「批評性」「論評性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る―スポーツ・コラム

岡 邦行/ルポライター

VOL.732-1(10.18)
 原発禍!「フクシマ」ルポ96

 秋晴れだった10月10日。つまり、64年東京オリンピックから53年目を迎えた日、私は久しぶりに東京・新中野の野崎忠信さんの事務所を訪ねた。
 陸上競技のスターターとして名を馳せた野崎さんは、東京オリンピックの蒐集家としても知られている。切手・ポスター・入場券・マッチ・シール・コイン・ネクタイ・バッジなど・・・。あらゆる東京オリンピックの際に発売された、今では貴重なグッズ類のお宝を大事に持っている。スターターが使用したピストルの薬きょうまである。3年前は事務所内に展示し、一般にも公開した。
 取材後、野崎さんと私は互いに贔屓にする新宿の〝アスリートが集う居酒屋〟「酒寮・大小原」に行った。すでに陸連関係者を始めとするスポーツ関係者は知っていると思うが、今週金曜(20日)を最後に大小原は店仕舞いをする・・・。

 私が店主の大小原貞夫さんと知り合ったのは30年ほど前になる。当時の大ちゃんは新宿駅中央口近くの寿司屋の店長をしていた。一見客の私が暖簾をくぐるとおしぼりを手に笑顔で言った。
 「いらっしゃーい。お疲れさま!」
 以来、私は大ちゃんのファンになった。  丸22年前の95年11月に大小原を開店して独立した。そのとき坊主頭になった大ちゃんは言った。
 「新人選手の大小原です。よろしくお願いします!」
 大ちゃんは主にスポーツを取材する私のよきアドバイザー役だった。酔いにまかせて気軽に喋っていたら、相手が日本を代表するアスリート。驚いたことは1度や2度じゃない。大ちゃんに紹介されて取材した選手や関係者も多い。野崎さんもその1人で、東京オリンピックの最終聖火ランナー・坂井義則さんと出会ったのも大小原だった。
 「岡さんは3・11以後、毎月のように故郷の福島に帰っていますね。こんな表現は適切ではないと思うんですが、相手は目に見えない放射能ですからね、常にファイトですよ・・・・・・」
 福島取材の帰り、大小原に寄ると大ちゃんは気遣ってくれた。そんなある夜、私に70代のお客さんを紹介した。
 「あの方は元自衛隊員のマラソンランナーで、東京オリンピックのマラソン銅メダリストの円谷(幸吉)さんと一緒に練習しています。岡さんと同じ福島出身ですから、話が合うと思いますよ・・・」
 そう言って紹介されたHさんは奇遇にも南相馬生まれ。自衛隊OBということで原発事故当時は福島第1原発に出動し、ボランティアとして除染作業をしていた。そのときの貴重な話を私に伝えた。もちろん、故・円谷さんとの思い出も語ってくれた・・・。

 群馬県下仁田町生まれの大ちゃんが、スポーツ界と関わるようになったのは50年前の1967年。まだまだ1人前の寿司職人とはいえない小僧時代だ。上京した当時から1度は行ってみたいと思っていた国立競技場に足を運んだ。ユニバーシアード東京大会を観るためだったが、高い入場券を買うことはできない。仕方なく競技場の周りをうろうろしていた。そのときだ。関係者に声をかけられ、大ちゃんは恥ずかしそうに言った。
 「お金がないために中に入れません・・・」
 「お金がない?いいよ、入って観なさい・・・」
 以来、大ちゃんはスポーツが大好きになった。
 ユニバーシアード後、大ちゃんが働く寿司店にスポーツ関係者が多く来るようになった。あらゆる競技のアスリートが常連客となった。来日した海外のアスリートもやってくる。大ちゃんの気さくな応対に誰もが魅了されたのだ。
 今週の初め、私は大小原に行った。店内にはアスリートが書いた色紙が所狭しと飾られている。なんとサッカーのレアル・マドリード監督のジネディーヌ・ジダンの現役時代のサイン入りユニホームもある。大ちゃんは故・坂井義則さんの写真を手に写真撮影に応じた。
 「岡さん、まだまだ私の人生はゴールじゃないですからね。今後もお見知りおきのほどを・・・」
 大ちゃん、そして女将さんと若(息子さん)、お疲れさま!


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