4月28日午後、私はJR大宮駅から各駅停車の電車で福島に向かった。たまには鈍行での旅もいいもんだ。栃木県の宇都宮と黒磯で乗り換え、豊原を過ぎると福島県の白河市に入る。
白河以北は一山百文―。
明治維新当時、新政府はそう表現して東北をバカにしていたが、それは100年以上経っても未だに変わらない。辞任した前復興相の今村雅弘が「(東日本大震災の発生は)まだ東北だったからよかった」のトンデモ発言でも明らかだ。その2週間前の3月11日にも同じようなことがあった。政府主催の追悼式で安倍晋三首相は式辞で原発事故≠フ言葉を1回も発しなかった。これも被災者をバカにした言動ではないか。
そんなことを考えていたら須賀川駅に着いた。車窓から向かい側のホームを見ると《須賀川市は、М78星雲 光の国と姉妹都市になりました》と、そう書かれた大きな看板が掲げられていた。不思議顔で眺めていると、前の座席の女子高生が教えてくれた。
「ウルトラマンの生みの親の円谷(英二)監督は須賀川出身なんです。だから、ウルトラマンの故郷のМ78星雲 光の国≠ニは姉妹都市なんです・・・」
私は頷き、ついでに聞いてみた。
「ツブラヤコウキチっていう人、知ってる?」
そう尋ねると、女子高生は微笑んでいった。
「もう有名ですよ。須賀川出身のマラソン選手で、東京オリンピックでは銅メダルを獲っていますから。須賀川には円谷幸吉記念館があります・・・」
この言葉に私は何故か嬉しくなり、再び頷いた。
その日の夜、郡山で下車した私は居酒屋Тに急いだ。マスターのIさんと知り合ったのは6年前の3・11の年で、それ以来、郡山に取材で行くたびに原発関係の情報を伝えてくれる。ときには私を車に同乗させて現場まで案内する。Iさんは語った。
「6年経っても8万人近くが県内外に避難してる。仮設住宅でお年寄りが孤独死したっていうニュースもある。国は何をしているんでしょうか。復興オリンピック≠ヌころではないですよ・・・」
Iさんの話を聞きつつ、私は筍を肴に美味しい地酒を呑んだ。
翌29日、好天に恵まれた昭和の日。私は開成山陸上競技場で開催される「郡山シティマラソン大会」を取材した。
全国各地の自治体は独自のマラソン大会を主催し、多くの市民が楽しんでいる。だが、速さを競う大会のためだろう。競技用の車いすの部はあっても、「生活用車いすの部」は設けられているマラソン大会はほとんどないといってよい。
ところが、今年で24回目を迎えた郡山シティマラソン大会には生活用車いすの部があり、毎年10名前後の障がい者が参加。観衆の声援に応え、全身で風を切り、公道を走っている。
今年1月、私は会津若松市在住のSさんに会った。26歳の彼女は幼い頃に脊髄と頭部に障がいが見つかり、さらに中学3年のときに視力を失った。しかし、小学4年のときから毎年郡山シティマラソンにエントリー。生活用車いすで走っているのだ。
そのSさんたち障がい者が走る姿を見るため、私は郡山に行ったのだ。午前9時15分、12人の生活用車いすに乗った参加者はスタートした。
「ガンバーレ、ガンバーレッ!」
観客席から声援が聞こえる。競技場から公道に出たSさんを始めとした12人の生活用車いすの選手の後を追いながら、私はZARDの『負けないで』を口ずさんだ。1月に初めて取材した際、Sさんがキーボードに向かって私に弾いてくれた曲だ。
♪負けないで もう少し 最後まで走り抜けて・・・
この日のSさんは1・5キロの距離を12分24秒で走り、3位でゴールした。ちなみにこの日の開成山陸上競技場内のモニタリングポストの線量計は毎時0・104マイクロシーベルトを計測していた。
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