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vol.775-1(2019年7月19日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ103

  東北新幹線のJR福島駅で下車。階段を下りて改札口に向かうと、2020年東京オリ・パラのシンボルマークやのぼり、サインボードが目に飛び込んでくる。
 《〝ふくしま〟から世界へ感謝の思いを伝えます》
 《東京2020オリンピック開催まで☆●☆日パラリンピック開催まで☆●☆日 野球・ソフトボール競技福島県で開催!》
 さらに東口に出ると広場には横断幕があった。
 《感動や夢や希望を! 東京2020オリンピック・パラリンピック 野球・ソフトボール福島市開催》
 それだけではない。駅前通りを県庁方面に歩くと、オリ・パラのシンボルマークは当然として、「福島県都市ボランティア大募集!」のポスターが貼ってある。
 「復興!」を掲げている20年オリ・パラ。本当に福島はオリ・パラ一色なのか?
 そうではないだろう。第1にパラリンピックの競技は福島県では開催されない。これは3・11の被災県である岩手も宮城も同じこと。それに原発事故から8年が過ぎても、未だに県内外に4万人ほどの避難者がいる福島県。復興したとは言えない。

 3・11から丸2年が過ぎた2013年5月。私は福島第1原発から南へ6・5㌔地点にあった富岡養護学校の避難先、いわき市の仮校舎を訪ねたことがある。朝の8時過ぎ。スクールバスや保護者が運転する車で登校した児童・生徒たちは教室に入ることなく、教員の手を引き、ブランコで一緒に遊び始めた。その光景を眺めつつ、養護学校一筋の校長のAさんは言った。
 「いつも子どもたちは遊びたいんです。原発事故前は運動会ともなるとリレーやダンス、騎馬戦、ヨサコイソーランもやり、1日中走り回っていた。でも、原発事故後は外遊びができないしね。県内外の体育館などで避難生活をしていても、たとえば自閉症の子は毛布にくるまり、夜は親の車の中で寝ていた。周りの人たちは養護学校に通う子どもであることを知らないため、声をだすと『うるさい!』と怒るしね。活発だった子どもはおとなしくなってしまった」
 あれから丸6年が経った。養護学校の児童・生徒たちのその後が気になる。成長盛りの子どもたちは、放射能汚染のために外遊びができず、とっさの判断による行動が鈍くなった。鬼ごっこをすれば互いにぶつかり、廊下を歩けば正面衝突をしてしまう。私の取材にそう語った教頭先生がいた。被災した子どもたちの、心と身体のケアは十分なのだろうか・・・。

 先月の6月1日。東京・港区の日本学術会議講堂で公開シンポジウム「どうなる『外遊びの未来』!?」が行われた。コーディネイターを務めた千葉大学教授の木下勇さん(都市計画学)は、私にこう言った。3年前の10月に木下さんは、福島県の石川町を訪ねていた。
 「石川町役場から『子どもの遊び場を造って欲しい』という依頼があってね。訪ねると原発事故により、子どもたちが避難し、少なくなっていた。放射線量は基準値(毎時0・23㍃シーベルト)以下だったが、風評被害で若い父母たちは子どもを連れて町から出て行った。少子化の現実もあり、地方創生の一環として子どもの遊び場を造りたいと言う。
 そこで子どもたちの実態を知るためにアンケート調査(394人)を実施したら、何と3分の1の児童が下校後に遊ぶ友だちがいないと回答してきた。たとえ農村部の町といえど、遊び場を造らなければいけないことを痛感しましたね」
 木下さんはその後、千葉市、群馬県片品村とみなかみ町、宮城県気仙沼市に遊び場を造り、同時に延べ約3000人の児童を調査。その結果、約8割が放課後に外遊びをしないばかりか、約2割が遊ぶ友だちがいないという現実を知った。木下さんは力説する。
 「福島の場合は、原発事故で子どもたちは外遊びをしなくなった。しかし、福島に限らず、全国的に子どもたちが外遊びをしない傾向にある。そもそも遊びは子どもたちの仕事。外で遊ぶことにより、社会を知り、判断力や考える力を身に付ける。子どもたちの外遊びを促す社会的介入が必要ですね」
 1年後にオリ・パラは開催される。しかし、子どもたちが外遊びをしなくなったという、以上の現実があることを知るべきではないか。

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