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vol.772-1(2019年1月10日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−99
 もう「世界一」とは言えない

   日本人は世界で一番オリンピックが好きな国民だとはよく言われることだ。本当にそうだろうか。この「世界一」が褒め言葉かどうかはともかく、そう言われるほどオリンピックを理解し、愛しているだろうか。
 確かにそういう時期はあったように思う。1964年の東京大会で日本人はオリンピックならではの特別な魅力に目覚め、自国選手の活躍に喝采を送る一方で、世界のトップアスリートのすごさにも素直に感嘆した。よく知られた人気の種目だけでなく、いわゆるマイナー競技にもそれなりに関心を示したのではないか。自国開催のおかげで、世界の広がり、スポーツの幅広さに目を開かされたというわけだ。それ以降、しばらくの間は、確かに「世界一のオリンピック好き」だったかもしれない。日本人の多くが、このスポーツの祭典を世界とつながる架け橋として受け止め、その観点から各種の競技の面白さを新鮮な感覚で楽しんでいた時期だ。
 あえてつけ加えておけば、スポーツがスポーツらしかった時代、ファンがスポーツを純粋に楽しんでいた時代である。さらに、オリンピックもまた、古き良き時代の雰囲気を少しは残していた時期とも言えるだろう。
 だが、その後はオリンピックが変貌したのと軌を一にして、スポーツを取り巻く環境も大きく変わった。一般社会における「スポーツの受け止められ方」が変わったと表現した方がいいかもしれない。スポーツ好きが競技そのものの魅力、面白さを楽しみ、味わうというのではなく、大衆社会の中でスポーツがトレンドのひとつ、トピックのひとつとして扱われるようになったとでも言えばいいだろうか。その結果、たとえば、ごく一部の人気競技のスターばかりがメディアで取り上げられ、もてはやされる傾向が強まったりした。また、人気種目やスター選手でなくても、いったん何かで話題になると、それが一気に増幅され、繰り返し取り上げられて、一種のブームになるというようなこともしばしば起こるようになった。どちらにしろ、競技そのものの中身を味わうという本来の楽しみ方とはおよそかけ離れていると言うしかない。
 前者としては、サッカー日本代表やフィギュアスケートのスター選手などの例が思い浮かぶ。後者の例のひとつは、地方競馬で負け続けていた馬が突如として注目を集めた「ハルウララ現象」だろうか。テレビをはじめとするメディアがそのような扱いをするのが第一の要因ではあるが、それによって多くの人々がたやすく一方向へなびいてしまう状況にも疑問を感じないわけにはいかない。サッカーW杯の代表戦の後に渋谷の交差点を埋め尽くす大群衆などを見ていると、スポーツが単に「大騒ぎするための」ネタとして扱われているようにも思えてしまう。
 いずれにしろ、そうなってしまっては、「世界一のオリンピック好き」などとは到底言えない。オリンピックそのもの、スポーツそのものを楽しんでいるわけではないからだ。テレビなどのメディアや、それに追随する多くの人々は、オリンピックやスポーツを流行の商品のひとつとして消費しているだけ、使い捨てているだけという観もある。
 もっとも、世界の主要各国でも同じような状況が起こりつつあるのではないか。21世紀のスポーツはそういう位置に置かれることになるのだろう。スポーツ文化の変質である。オリンピックの変貌やeスポーツの登場は、そんな流れの象徴であるかもしれない。
 そして2020東京大会が間もなくやって来る。スポーツやオリンピックをめぐる環境や流れの変化はますます加速するに違いない。オリンピックが本来持っているさまざまな魅力をじっくりと味わうなどというどころではなく、あえて言えば「から騒ぎ」が延々と続くことになるのだろう。なんとも寂しいことだが、「世界で一番のオリンピック好き」の称号はもはや返上するしかない。
 もちろん、オリンピックを純粋に愛している真のファンも少なくないはずだ。スポーツを楽しむという文化はそう簡単に消えてはなくならないのである。から騒ぎに負けず、そうした人々の思いを少しでも2020東京大会に反映してもらいたいと思うのだが、さて、どうだろうか。

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