傾きがちになる。ジュニアのレベルが高い競技ではなおさらだ。たとえば日本の選手は、言葉の壁もあって、あまりL&Sのような活動に積極的でなく、競技のみに集中する傾向があるとも伝え聞く。せっかくの「一方の柱」が十分に生かされているとは言いがたいのではないか。
 大会の開催そのものにもかなりのカネがかかっているようで、その点もYOGにふさわしいのかどうか、疑問が残る。大会の本旨を考えれば、豪華で華やかな大会にする必要などない。また、「なぜテレビ中継がないのか」などという声がしばしば聞かれるのも、そうした延長線上にあるように思える。これは、現在のオリンピック的な方向を目指すべきものではない。若者たちの学びの場、交流の舞台なのである。そこに豪華な施設や華やかな運営、派手なテレビ中継などを持ち込めば、本来の趣旨がどんどん薄まっていくだろう。YOGを小型オリンピックにしてはならない。
 カネをかけず、できるだけ質素な大会にする。世界のどこの国からも参加しやすい枠組みをつくる。言葉の壁があっても、学びや交流の実が挙がるような形をつくり上げていく。そして、参加した若者たちが、身につけたことをそれぞれの国に帰って生かせるような方策を考える。YOGはそうあるべきだし、IOCが目指すべき方向はそれ以外にない。
 巨大ビジネスの場として巨額のカネが動く舞台となり、本来の精神などどこかへ消し飛んでいるようにさえ思える、現在のオリンピック。そうした極端な方向性を若い世代から見直し、考え直していく。そんな役割もYOGにはあるのではないか。それを小型オリンピックにしてしまっては、まさしく何の意味もない。

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