スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ

vol.682-1(2016年7月28日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−34
  これはかつてない危機だ

 これはもう、一から出直すしかないと思わずにはいられない。ロシアのドーピング不正はそれほど深刻なものだ。なのに、IOCはその危機に真正面から向き合おうとしていないように見える。
 世界反ドーピング機関(WADA)の調査報告はなんとも衝撃的だった。スポーツ省が主導し、治安機関も加わって組織的なドーピング隠蔽を行っていたという報告は、きわめて具体的な内容も含んでおり、生々しくその実態を暴き出している。政治的にもスポーツの面でも巨大な存在であるロシアに関して、強力な権力基盤を持たないWADAがあえてリオ五輪からの選手団の全面除外を勧告したのは、そうせざるを得ないだけの深い闇がそこにあり、かつそれを裏付ける確証を握っているからだろう。アンチドーピングに責任を持つ機関として、それ以外にとるべき道はないと判断したに違いない。
 これまでオリンピックは何度も深刻な危機を迎えてきた。1976年のモントリオールが財政破綻した後は大会消滅さえささやかれ、80年のモスクワ、84年のロサンゼルスでは東西のボイコットがオリンピックの屋台骨を揺るがした。近年ではビジネス優先の姿勢からカネのかかりすぎる大会となり、大会招致候補都市の辞退などが相次ぐ状況ともなっている。ただ、これらは財政や政治、または行き過ぎた商業主義の問題であり、オリンピックの中心にあるもの、言ってみれば「本質」に直結してはいないと言えなくもない。本質とはすなわち「スポーツ大会」ということだ。
 今回の不正は、スポーツそのもの、競技そのものにかかわっている。どんなに巨大になろうと、どれほど豪華に飾り立てようと、ビッグビジネスの舞台になろうとも、競技大会という中核がなければオリンピックは成り立たない。世界最高峰、至高のスポーツ大会という本質があるからこそ、これだけ大きな存在にもなったのである。その競技が組織的、国家的な不正でゆがめられているとなれば、本当に世界最高の競技を楽しもうとするスポーツファンは深く失望し、見向きもしなくなるだろう。そうなればビジネスも何もあったものではない。それを考えれば、今回の危機は、かつての財政危機や政治にからむ危機よりもずっとずっと深刻とも言わねばならないのだ。
 以前にも、旧東ドイツに象徴される国ぐるみの薬物不正があった。ただ、それは東西冷戦と独裁体制という異常な状況下だからこそのものだった。21世紀のいま、しかもこれだけ薬物追放が叫ばれている中で、世界有数の大国が国家ぐるみの不正を行ったという今回の問題は、まさしくスポーツの、オリンピック競技の魅力そのものをおとしめ、踏みにじるものだ。世界中のスポーツファン、オリンピックファンの怒りと失望がどれほど大きいかは考えるまでもない。オリンピックをオリンピックたらしめているものに、あってはならない汚れが大きな顔をして入り込んでいたのを、世界中が知ってしまったのである。地に落ちた信頼を取り戻すのは容易なことではない。
 なのに、IOCは「ロシアの全面除外を」というWADAの勧告を受け入れず、いくつかの条件を示したうえで、それぞれの国際競技団体に出場可否の判断を委ねた。条件はつけたものの、ロシアとしての出場を認め、さらに最終判断は競技団体に任せてしまったのである。これに対し「丸投げ」「逃げ腰」と批判が集中したのは当然のことだろう。
 この判断は「クリーンな選手に連帯責任を負わせるわけにはいかない」「個々の選手の権利を守らねばならない」などの理由によるとされる。確かにそれは正論のひとつではある。だが、今回の問題はそういった建前を論じるような段階をはるかに超えているのではないか。スポーツそのものを、オリンピックそのものを破壊するような行為があったのではないか。そんな時にありきたりの建前などを聞かされても、なんの説得力もない。
 ここでIOCが示すべきだったのは「姿勢」なのである。これを未曾有の危機と認め、その原因になったことを断固として許さないという強い姿勢を見せなければならなかった。そのためには、WADAの勧告通りの結論しかなかったように思う。曖昧で中途半端な措置は、大国との摩擦を恐れて妥協をはかったようにも受け取れる。ロシアという国を、あるいはロシアのスポーツ界を非難せよというのではない。そこにあった事実はけっして認めるわけにはいかないという明確な姿勢さえ示せば、それでよかったのではないか。なのにIOCは、最低限の毅然たる姿勢さえ示すことができなかった。
 本当にクリーンな選手まで巻き添えにする必要はない。IOCが提示した条件をクリアできた選手は、ロシア代表ではなく、個人参加でリオに出場できるようにすればいいだけの話だ。それなら、今回明らかになったような不正を絶対に許さないという姿勢とも矛盾しなかったはずである。
 いずれにしろ、今回の対応でIOCには大きな疑問符がついた。信頼失墜の回復は簡単ではない。というより、多くのスポーツファンが、IOCもオリンピックも信用できないという思いを抱いてしまったのではないか。
 どうすべきかといえば、最初に書いたように、一から出直す姿勢を見せるしかない。薬物不正はけっして許さないのだという姿勢を、より厳しい、具体的な形で示していくしかない。そのためには大国との摩擦も、ビジネス面でのマイナスも、あえて受け入れるしかないだろう。とはいえ、今回のように安易な妥協をしているようでは、それも期待できまい。いまのIOCはそういう組織なのである。ファンのオリンピック離れを食い止めたいのなら、何をすべきか、どんな姿勢を示さねばならないのかをあらためて考え直すとともに、自らの体質をも変えていく覚悟を決めるほかはない。

筆者プロフィール
佐藤氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
ページトップへ
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件