スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ

vol.741-1(2018年1月12日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−72
 「前代未聞の事件」の背景は?

   オリンピックをめぐって、なんとも気の滅入るような出来事が起きた。カヌー・スプリントの有力選手が若いライバルのドリンクに禁止薬物を混入した事件は、オリンピック大会を取り巻く環境のゆがみ、ひずみがひとつの形として出てきたもののようにも思える。
 薬物使用に関しては、スポーツが盛んな国の中でも際立ったクリーンさを保ってきた日本。それだけにこの出来事は衝撃的だった。薬物を自分で使うのではなく、ライバルを陥れるために使ったという特異性がいっそうショックを大きくしている。日本のスポーツ界ではまさしく前代未聞であり、すべてのスポーツ関係者はただただ驚愕しているに違いない。
 救いは、薬物を入れた加害選手が自ら混入を打ち明け、被害選手の資格停止処分が取り消されたことだ。常軌を逸した行動に走ってしまったものの、最後にはなんとか競技者の、スポーツ人としての正気を取り戻したということだろう。その告白がなければ、なんの落ち度もない選手が汚名を着せられたままになったかもしれない。また、被害選手の謙虚で丁寧な対応も、やりきれない失望の思いが満ちる中で、一服の清涼剤とはなったように思う。
 もちろん加害選手の責任ははかりしれないほど大きい。最後には自ら告白したものの、日本のクリーンなイメージを壊したうえ、選手間に相互不信が植えつけられるような状況をつくり出してしまったのだ。この傷はそう簡単には癒えないだろう。
 ただ、当該選手の責任の一方では、こうした面も考えておかねばならない。真面目に練習に取り組み、後輩の信頼も厚かったという競技者は、なんでこんな行動に走ったのか。いま、スポーツを取り巻く環境そのものに、どこかでとんでもない行動につながりかねないような要因があったのではないか。その点はあらためて検証しておく必要がある。
 ひとつ思い当たるのは、近年、メディアがオリンピック、またオリンピック出場を過剰にもてはやすようになっていることだ。人気競技であれ、ふだんはあまり注目されない競技であれ、オリンピック代表となると、ドラマ仕立てでにわかスターに祭り上げられるケースが多いのである。家族や関係者までがスター扱いされることも少なくない。選手側、競技団体側もそれを歓迎しているように見える。そのあたりに考えておくべき点はないか。
 選手や競技に注目が集まるのはむろん悪いことではない。が、過剰にオリンピックだけを特別扱いするのはどうなのか。それも、競技の真髄や魅力、また競技者としての真の姿を描き出すわけではなく、ただ「オリンピック」という記号を旗印にして、中身に乏しいお祭り騒ぎが繰り広げられているのである。それがスポーツ界にとって大きなプラスになるかといえば、そうとばかりは言えまい。
 薬物混入の動機について、加害選手は「どうしてもオリンピックに出たかった」という趣旨のことを語っているという。長く日本のトップレベルで活躍してきた実績と努力は、それだけでも十分評価に値すると思うのだが、本人はそう思わず、これまでの足跡を無にするリスクを冒してでもオリンピック出場を手に入れたかったのだろう。オリンピックだけを特別扱いして代表選手を誰彼なくスターに祭り上げる風潮が、そうしたゆがんだ考えを後押ししたことはなかっただろうか。多くの信頼を集めていた選手が極端な行動に至るまでの心の動きがどうだったのかはなんとも推量しにくいが、それでもなお、これはオリンピックをめぐるゆがみやひずみを、ある側面で象徴するような出来事ではないのかと思えてならない。
 トップ競技者の多くは、名声やカネだけではなく、ひたすら努力して自分を向上させる純粋な喜びを競技への原動力としているはずだ。ただ、世の中の風潮に染まり、それに動かされてしまう選手も少なくはないだろう。オリンピック出場やメダル獲得ばかりがもてはやされる時代の中で、選手たちの意識はどう変わっていくのだろうか。万一、競技者としての誇りや純粋さがしだいに失われていくようなら、今回のような、まるで想像もできないような出来事が、再び繰り返されるだろうと思う。

筆者プロフィール
佐藤氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
ページトップへ
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件