平昌大会を見ていて、あらためて思うことがある。心あるスポーツファンの多くは同じように感じているのではないか。冬季オリンピックの会期は長すぎる。「夏と同じ」は、このあたりで考え直すべきだろう。
開会式も入れて17日間というのは夏季大会と同じだ。一方、競技・種目数が夏とまったく違うのは言うまでもない。一昨年のリオデジャネイロ夏季大会は28競技、306種目。対して、今回の平昌は7競技、102種目となっている。悪天候での順延リスクがあり、選手の移動にも時間がかかりがちな冬季大会ではあるが、それにしても三分の一の種目数で同じ会期というのは、いくらなんでも長すぎはしないか。
冬季大会の場合は、当然ながら競技数にさほどの変動はない。最初は4競技で、そこにリュージュやバイアスロンが加わってきた。で、会期はどれくらいだったかというと、1924年の第1回シャモニー・モンブラン大会は12日間。以来、第二次大戦をはさんで、84年の第14回サラエボ大会までは12日間が大半で、中に10日間、11日間の場合もあるという形だった。それが夏と同じになったのは88年カルガリー大会からだ。ここで16日間になり、2002年のソルトレークシティー大会からは17日間となった。なぜかといえば、それはやはり1984年ロサンゼルス夏季大会の成功があったからに違いない。
1976年モントリオール大会の財政破綻によって存続の危機に立たされたオリンピックは、民間資金を導入して財政立て直しを果たしたロスから劇的に変わった。オリンピック・ビジネスの確立と、それによる増収増益を目の当たりにしたIOCと国際スポーツ界は、「ならば冬季大会も」ともくろんで、ビジネス規模拡大のために会期を夏と同じにしたというわけだ。冬季スポーツ発展のためという大義名分もあったろうが、主たる狙いがビジネス面だったのは間違いないところだろう。
当初は「日程がスカスカ」の声がしきりに聞こえてきた。そこでIOCは競技増、種目増に躍起となった。カーリングを復活させ、スノーボードやフリースタイルスキーなどのXゲーム系競技を次々と取り入れてきた。これらはいわゆるテレビ向きの競技で、その点でも都合がよかったのだろう。さらにIOCは団体やリレー、男女混合などの種目を片端から採用して数を増やしてきた。その結果、1972年札幌で6競技35種目、88年カルガリーで6競技46種目、98年長野で7競技68種目だったのが一気に増え、2010年バンクーバーで86種目、14年ソチで98種目となり、この平昌でついに100種目を超えたのである。
とはいえ、夏に比べれば三分の一にすぎない。それに、新たに加えられたものは従来の伝統競技とは成り立ちが違っていて、競技としての成熟・充実や普及度が十分でないため、オリンピックの中ではやや違和感を覚えるところがないではない。つまりは、いささか無理に増やしているという観が拭えないのだ。そう考えてくると、やはり夏と同じ会期は長すぎるし、そうした中での矢継ぎ早の種目増には、木に竹を接いだような感じも残ってしまうのである。
加えて、いまは冬季大会の引き受け手がいなくなっているという状況もある。経費の膨張と、それによる市民・住民の反対が主な理由だ。会期が長ければそれだけ運営費用は増すし、新種目を増やせば競技場建設のコストもかかる。そうして開催地の負担が増す方向にあれば、手を挙げる都市はいっそう減るだろう。となれば、長すぎる会期の見直しは必須のように思える。
といって、IOCやスポンサー、テレビ局など主要な関係機関・団体には、会期短縮を検討する考えなどまるでないだろう。いったん規模を拡大すれば、しかもこれだけ大きな存在となれば、縮小だの短縮だのといった方向はタブーなのである。しかし、世界の主要国の経済状況をみてもわかるように、いまは何ごとについても大幅な成長や急角度の上昇など望めない時代なのだ。「大きいことはいいことだ」はとっくに時代遅れとなっている。もちろんオリンピックだとて例外にはなり得ない。ならば、会期の再見直しがあってしかるべきではないか。
コンパクトにすること、無駄を省くためにダウンサイジングすることは、価値を下げることとイコールではない。オリンピックの商業的な価値は既に定まっている。むしろ、無理に拡大路線を保とうとすれば、多くのひずみやゆがみが生まれ、必然的にオリンピックそのもののイメージを大きくそこなうことにもなるのだ。すべての面で「適性な形」に戻していくこと、それこそがいまオリンピックに求められているのである。
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