6年目の「3・11」を迎えた。だが、とくに原発禍の街の状況はなんら変わらない。
2月中旬、南相馬市の鹿島カントリー倶楽部を訪ねた。福島第1原発から半径30キロ圏内の地には13ヵ所のゴルフ場があったが、次つぎと閉鎖・休業に追い込まれた。高線量の放射能で汚染されたからだ。
唯一、仮オープンの形で営業している鹿島カントリー倶楽部の場合は、かつては年間約4万人の来場者数を誇っていたものの、3・11後は1万人台に減少。ようやく昨年度は2万人台に達した。もちろん、原発事故直後から東電相手に裁判中だ。
「東電関係者がやってきて線量を測ったら、基準値(毎時0・23マイクロシーベルト)を大きく上回っていた。ところが、『人体に影響はない』『1日24時間ゴルフはしないでしょう』という。だから、『じゃあ、それを文書にしてくれ』と迫ると『それはできない』とね。来場者が減っていることに関しては『営業努力が足りない』と・・・。完全に東電は我々をバカにしている・・・」
顔馴染みの支配人のFさんはそういって続けた。
「この6年間、何度も『復興って何だろう?』と自問自答した。学校や病院、老人ホームなどの施設が整ってね。避難先から住民が戻り、地域のコミュニティが以前のように復活してね。『たまにはゴルフでもしょうか』と。それが復活じゃないですか。復興オリンピック? そんなことは被災地のことを考えない東京の人間が口にしているだけだね・・・」
そして、こうもいった。
「うちのゴルフ場には日本最古の西洋芝の東京ベント≠ェある。うちに移植されてからは相馬ベント≠ニいう名に変えましたけどね・・・」
東京ベントとは、88年前の1929年に東京ゴルフクラブで発見された日本最古の西洋芝。1996年春、育ての親である相馬家31代当主の相馬孟胤ゆかりの地の福島県相馬市の天明カントリークラブに移植されていた。ところが、天明カントリー倶楽部は原発事故でクローズ。その後の行方が案じられたが、相馬ベントと名を変え、同じ旧領地の鹿島カントリー倶楽部で根づいていたのだ。Fさんが続けて語る。
「ま、相馬ベントの移植を記念し、33代当主の相馬和胤さん主催のコンペ九星会≠毎年開催している。九星は相馬家の家紋で、相馬ベントの隣に植樹した相興の樹・九星≠フ前で参加者全員が手を合わせ、一刻も早い復興を願っている・・・。それなのに、たとえばですよ。最近は3年後の東京オリンピックのゴルフ会場が問題になっている。霞ヶ関カントリー倶楽部がどうしたこうしたと。テレビニュースを観るたびに『何やってんだ!』と、怒りましたよ。だったら会場をうちの鹿島カントリー倶楽部にすればいいんじゃないかと。世界で唯一、原発禍のゴルフ場で頑張っているのはうちだけで、それも復興オリンピック≠掲げているんならなおさらですよ。なんなら立候補しますよ」
東京オリンピック・パラリンピック組織委員会に対する諧謔とも皮肉とも思われるが、Fさんの言葉は被災者の思いを代弁しているといってよい。
ちなみに鹿島カントリー倶楽部は1976年に開場して以来、福島県のゴルフシーンをリードしてきた。いち早くジュニア育成に着目。「ゴルフは金持ちの子どもだけのものではない。一般の子どももプレーできる環境づくりが急務」とし、小学校から高校までジュニアのプレー料金無料化を実施。さらにジュニアの大会を開催してきた。
「でもね、地震と津波だけでなく、放射能をばらまかれてはね。ゴルフどころじゃない。多くのジュニアは家族とともに県内や県外に避難した。再び大会を開けるのはいつのことやら見通しがつかない・・・」
6年前の夏、Fさんはそういって天を仰いでいた。その状況は今も変わらない。
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