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vol.758-1(2018年7月26日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−87
 マスコットが示していること

   2020年東京大会のマスコットは、どこか大会そのもののありようを象徴しているかのように思える。それなりに整った出来ではあるし、いろいろな工夫も盛り込まれているようだ。が、見る者の心に響いてくるものに乏しい。つまり、印象的に強く伝わってくるものがないのである。
 全国の小学生の投票によって、この2月に選ばれた二体のマスコット。7月にそれぞれの名前が決まり、正式デビューの運びとなった。これからは、さまざまなシーンで多くの人々が目にすることになる。いまのところ、まずまずの評価を得ているようで、さほどの批判も聞かない。滑り出しとしては悪くないというところだろう。
 ただ、強いインパクトを感じるものではない。さらに、どうしても既視感が拭えないという観もある。3案が示され、投票が行われている段階でもこの欄で書いたのだが、そのどれもがアニメやゲームのキャラクター風で、「どこかで見たような感じ・・・」なのだ。ことに、最終的に選ばれたものは、いかにもアニメキャラという雰囲気なのである。
 確かに日本はアニメ大国で、海外からも高い評価を得ている。しかし、だからといって、このように「いかにも」のつくりでいいのだろうか。日本の文化はアニメだけではない。もちろん、さまざまな考えやアイディアが凝縮されたものではあるだろうが、結果だけを見れば、いささか安易ではないのかという思いも出てきてしまう。少なくとも意外性はまったくない。奇をてらう必要はないが、これでは、見る者の心に響くインパクトは生まれない。
 前にも例に引いたが、1992年バルセロナ大会の「コビー」は、ピレネー犬を大胆にデフォルメしたデザインが当初は戸惑いを呼んだものの、しだいに評価が高まり、大会後も長く親しまれるものとなった。それは、スペインならではの文化、感覚が濃厚に込められていたからだろう。ひるがえって、東京のマスコットがどうかといえば、後々まで広く親しまれるものになるかどうかは疑問だ。むしろ、類似のアニメキャラの中に埋没しそうな心配もある。
 そしてもうひとつ、メッセージ性がないのも気にかかる。温故知新や超能力、いざという時のパワフルさなどが込められているとされるが、そうしたものを外見から見てとれるだろうか。これを大会のシンボルのひとつとする意味、意義が伝わってくるだろうか。いかにもありがちなアニメキャラからは、これぞ東京が示すメッセージだという主張、アピールが感じられない。
 歴代のマスコットにみなメッセージが込められていたわけではないし、必ずしも明確なメッセージがなければならないというものでもない。メッセージ性のあるマスコットが登場したのは近年のことだ。ただ、そうした流れには、それなりの理由があると思う。さまざまな側面で激動する世界。良くも悪くもスポーツの域を超えて巨大化したオリンピック。しかもそれは過剰なビジネス優先姿勢や肥大化で、思いもしなかった曲がり角に直面している――。そんな時代、かつてない時代だからこそ、近年の大会はマスコットに何らかのメッセージを込めてきたのだろう。となれば、この東京にもそうした姿勢が欲しかった。21世紀にふさわしい、まだ見ぬ将来へとつながるようなアピールを、マスコットでも表現して欲しかったと思うのである。
 このほど発表された名前にもあまりインパクトがない。「ミライトワ」と「ソメイティ」。前者は、未来と永遠を結びつけたもので、後者は、ソメイヨシノと「so mighty」からつくったというが、凝ったわりには響いてくるものに乏しいようだ。日本語にしろ、世界に通じる英語を使うにしろ、もっと簡潔で力強い名前にした方がよかったのではないか。国内、海外に広く発信するには、ちょっと中途半端な命名になったように思う。もともと強いメッセージ性を持たないからでもあろうが、命名ひとつでにわかに輝き出す可能性もあっただけに、いささか残念ではある。
 このように書いてくると、やはりこれらは大会全体にも相通ずるところがあるように思えてしまう。それなりに格好よく、スキのない出来栄えになっているマスコット。子どもにも受けるだろうし、ある意味、いまの日本社会を象徴するものにはなっているとも言えるだろう。あと2年と迫った大会そのものも、着実に準備が進んで、本番ではそつのない、かつ世界を驚かすハイテクを駆使した運営が行われるに違いない。暑さという大敵は控えているが、全体として破綻のない大会になるのは十分予想できる。
 しかし――。半世紀ぶりに満を持してオリンピックを開いた意味を多くの国民が共有できる大会になるだろうか。世界に新時代にふさわしいメッセージを発することができるだろうか。さすが東京といわれるだけの、新たなオリンピック像を示すことができるだろうか。残念ながら、そうしたものはまだほとんど見えてきていないように思える。
 そつなく、万全の態勢で大会を開くことはむろん大事だ。そうでなければオリンピックを開く資格はない。その点、東京にはほとんど心配はないと言える。ただ、せっかくこれだけの大イベントを開くのなら、そこに何かプラスアルファをつけ加えたい。2020年に東京で大会を開く意味を世界に示したい。なんにせよ、将来へとつながるメッセージをあとに残したい。開幕までもう2年を切ったが、関係者には最後まで、そのプラスアルファの模索を続けてもらいたいと思う。

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