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vol.752-1(2018年5月31日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−83
 暴挙につながる底流

   これはなんとも衝撃的な出来事だった。オリンピック・パラリンピックに直接関係してはいないが、スポーツメディアにかかわる者として見過ごすわけにはいかない。アメリカンフットボールの試合で起きた日本大学選手による反則行為は、スポーツ界全体で直視しなければならない問題だと思う。
 既に膨大な報道で伝えられていることだが、あらためて要約しておけば、あの行為はタックルというようなものではなく、純然たる暴力だった。スポーツの範疇には到底入らない、相手選手がけがをするのを承知したうえでの暴力行為である。関東学生アメリカンフットボール連盟は、監督と担当コーチに除名処分を下し、この行為に対する指示・容認があったと認定した。傷害事件の捜査も行われるが、常識的にみれば刑事事件として立件できるように思われる。監督、コーチの教唆に対する判断がどのようになるかはわからないが、結果がどうなるにせよ、十分な捜査が尽くされることを望みたい。競技の場での、プレーを装った暴力に対してどのような司法判断が下されるかは、今後のスポーツ界にとって大きな意味を持つからだ。
 関東学連は、日大のアメリカンフットボール部については今季出場停止の処分とした。改革が行われれば処分解除もあるというが、それには賛成できない。部全体にも最大限の厳しいペナルティが課せられなければならないのではないか。多くの部員に直接の責任はないとはいえ、これだけの重大事件を引き起こしたチームがそのまま活動を続けていいかどうかは、およそ考える必要もないはずだ。
 さて、そこで考えるべきは、こんな前代未聞の暴挙が起きてしまった背景である。そこには、競技の世界に共通する底流、土壌があるのではないか。こうした行為につながりかねない風潮がどこかに隠れているのではないか。
 まず挙げておきたいのは、スポーツマンシップという言葉に象徴される基本的な姿勢が、競技の世界から少しずつ失われつつあるのではないかという懸念だ。スポーツマンシップとはいかにも古びた概念のように感じられるかもしれないが、その意味するところはどの時代でも変わらず重要だと思う。すなわち、勝利だけを求めるのではなく、常に自分を向上させてベストを尽くすという競技の本質を忘れずに振る舞い、試合の場では相手を尊重しつつフェアに戦ってスポーツの楽しさ、美しさを示す――ということである。スポーツをスポーツたらしめている規範をきちんと守ろうとする姿勢である。これはいくら時代や環境が変わろうと、何より大事なことではなかろうか。
 いつの時代でもスポーツマンシップに反する行動はあったに違いない。ただ、近年はその傾向、流れが目立つようになっているのが気にかかる。勝ちさえすれば、成績を挙げさえすれば、他に問題の行動、言動があってももてはやされ、人気も上がっていく風潮はその表れではないか。ルールの隙や裏を突くずる賢さをことさら称賛する傾向もある。礼を大事にするはずの武道ではこれ見よがしのガッツポーズが横行し、プロボクシングなどではののしり合いで対決をあおるような演出も見かける。テニスでトップ選手があたりをはばからずラケットをたたき壊すのは見苦しい限りだ。それらは間違いなく、暴力をはじめとする反スポーツ的行為につながっていくように思われる。
 今回の出来事につながる底流としては、このことも指摘しておきたい。まるで封建時代か軍隊ででもあるかのように、選手を強権で支配し、絶対服従させようとする指導者がいまだ少なくないという点だ。
 この欄でも書いているように、コーチが選手を自分の所有物のように扱おうとする風潮は依然として根強い。競技の主役はあくまで選手であり、コーチはその手助けをする役回りなのに、支配者然として振る舞い、選手を隷属させようとするのである。今回のケースはその典型だろう。発奮させるためと称して練習や試合から干すという汚い手を使い、日本代表を辞退するように強い、挙句に不正行為を犯さざるを得ないような状況に追い込んでいく――これではまるで、自分の権力を誇示するために選手をもてあそんでいるようなものではないか。選手の力を伸ばし、成長させるという本来の役割とは正反対のことをしていて、よく指導者を名乗っていられるものだ。
 プロと違い、学生スポーツでは勝ち負けよりもまず選手を育て、成長させることを第一に考えねばならないはずである。なのに、名門とか強豪とかいわれるところほど、勝負にこだわり、個々の選手をひとつのコマとしか考えない傾向が強いように思える。そこで、こういう指導者も出てくるというわけだ。となると、こうした出来事につながりかねない土壌は、いまも至るところにあると考えておかねばならないだろう。
 スポーツの世界での暴力は稀有ではない。残念なことに、試合の場でもしばしば起こっている。ただ、観衆や関係者が見守る中で、プレーを装ってあからさまな暴力が振るわれた例はあまり聞いたことがない。すべてのスポーツ人はこれを真摯に見つめるべきだ。そうしたことを生む底流は自分たちの身近にもあると認識すべきだ。これを極端な例として片づけておいては、いずれまた、思いもよらない出来事が降ってわくことになる。

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