「批評性」「論評性」「文化性」の視点からスポーツの核心に迫る―スポーツ・コラム

佐藤 次郎/スポーツライター

VOL.758-1(7.26)
 「五輪の風景」-88
 競技団体は何のためにあるのか


 これはいったい、いつの時代の話なのか。日本ボクシング連盟の会長にまつわる数々の問題は、現代のスポーツ界の、それもオリンピック競技の統括団体の話とは到底思えないほどの異常事態と言うしかない。
 辞任により前会長となった人物によるさまざまな疑惑はこれから詳しく検証されることになるだろうが、いずれにしろ、飛び抜けた実績もないまま「終身会長」となった一人の権力者によってすべてが左右されるような状態が、そのまま続いていていいはずはない。ことに、勝負の判定にまで影響が及んでいたとなれば、これはもう競技の根幹が揺らぐ事態でもある。当人の指示があったかどうかにかかわらず、こうした疑惑を招いたというだけでも、その責任は大きいと言わねばならないだろう。
 もちろん会長辞任で終わる話ではない。いかに権力が強大だったにせよ、こうした状況を長く放置してきた組織そのもの、とりわけ責任ある立場にいた役員の責任もまた、きわめて大きい。連盟は、すべてを刷新したうえで、これまでの問題点と今後の改革方針を具体的かつ明確に説明すべきだ。そこから、やっと正常化への歩みが始まる。
 スポーツ界全体も、これを我がこととしてとらえてほしい。ボクシング連盟のゆがみは以前からある程度は知られていたように思える。JOCや日本スポーツ協会もそれなりの事実を把握していたのではないか。一連盟のこととはいえ、今回の事態はスポーツ全体の信用を傷つける重大事だ。ならば、日本のスポーツを統括する役割をもって、もっと早く指導力を発揮すべきではなかったかと思わずにはいられない。

 そして大事なのは、一連の出来事を一人物の問題とのみ考えるのではなく、スポーツ界全体になお残る古い体質にも相通ずる問題として受け止めることだろう。
 その体質とは、競技団体、またそのトップにいる役員たちが、選手や競技ではなく、組織の運営や保全を第一に考えがちになる傾向が往々にして見られるところだ。さらに厳しい言葉を使えば、自分たちの利益や保身を考えがちになるとも言えるように思う。
 競技団体が何のためにあるかは言うまでもない。それは選手の活動を支え、また競技の普及発展に尽くすためにある。スポーツの主役は選手であり、競技そのものであり、競技団体はそれを支える裏方に過ぎない。競技団体のスタッフは、会長であろうが役員であろうが、裏で支え、手助けする役回りに徹すべきなのである。なのに、選手や競技を優先せず、組織の論理、組織の都合、トップの自分勝手な権力を振りかざすことがしばしばあるように見受ける。役員がまるで支配者のように振る舞うケースも少なくないように思う。それは本末転倒と言うしかない。
 そこから、オリンピックをはじめとする主要大会での実績を、まるで競技団体トップの功績ででもあるかのように扱おうとするゆがんだ傾向も生まれる。もちろんサポートも重要だろうが、基本的に好成績は選手の功績であり、団体役員の手柄などではない。にもかかわらず、国際舞台での実績を団体トップの功績としてアピールしたがるケースが目立つのはどうしたことか。ボクシング連盟の例はその典型だ。オリンピックや世界選手権のメダル獲得を自らの手柄とし、権力基盤の強化や保持に利用しようとするようでは、組織にゆがみやひずみが生ずるのは避けられない。結果、今回のように世間をあきれさせるような異常事態も生まれてきてしまう。
 ボクシング連盟は極端な例ではあろう。が、先に触れたように、選手第一、競技第一とは思えない組織運営や役員の振る舞いをしばしば見かけてきたところからすると、どの団体にも、同じような体質は多少にかかわらずひそんでいると思わなければならない。スポーツ界で強調される上下関係も、そうしたゆがみを助長する原因のひとつになっていると思われる。極端な例であっても、けっしてただの他人事ではないと、すべての競技団体が自戒すべきなのが、今回のボクシング連盟の騒動ではないか。
 支え、手助けする役割に徹し、ひたすら競技のために尽くす。きれいごとで言うのではない。それこそが競技団体やその役員のあるべき姿である。そのことを、スポーツ界は、今回の極端な例を教訓として、あらためて思い起こしてほしい。


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