「批評性」「論評性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る―スポーツ・コラム

佐藤 次郎/スポーツライター

VOL.712-1(4.20)
 「五輪の風景」-53
  「過剰さ」に感じること


 浅田真央選手の引退表明をめぐるメディアの騒ぎには大いに違和感を覚えた。なぜ、あれほど「過剰」だったのか。
 もちろん浅田選手には何の問題もない。素晴らしい競技者であり、日本の女子フィギュアスケートとしては史上最高の存在だろう。現役引退にあたって、その実績をたたえるのは当然のことだ。だが、テレビ、新聞をはじめとする主要メディアの対応には首をかしげた。テレビのニュースでは、他の重要な出来事を差し置いてトップで長々と取り上げ、新聞も、冷静に対応してしかるべき一般紙までが多くの紙面を割いて大々的に報じたのである。しかもそれは、あたかも国民的な偉人ででもあるかのような扱いであり、内容だった。これはメディアにおける近年の傾向そのままではあるのだが、それにしても、すべてが過剰で大げさすぎたのではないか。
 先ほど触れたように、浅田選手がすぐれたスケーターであり、スポーツ界全体を通じても大きな存在感を示していたのは間違いない。現役引退はファンの関心事であり、それを大きく報ずることには何の違和感もないのだ。問題は、スポーツ選手を国民的アイドルのように祭り上げ、さらには、傑出した偉人のごとく表現しようとするメディアの姿勢にある。競技者であれば、その競技におけるすぐれた足跡をきちんとわかりやすく伝えれば、それでいい。それに、どんな有名スターであっても、国民こぞって関心を示し、熱心に注目しているなどということはあり得ない。あまりに過剰で大げさな扱いでは、かえって選手の実像が伝わらないだろうし、選手本人もそのように扱われるのは本意ではあるまい。
 こうした傾向は近年、どの分野でも強まっている。ちょっと目立つ存在が現れるとメディアの注目が一気に集中し、アイドル的な存在に祭り上げてしまうのである。年若く、魅力的な容姿をしている女性の場合はことさらだ。スポーツの世界でも、そうした例、時には実力以上にもてはやされてしまう例がいくらもあった。そして一時的なブームが去ると、いっさい目を向けなくなったりするのもメディアの特徴といえるだろう。
 いつも書いているように、スポーツや競技の面白さはその多様さ、幅広さにある。オリンピックという大会もそうだ。スターにはスターにしかない輝きがあり、それを大きく取り上げていくのは当然だが、目立たない競技、目立たない選手にもそれぞれに魅力があり、時にはスター選手以上の輝きを秘めていたりもする。そういった選手や競技の輝きを掘り起こし、広く伝えていくのがスポーツメディアたるものの務めであり、役割であろう。なのに、いまのメディアにはそうした姿勢や意識があまりにも乏しいように思える。
 もうひとつ言っておきたい。一般のファン、つまり視聴者や読者といった受け手の方も、前述したようなメディアの傾向に乗ってしまいがちということだ。
 メディアは一部のスターばかりを取り上げ、大きな存在として祭り上げていく。そこには「受け手がそれを望むからだ」との大義名分もある。受け手の側も、メディアのスター戦略に乗ってしまうばかりでなく、もっと幅広くスポーツの魅力を見出していく視点を持ちたいものだ。そうすれば、メディアの側もおのずとより幅広い対応をせざるを得ないことになる。
 2020年という、かつてない注目を集めるオリンピックでは、これまで以上にさまざまなスターやアイドル的選手が生まれるだろうし、また、メディアによってつくり出されてもいくだろう。が、それだけではせっかくのオリンピックを生かすことにはならない。自国開催のオリンピックは、スポーツの、競技の、またオリンピックという大会の、より幅広く多彩な魅力を味わうための貴重な機会なのだ。そのための重要な役割を担っているのを、いまのスポーツメディアはどこまで自覚しているだろうか。


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