スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ

vol.769-1(2018年11月30日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−96
 学術会議に依頼する意味とは?

   スポーツ庁が日本学術会議にスポーツに関する知見を求めたというニュースには、いささか首を傾げた。科学的エビデンスに基づいた政策を進めていくためとされているが、あらためて学術研究の場に意見や判断を求める意味は果たしてあるのだろうか。少なくとも今回の依頼テーマであれば、スポーツ人自らが考え、判断すればいいことのように思える。
 スポーツ庁が学術会議に検討を依頼した事項は4点ある。そのひとつを依頼書から引用してみよう。
 「従来のスポーツ界の伝統・慣習や独特の組織文化・精神文化等との関係も含め、スポーツに参画する者、関係業界が拡大・変化していく中で『スポーツの価値』をより高めていくための科学的知見の活用といったスポーツ界と科学との関係の在り方の検討」
 いやはや、書き写していて嫌になるほどの役所風悪文である。依頼文の前半部分も併せてなんとか「解読」してみると、学術会議に意見を求めたのはこれらの点のようだ。

 2020年オリンピック・パラリンピックの終了後も視野に入れたスポーツ普及策のために、日常生活の中でスポーツに親しむことが、個人、社会の両面にさまざまなプラスをもたらすのを科学的な裏付けをもって示してほしい。
 パワハラや暴力が頻発していること、また学校の部活が学業に悪影響を及ぼしかねないことなどに関して、それらの状況を生むスポーツ界の体質や問題点をあらためて分析、検討してほしい。
 eスポーツが競技として大会に参入するなど、これまでにない変化が起きているスポーツの世界。こうした状況について、「スポーツ」の再定義の必要性も含め、整理、考察してみてほしい。

 つまりは、現代スポーツの抱える諸課題について、科学的、学術的な見地からの意見がほしいということだろう。2020終了後のスポーツ振興策を進めていくうえでは、そこに理論的な裏付けがあった方がいいというわけだ。
 広く意見を聞くのが大切なのは間違いない。とかく閉鎖的とも批判されがちなスポーツ界だけに、常に幅広い視野をもってものごとを考えるべきではあるだろう。ただ、今回の依頼テーマについて、学問的な視点からの意見をあらためて求める必要が果たしてあるだろうか。具体的数値などが「科学的エビデンス」になり得る部分はともかく、そうでない部分、たとえば数々の不祥事の原因分析やスポーツの定義などについて、スポーツの現場に深くかかわっているわけでもない学者・研究者の意見がどれほど役に立つだろうか。
 今回の依頼テーマをもう一度見てみよう。日常生活の中でスポーツに親しむことがさまざまなプラスをもたらすのは常識中の常識で、いまさら考えるまでもない。問題は、日常的にスポーツをする環境が整っていない点にある。スポーツ行政に携わる者としては、悠長に学者の意見など求めていないで、少しでもスポーツ環境が改善していくように具体的な方策を押し進めていくべきなのではないか。
 パワハラや暴力の連鎖についても、既に十分な分析、検討がなされてきているように思う。それらを生み出す体質、土壌の問題点はもはや明らかになっている。なのに、スポーツ界が積極的に改革に踏み出そうとしないところが問題なのだ。学術研究など待つ必要はない。具体的な改革の実行を促すことこそがスポーツ庁の役目であろう。
 eスポーツについては、近代スポーツが発展し、ここまで大きな存在となった過程での一般的な共通認識、いわば、スポーツについての「常識」に照らして考えていけば、おのずと答えは出るはずだ。語源などを根拠のひとつとして、スポーツの概念を幅広く考えるべきとの論考をしばしば見かけるが、そんな観念論に意味はない。スポーツのありようは、スポーツを愛する多くの人々がそれをどうとらえているかに即して考えればいいことなのである。学術の視点からあらためて再定義や線引きを行う必要など、どこにもない。
 eスポーツにどう向き合うか、それはスポーツと呼ぶにふさわしいものなのか、さらに、競技大会への参入をどう考えるか――ということについては、これまでスポーツ界でしっかりした論議がなされてきていないように感じる。このようにスポーツの本質そのものにかかわる問題に関しては、スポーツ人こぞっての白熱した議論が行われてしかるべきであろう。それを怠っておきながら、学者に再定義の検討を依頼するとは、いったいどういうことなのか。スポーツ人として当然なすべき責務を放棄しているようなものではないか。
 こう考えてくると、これらのテーマについてなぜ学術会議の助言なぞを求めたのか、ほとんど理解しがたいと言わざるを得ない。スポーツ庁といえば、行政の面から日本スポーツ発展の牽引役になるべき存在だろう。これでは、スポーツのありようを自ら考える力が、いまのスポーツ界にはないと言っているようなものではないか。
 最後にひとつ、スポーツ庁に注文しておきたい。これからの日本のスポーツのあり方を考えるなら、意見や助言を求める先は学術会議などではない。真にスポーツを愛するファンたちの声にこそ、まず耳を傾けるべきだ。

筆者プロフィール
佐藤氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
ページトップへ
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件