第25回ミズノスポーツライター賞発表(2015年3月4日)
■2014年度 第25回 ミズノスポーツライター賞 受賞作品
スポーツメントール賞はこちらからご覧ください
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「2014年度 ミズノ スポーツライター賞」受賞者決定
(公財)ミズノスポーツ振興財団では1990年度より「ミズノ スポーツライター賞」を制定し、スポーツに関する報道・評論およびノンフィクション等を対象として、優秀な作品とその著者を顕彰しています。
3月4日(水)、グランドプリンスホテル高輪で2014年度選考委員会を開催し、受賞作品および受賞者を以下の通り決定いたしました。
なお、この「ミズノ スポーツライター賞」の表彰式を4月23日(木)にグランドプリンスホテル新高輪で行う予定です。
■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)

洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光
森田 創(もりた そう)(発行:講談社)
選評:
洲崎遊郭で知られた江東区東陽町の一角に昭和11年から13年までの間、折から誕生したばかりのプロ野球の専用球場として作られ、「大東京軍」の本拠地であった洲崎球場が存在していた。プロ野球史からほとんど忘れ去られたこの球場の誕生から放棄までの1年7カ月の歩みを丹念に掘り起こし、草創期のプロ野球を取り巻く多彩な人々の生きざま、そして戦争の影におびえながらも大衆文化が花開いていた当時の世相を浮かび上がらせる。
プロローグとエピローグの間を9つのイニングで構成している。
まずは「洲崎球場」なるものがあったことを紹介し、1イニングは「洲崎散歩」。かつての歓楽街「洲崎パラダイス」の紹介と、地図と写真を添えた親切な現地案内。2イニングは昭和10年にタイムマシンで飛んで当時の世相、消費生活の発展とその陰に忍び寄る戦争の影が語られ、プロ野球前史として六大学野球の大人気とプロ球団への模索、ベーブルース来日の熱狂の中で「職業野球」と蔑視されながらもプロ球団が結成される事情が要領よく語られる。 3イニングでいよいよ「大東京軍」の登場。正力松太郎が仕掛けたプロ野球リーグの殿(シンガリ)に国民新聞(創設者は徳富蘇峰、当時は政府系新聞として有力紙の1つだった)が読売の巨人軍に対抗して部数拡大を目指してプロ球団設立に名乗りを上げる経緯が語られる。経営陣には警視庁OBの大物が並ぶ大東京軍だったが、選手集めは難渋、オープン戦の戦績は散々。4イニング、新聞と鉄道がスポンサーになって7つの球団が結成され「日本職業野球連盟」が発足し、いよいよ洲崎球場の誕生となる。ところがこれが海岸べりの埋め立て地に仮設のスタンドを置いただけのおんぼろ球場。グランドはゴロが止まってしまうほど湿っぽく、外野席の下は大潮の時には海水が浸入してくることもあった。著者が復元した洲崎球場の200分の1模型の写真が目を引く。5イニングでは、いよいよ始まったリーグ戦での各球団の動きが丁寧に描かれる。当初連戦連敗だった巨人が名投手沢村の活躍で勝ち進み、関西の雄・阪神と優勝争いになる。6イニングはその決戦の場となった昭和11年秋の「洲崎シリーズ」の様子が当時の新聞記事を使って生き生きと描かれる。阪神は巨人に敗れて崖っぷち、他方、ぼろ負け殿軍団だった大東京軍は監督に小西得郎を得て善戦、洲崎球場は人であふれかえった。志村正順のラジオの実況が人気を博し、詩人の西條八十が観戦記をよみうりに載せ、判事の娘が熱列なファンになって新聞に野球評を書き、選手とミス東京の恋が話題になるなど、楽しいエピソードのあれこれが紹介される。7イニングでは巨人―阪神の死闘が語られ、沢村の3連投で巨人が初優勝。「伝統の一戦」の起源がここにあることが示される。巨人・沢村vs阪神・景浦はじめ宿命のライバルの戦いぶりが語られる。8イニングはリーグ2年目の昭和12年の動き。8球団になって総当たり式の現在のペナントレースの形ができる。スター選手が活躍してプロ野球人気は高まるが、日中戦争が始まって兵役に取られる選手も出てくる。スタルヒンなど青い眼の選手たちのエピソード。そして後楽園球場の建設が始まる。最後の9イニングは後楽園の完成とともに洲崎球場が見捨てられていく経過が語られる。沢村はじめ多くの選手たちが徴兵される。洲崎球場は高潮でついにグラウンドに海水が流入し、前代未聞の「水没コールドゲーム」になったという。この試合にデビューしたばかり川上哲治がいて、その逸話を93歳の川上本人から聞き出している。こうして洲崎球場は短い命を終わり撤去されるが、それがいつだったのか正確な記録は見つかっていない。エピローグで著者は多くの名選手が戦争から帰ってこなかったことを記し、プロ野球隆盛の今日、その草創期に必死に戦って報われなかった若者たちを忘れてはならないと訴えている。
文句なく面白い。忘れられた洲崎球場についての著者の探索は、当時の新聞雑誌の渉猟はもとより、資料や古地図を当たり、川上はじめ生存者の証言を聞き(特に試合を見た当時の少年たちの話が貴重)、新聞の載った球場の航空写真をもとに復元模型まで作ってしまうのである。文章は読みやすく(少し凝り過ぎの表現もあるが)、試合の様子など、新聞記事をもとにしているだけに迫真の表現である。ファンのヤジや選手の珍プレーで球場全体が笑いに包まれた場面の紹介など、プロ野球観戦が大衆芸能と近い所にあったことを感じさせる。他方、昭和10年前後の表面的には陽気な世相の背後で戦争が着々と進行し、選手たちもその渦に飲み込まれていく流れをしっかり見据えている。観戦者にもよく目配りされている。観るスポーツはファンがいてこその盛り上がりがある。学生野球が全盛だったとはいえ、職業野球も「新しもの好き」を集めたようだ。歌手の灰田勝彦、作家の林芙美子、歌舞伎の尾上菊之助、劇作家の川口松太郎など有名人がスタジアムに足を運んだようである。一方、今と同じように野球選手は女性にもてたようだ。セネターズで守備に定評があった苅田はミス東京と結婚。大東京のライト水谷はミス高島屋と結ばれた。また、松竹歌劇の小倉峰子はタイガーズの4番小島とつき合い、めでたく結婚したそうである。また、野球の面白さに夢中になり、何度も観戦に訪れた元祖野球ガールの存在も微笑ましい。スポーツ少年だった著者は、現在は電鉄会社のサラリーマン、この著作が処女作だという。 惜しむらくは、細かな疑問符のつく表現が多々目についたことだ。編集者がもう少し丁寧に目を通すべきではなかったか。
とは言え、プロ野球史の欠落を埋めるという点からも、楽しい読み物になっているという点からも、また全くの新人の快作という点からも受賞作として押したい。
■優秀賞

球童 伊良部秀輝伝
田崎 健太(たざき けんた) (発行:講談社)
選評:
日米のプロ野球で活躍した伊良部投手が自殺したのは2011年の夏だった。次第に過去のものとなってゆく。出版社を経てノンフィクション作家になった著者の田崎氏にはサッカーを扱った作品が多いが、ロサンゼルスを訪れて団野村の事務所で働いている星野太志と会った折に話題に上った伊良部に興味を持った。改めて星野のアレンジで伊良部にインタビューするチャンスを得た田崎氏は、結果として最後の取材者となってしまった。本書は自殺2ヶ月前に取材した同世代の著者が、伊良部のことを書いておきたいという一種の使命感に突き動かされて、彼を知る人間を訪ねて取材しまとめた伊良部秀輝伝である。それはまた著者が自ら書いているように、「伊良部を追いかける旅」でもあった。一人称で書かれた「はじめに」で、読者は著者を道案内に旅に出、並はずれた浮沈を繰り返す伊良部の人生を見せてもらう。そして、最後に再び一人称の「あとがきにかえて」で、著者と読者の旅が終わる。
身体がでかい、剛速球投手。不遜な態度。暴れん坊。現役時代の伊良部のイメージはあまり芳しくない。一方、実力に関しては誰もが認める存在だった。尼崎での小学校時代から始まり、香川の尽誠学園時代、ロッテ時代、アメリカ・メジャーリーグ時代、阪神を経て独立リーグへ、そしてロサンゼルスの自宅で突然自分の人生に幕をひいてしまう最後と、著者は42年の伊良部の野球人生を、その時代時代で彼と交流のあった鍵となる人物に取材してたどっていく。著者が多くの資料にあたり、たくさんの関係者に取材して見せてくれた伊良部は、繊細で傷つきやすく、人見知りする知的な男だった。一方、自己中心的でカッとすると前後の見境がつかなくなり、後悔しても謝り方を知らない子どもでもあった。広岡や重光オーナーとの確執、ヤンキース入りを巡るゴタゴタでは、その後の日本人メジャーリーガーへの道を開いたポスティングシステム導入に至った経緯も書かれている。伊良部側に立った見方だけで物語が進むこのあたりは、異論を唱える人もいるかもしれない。だが、伊良部から見るとこうだったのだ、ということだけは著者は書きたかった。ヤンキースでの一時の輝き、その後どんどん暗転していく人生。野球に行き詰まり、酒でたびたび問題を起こし、家庭が破綻した。子どもの頃から精神面で不安定さを持つ危うい男に、相談相手がいないわけではなかった。だが、結局は一人で死んでしまった。
丁寧な取材から見えてきたのは、伊良部の身体と精神のアンバランスさである。幼児期からの実体験のためか、猜疑心に突き動かされるような生き方をしてきた。そして、読者に投げかける疑問符のひとつが実の父親の存在である。ほとんど誰にも胸襟を開くことのなかった伊良部の心の底には、消し去ることのできない出自へのわだかまりがあったのだろう。そのわだかまりが力で相手を圧倒しようという生きざまとなって現われたのか。著者はそのアメリカ人の父親にも会っている。ベトナム戦争の後遺症に苦しみ、精神的に不安定になった時期に伊良部の母と連絡がつかなくなったのだと言う。ヤンキース時代、テレビを見て自分の息子だと信じ、キャンプ地のタンパを訪ねて父子の対面を果たした。自分にアメリカ人の血が入っているなど思ったことはないと言いながら、小学生のときからヤンキースに入ると決めていた伊良部には、やはり父親に会うためにはアメリカへという思いもあったはずだ。だが父との対面で父の心の弱さを知り、自らの不安を増大させたのか。この出会いがギリギリ保たれていたアンバランスに致命的な崩壊をもたらしてしまったのかもしれない。
本書は登場人物が多すぎ、混乱する場面がいくつもある。それらの人物の背景まで語られるのは余計に感じるが、その背景を持った人物だからこの伊良部とこういう関係を作ったのだ、と納得させるためには必要だと著者は思ったのか。
ネガティブなイメージをまとって逝ってしまった伊良部秀輝だが、その一生はピッチャーマウンドという孤独な聖地に立ち、あらゆることをはねのけようと全力投球をした人生だった。だから投球術の習得にはことさら熱心な勉強家でもあった。野球がやりたいという気持ちだけは常に持ち続け、必死に自分の居場所(投げられる場所)を求めてもがいている伊良部の生き方が痛々しくさえ感じられる。
足で歩いて、話を聞くという手法自体は、人物ノンフィクションとしてオーソドックスなものといえるが、著者は、〜した。〜した。と短い文を連ねて、淡々と語るその文体によって、伊良部の素顔に立体的にさまざまな色を重ねていく。著者の精力的な取材活動と構想力により、伊良部秀輝の墓標に一条の光があたったかのような一冊である。まさにスポーツノンフィクションという出来栄えであり、候補作として充分評価の対象となると思われる。
■優秀賞
毎日新聞朝刊に掲載された故大島鎌吉氏の半生を描写した署名連載企画
『五輪の哲人 大島鎌吉物語』
滝口 隆司(たきぐち たかし)(発行:毎日新聞東京本社運動部)
選評:
毎日新聞朝刊2面に2014年11月4日から12月20日にかけて掲載された故大島鎌吉氏の半生を描写した署名連載企画である。全35回の本件は、長期連載シリーズ「戦後70年に向けて」の第5弾という位置づけで企画された。
冒頭は記者が大島研究家として知られる伴義孝関西大教授を訪ねる所から始まる。伴は大島こそ「日本の生き方の問題に光明をもたらす」存在だと連載への期待を述べる。以下、時代を追って大島の足跡をたどり、それぞれの時点での社会とスポーツの関係が問い直される。ロサンゼルス大会の三段跳び銅メダリストだった大島は、当時、日本の植民地にされていた朝鮮人選手への差別と闘う文字通りの「旗手」(ベルリン五輪の選手団旗手)でもあった。戦争中は毎日新聞記者としてドイツに止まり、ベルリン陥落の瞬間をいち早く本国に打電した。戦後はスポーツ記者として活躍しつつ『オリンピック物語』という青少年向けの本を書いて平和の夢を語り、日本のスポーツの国際大会への復帰をめざし、大学スポーツ(後のユニバーシアード)の支援に情熱をもやす。さらに近代オリンピックの研究 に手を染め、クーベルタンやカール・ディームのオリンピズムを紹介する。この理念を土台に東京オリンピックの招致活動に加わり、培った人脈を生かして世界各国のアスリートに働きかけて票集めに成果を上げた。招致が決まると選手強化計画に携わり、金メダル15個の公約を掲げて、何と1個余分に達成した。大会では選手団長を務めている。オリンピックの表と裏で縦横の活躍を成し遂げたのである。
オリンピック後は、日本人の生活にスポーツを定着させる国民運動に関わる。スポーツ少年団を組織して子どもたちにスポーツの楽しさやすばらしさを体験させることを目指す。市民に対してはドイツの「第2の道」に倣った健康づくりのための「トリム運動」を推奨する。教育界に入って大阪体育大の副学長として職場の体力作りをめざす「生産体育」を展開する。他方、米ソの対立からモスクワ五輪ボイコット問題がおきた1980年にはJOCは参加すべきだと主張、総会で敗れた後も自費参加の道を探っている。ノーベル平和賞を受けたただ一人のスポーツ人であるノエルベーカー卿を招き、名古屋オリンピック招致が失敗した時には、台頭する第3世界の力を評価し、平和の祭典であるオリンピックをアフリカで開催して「五輪の輪」を完結させる夢を描いた。自身も1982年にオリンピック平和賞を受け、85年に亡くなっている。連載の最後は2013年に『大島鎌吉の東京オリンピック』を上梓した岡邦行の活動を紹介し、岡が関わっている反原発運動も大島の精神を受け継ぐものであることを示唆して終わる。
本連載は世に知られた存在とは言い難い大島鎌吉の来歴、行動、思想を紹介するものであるが、根底にあるテーマは「平和」である。「戦後70年に向けて」の大型連載の一つとして、世界の平和のためにスポーツは貢献できる、世界中の青少年をスポーツで結び親善と友好を促進するのが五輪精神である、という大島の思想を今改めて紹介しており、それは2020年に向けての提言ともなっている。
昨年度刊行された岡邦行氏の「大島鎌吉の東京オリンピック」と重複する記述も多いが、字数制限のある連載企画のなかで毎回一つのテーマで大島の五輪経験、戦争体験、思想の深化、ぶれずに守り続けた思想などを要領よく紹介している。大島は1985年に亡くなっている。ブランデージ、アマチュアリズムなど今の五輪からすると次元の違う話のようなものもあるが、数々の大島論文を読み、関係者を取材する中で著者は大島のスポーツ思想を解くキーワードは世界宗教であり、「オリンピックはフェアプレーを信じる世界中の人々の願いが集まる宗教」なのだと読み解く。4年間の平和運動を世界の人々が祝う場であり、オリンピックは「開催する」ものではなく、「祝福する」と表現すべきだと大島は考えた。新聞は五輪=メダルという所ばかりを報道する。戦争は相変わらずなくならない。それでも、五輪の根底には、スポーツで集うことで親善を深め平和に寄与するという目的があり、またスポーツには確かにその力がある。その力を信じてスポーツの可能性に賭けた古い「哲人」を紹介することで、オリンピックの原点を見つめ直し、考えさせる連載になっていると思う。
改めて感じさせられるのは大島鎌吉の「すごさ」である。彼こそオリンピック精神を体現して生き通した稀有な人物であり、哲人にしてスポーツマン、その上、世界的な視野に立った社会運動家であった。それなのに大島のことが忘れられかけているというのは解せない話である。2020東京オリンピックの根底を支える理念を点検し、オリンピック・レガシーを検討する上で大島の功績を無視することはできまい。新聞連載としては、時宜にかなった課題を提起する久々の力作だと言っていいだろう。
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主催:公益財団法人 ミズノスポーツ振興財団
選考:ミズノ スポーツライター賞選考委員会 [主旨] スポーツが巨大なメディアそのもとなった今日、世界の国々、地域、民族が分け隔てなく、共通のルールで価値を創造し共有できる文化は、スポーツをおいて他に見当たりません。 バンクーバー冬季オリンピック大会、サッカーW杯南アフリカ大会、いずれの舞台でも、肉体のもつ能力の可能性が未来に向かって切り拓かれました。世界の人々の魂を揺さぶる人間的なドラマも現出しました。スポーツはどんな状況にあっても、子どもたち、若者たちが夢をふくらませ、それを叶えられるフィールドとして価値ある存在であることがあらためて確認されたと言えるでしょう。 スポーツをテーマに「書く」ということは、スポーツの世界で繰り広げられる多種多様な事象を、読む人の心にいきいきと甦らせることのできる高度の娯楽性を基盤に置きつつ、客観的な報道性(記録性)と時流に迎合しない批評性を併せ持った文章によって、人々にスポーツの真価を伝えることです。それはスポーツの文化性をより高めるために必須の営みだと言えます。 今年度で21回目を数える「ミズノスポーツライター賞」は、「スポーツの世界を文字で描き伝える」スポーツライターの業績を顕彰するわが国唯一の賞として、その価値と使命がいよいよ大きなものとなってきています。本年も21世紀のスポーツ界とスポーツ文化のさらなる発展に寄与することを目的として、スポーツ報道とスポーツ・ノンフィクションに関する優秀な作品を広く公募いたします。
[対象領域]
【2013年1月1日〜12月31日】に発行・出版・発表されたもので、主として新聞・雑誌・単行本等に掲載された個人もしくはグループで書かれたスポーツ報道、スポーツ評論、スポーツノンフィクション、など。ただし、インターネット上のウエブサイトなどで発表されたもの、社内報や広報誌等一般に販売されていないもの、一般の者が入手不可能な機関誌的なもの、翻訳書や専門学術書・誌、研究紀要等に掲載されたいわゆる学術論文はこの対象からは除く。
[表彰内容]
★最優秀作品 1本 (トロフィー / 賞金100万円) ☆優秀作品 2本 (トロフィー / 賞金 50万円) [選考委員]
委員長 | 岡崎 満義 | 元(株)文藝春秋取締役・「ナンバー」初代編集長 |
委 員 | 杉山 茂 | スポーツプロデューサー/元NHKスポーツ報道センター長 |
| ヨーコ ゼッタ−ランド | スポーツキャスター |
| 高橋 三千綱 | 芥川賞作家 |
| 上治 丈太郎 |
(公財)ミズノスポーツ振興財団副会長/ミズノ(株)代表取締役副社長 |
※敬称略・順不動
[ 応募要領 ]
作品の主旨および筆者名(担当記者)あるいは担当班とそのメンバー名、連絡先を記載の上、新聞・雑誌は作品のコピー3セット(A4サイズ/必要に応じて他サイズも可)、書籍は3冊を同封の上、お送り下さい。応募に際しご不明な点がございましたら選考事務局までお問合せ下さい。
●締め切り(消印有効):2015年1月9日(金)
●発表 :2015年3月4日(水)
●表彰式 :2015年4月23日(木)グランドプリンスホテル新高輪
【お問い合せ先】
「ミズノ スポーツライター賞」選考事務局
〒151-0053 東京都渋谷区代々木2-16-15 代々木フラット401 スポーツデザイン研究所内
TEL:03(3377)4858 / FAX:03(3377)5028
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