「批評性」「論評性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る―スポーツ・コラム

佐藤 次郎/スポーツライター

VOL.723-1(8.10)
 「五輪の風景」-61
 筋の通ったブーイングだった


 競技スポーツでは観客、あるいはファンの果たす役割も大きい。競技の盛り上がりに、またその発展に、熱心で目の肥えた観客は欠かせないのだ。開催中の世界陸上・ロンドン大会を見ていると、あらためてそのことを感じる。
 連日、ぎっしりと埋まるスタンド。人気種目でなくとも熱い視線がそそがれ、ここが見どころという場面にはしっかりと満場の注目が集まる。自国以外の選手にも惜しみなく声援や拍手を送られるのは言うまでもない。ロンドンの観衆はそんな見巧者たちだ。興奮と歓声が、いざスタートとなると一瞬にして完璧に静まるのも、観衆が競技を熟知して楽しんでいることの表れだろう。
 そして何より印象的だったのが男子百メートルだった。結局は優勝することになるジャスティン・ガトリンが登場し、紹介されるたびにブーイングが起こったのである。ウサイン・ボルトを破って優勝を決めた時も同様の反応だった。表彰式では拍手もあったが、ロンドンの観衆ははっきりとこの選手を拒否してみせたのだ。
 もちろん、これ限りで引退するボルトの敵役だから、そのボルトを破ってしまったから、などという浅薄な理由でないのははっきりしている。たとえ頂点の力を持つトップアスリートであっても、過去にドーピングによる資格停止処分を受けている選手が再び表舞台に立つことを、この観客たちは許したくないと思ったのである。ドーピングが相変わらず蔓延している状況を、世界中のファンが苦々しく思っているのは間違いない。今回のブーイングは、ガトリン個人というだけでなく、いまもひそかにドーピングに手を染めている選手あるいは組織、またそれをいつまでも止められない国際陸上界全体に浴びせられたものと言ってもいいだろう。
 このブーイングには批判の声もあった。かつて違反があったにせよ、処分を受け、長いブランクを乗り越えて再び頂点に立つまでの努力を認めないのはおかしい、あまりにも狭量ではないかというのだ。これは一見、そういう考えもあるかと思わせるが、もちろんそんなことはない。この欄でも再三指摘しているように、ドーピングは競技そのものの価値をゼロにしてしまう行為なのである。つまりは絶対悪なのだ。あくまでも競技の場に限ったことではあるが、ドーピング違反にはそれだけの重さがあると言わねばならない。
 となれば、それに手を染めた選手がまた競技に戻ってくるのは、ドーピング根絶を目指すという観点からしてもおかしなことだ。現行のルールでは処分期間をクリアすれば復帰が認められており、ガトリンのように戻ってくる選手も少なくないのだが、本気で根絶を考えるのなら、一度でも違反をした選手はもう競技の場から去ってもらうしかないのではないか。その絶対悪を犯しておきながら、再び表舞台に復帰してくる選手たちには、本当にクリーンな選手も、またファンの多くも、強い違和感を抱いているに違いない。
 ガトリンは二度にわたって禁止薬物に陽性反応を示している。一度目は十代で、治療薬によるものだったとも言われているようだが、二度目の摘発がアテネオリンピックの金メダリストになった後となれば、これはもう弁護の余地はない。ルールに従っての復帰とはいえ、スポーツにもオリンピックにも大きな汚点を残した選手が何ごともなかったかのように復帰してくる不条理さを、ロンドンの観客はそのまま放置しておきたくなかったのだろう。あの激しいブーイングは、ファンとしてドーピングは絶対に許さないという意思表示だったように思う。
 そんなわけで、あれはきちんと筋の通ったブーイングだったと評価しておきたい。併せて、ブーイング批判の声はほとんどピント外れだったとも指摘しておこう。日本だったら、あれは起きていないだろう。寛容だから、ではない。それだけ確固たる見識を持ったスポーツファンが少ないからだ。
 見識を持ったファン、目の肥えた観客が大きな役割を果たすのはオリンピックでも同じことだ。大会成功のために欠かせない要素と言ってもいい。が、いまの日本では、メディアのお祭り騒ぎに乗るだけのファン、スターや自国選手にしか目のいかない観衆ばかりが目立っている。スポーツ観戦が盛んなようでいて、しかも世界一オリンピックの好きな国民と言われていても、その実、中身はあまり伴っていないのである。
 2020年まで、あと3年。諸外国からの観戦者に、さすがは世界一のオリンピック好きと思わせることができるかどうか。せめて、どの競技にもどの国の選手にも目を配って、惜しみなく声援と拍手を送るくらいのことはしたいものだ。


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