いつまでも古風な感傷にひたっている気はないが、ラグビー日本代表のWTB大畑大介選手が、4月23日の韓国戦(東京秩父宮)で2トライをあげ、これで代表戦でのトライ数が62となり、世界最多記録64へ「あと2」に迫ったという“ニュース”には驚いた。間近な達成にではない。いつからラグビーは、トライ数というこのスポーツにおよそ似つかわしくない個人記録を話題にするようになったのか。その姿勢に戸惑ったのだ。
ラグビー界は内外を問わず、かつては“1人のスター”に焦点が当てられることを嫌い、攻防両面あらゆるプレーは"15人の力"による、という美学を貫いた。 スポーツ雑誌の表紙にラガーマンが1人で掲載されるのを許さず、複数のからみあう試合写真を「よし」としていたものだ。 時は流れる。関係者の口から「フルタイム」「プロ」「コマーシャリズム」といった言葉が肯定的に飛び出し、スター誕生を待望する声も平然と起きていた。 それでも、トライ数が、ベースボールのホームランやサッカーのゴールと同じように、フアンの興味を誘う材料にされるとは考えてもみなかったのである。 得点を競いあうボールゲームでは、決定力を備えるエースの存在が、大きな魅力となる。 ラグビーの快速ウイングは、いつの時代もその象徴だが、実力と人気を数量で測られることはなかった。それがラグビーであった。 目の肥えたフアンは、観戦の帰途、期待に応えた切り札の俊足に酔いながら、決して、好配球をつなげつづけたアシストたちの展開力を讃えるのも忘れなかった。 ヨーロッパ系のチームスポーツは、ゴール(トライ)への起点こそが、醍醐味といってよい。得点者は多くの場合、「仕上げの一員」である。フィニッシャーと呼ばれる所以(ゆえん)だ。 記録や数字への関心は、新しいスポーツの見方だろうが、そのポイントだけにスポットを当てる昨今のメディアの風潮は、プロセスを味わうスポーツ本来の楽しさを薄めさせてはいないか。アクセサリーに目を注がせ、本体の大きさを見失わせてはなるまい。 大畑選手には、まだまだ走りつづけ、トライシーンを重ねて欲しいが、周囲の数へのこだわりは、ほどほどにしたい―。 |