ミズノスポーツライター賞 受賞作品

第27回/2016年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)

 『スポーツ新考 地域戦略を探る』
  山陽新聞社 スポーツ企画取材班(発行:山陽新聞社)

選評:
 2016年元旦に掲載を開始し、6月24日まで8部構成で展開した大型企画である。第1 部「この指とまれ」が13回、第2部「輪になろう」が8回、第3部「大空の下で」が10回、 第4部「きょうも元気で」が8回、第5部「ともに進もう」が8回で、それぞれしめくくりと して有識者などへのインタビューを載せた。その後、提言編として6回、番外編が3回ある。
尚、プロローグとして「熱源」と題した記事が最初に5回掲載された。
 この連載は重量感のある大作だが、まず企画としての「建て付け」がしっかりしている点を 評価したい。1~5部のしめくくりには有識者の意見を示すことで「くぎり」とし、ストーリ ーを次のテーマに引きずらない工夫がされている。全国的に高まるスポーツ熱を競技力向上だ けでなく、地域社会に生かすことはできないだろうか、という発想からこの連載は始まる。ス ポーツチームやイベントを“公共財”“地域資源”として捉える新しい考え方に沿って、「感 動を共有することで生まれる一体感など新しい価値観を考察するとともに、地方都市の課題解 決につながる手だてを掘り下げ、発信する」と連載初回に目的を記しているが、それが十分に 果たされた記事になっていると思う。いずれにしても久方ぶりの新聞部門での力作であり、地 方紙が地域の暮らしを見据えて、じっくりと取り組んだ企画ものとして今後のモデルにもなり 得る作品といえる。

■優秀賞

 一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート (角川書店単行本)
一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート (角川書店単行本)   
  上原 善広(うえはら よしひろ)(発行:角川書店)

選評:
 やり投げで1984年のロサンゼルス五輪、1988年のソウル五輪に出場し、1996年 に34歳で現役を引退したアスリート、溝口和洋。本書は、大阪体育大学で一時期円盤投げを やっていた著者が、溝口の強烈な個性と競技をとことん極める姿勢に惹かれ、18年にわたる 付かず離れずの付き合いから溝口の評伝を彼自身になりかわって一人称文体で書いたもので ある。その実験的な方法論といい、やり投げという競技をとりあげたことといい、これまでの スポーツ・ノンフィクションにはなかったタイプの作品である。
 執念と怨念で技術面でも様々な工夫をし、世界で初めての試みを自分のものにしていく溝口。
すべて、コーチは置かず、一人で。トレーニングパートナーや通訳もしてくれるトレーナーは いたが、コーチの助言を求めず、他人に何を言われようが、自分が納得すればそれを貫き通し た。あえて自分から壁を作って愚直とも哲学的ともいえる姿勢で競技に取り組む、その姿から、 今はほとんどいないであろう「最後の無頼派アスリート」。究極の「この一投」に賭ける破天 荒な生き方は溝口にしかできないものだった。「溝口はまさに『全身やり投げ選手』だった。
 彼が編み出したやり投げのためのテクニックとトレーニングは、そのまま彼自身の存在意義と 哲学にまで昇華されていた」(著者あとがき)ことがよく書き表された、とても面白い読み物 である。

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ミズノスポーツライター賞 受賞作品

第26回/2015年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)

 ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬
ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬
  竹之内 響介(たけのうち こうすけ)(発行:東京新聞出版局)

選評:
 1936年のベルリン・オリンピックで、初参加の日本のサッカーが優勝候補のスウェーデンを緒戦で撃破するという大番狂わせを演じたことはあまり知られていない。サッカー草創期のこの元気の出るエピソードを紹介しながら、その後に続く戦争の悲惨を見つめ、チームの主将だった竹内悌三の悲劇と、それに続く心温まる因縁話を陰影深く描いている。
 本書の特色は物語の構成が重層的で、考え抜かれた展開になっていることであろう。主軸になるのは日本サッカー史の一局面で、忘れられかけていたベルリン・オリンピックでの目覚ましい活躍の記録を発掘し、資料や証言を抜かりなく配して生き生きと再現し、サッカーにおける『ベルリンの奇跡』を描いて成功している。
 多くの関係者の証言が利用されているが、特に現役最高齢のサッカージャーナリストで、2015年に日本で初めてFIFA会長賞を受賞した賀川浩氏のインタビューに負うところが多いとして、氏を「監修」という位置づけにして表紙に明記しているのも礼儀正しい配慮と言えよう。

■優秀賞

 広告を着た野球選手: 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦
広告を着た野球選手: 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦
  山際 康之(やまぎわ やすゆき)(発行:河出書房新社)

選評:
 戦前の日本プロ野球の黎明期において人気を集めた球団「ライオン軍」と、球団スポンサーとなったライオン歯磨の物語である。著者は1960年東京生まれのインダストリアル・エンジニア。現在は東京造形大学教授でサステナブルプロジェクトが専門である。多くの著書があるが、いずれもプロダクト・デザインの領域の専門書で、スポーツライターではない。著者が専門外の領域で、持ち前のち密さを生かして世に出したひとつの研究成果である。
 プロ野球黎明期の人間模様や、試合を紹介しながらも、プロスポーツだからこその柔軟性や一般企業との関係性を浮き彫りにしたユニークなノンフィクションである。テーマはネーミングライツビジネスの原点であるが、スポーツチームのスポンサーになっても、選手起用や作戦はもちろん、球団経営には口を出さないライオンの姿勢は潔い。スポーツマーケティングの視点からもたいへん興味深い、示唆に富んだ一冊である。

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ミズノスポーツライター賞 受賞作品

第25回/2014年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)

 洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光
洲崎球場のポール際 プロ野球の「聖地」に輝いた一瞬の光
  森田 創(もりた そう)(発行:講談社)

選評:
 洲崎遊郭で知られた江東区東陽町の一角に昭和11年から13年までの間、折から誕生したばかりのプロ野球の専用球場として作られ、「大東京軍」の本拠地であった洲崎球場が存在していた。プロ野球史からほとんど忘れ去られたこの球場の誕生から放棄までの1年7カ月の歩みを丹念に掘り起こし、草創期のプロ野球を取り巻く多彩な人々の生きざま、そして戦争の影におびえながらも大衆文化が花開いていた当時の世相を浮かび上がらせる。
 プロローグとエピローグの間を9つのイニングで構成している。
 まずは「洲崎球場」なるものがあったことを紹介し、1イニングは「洲崎散歩」。かつての歓楽街「洲崎パラダイス」の紹介と、地図と写真を添えた親切な現地案内。2イニングは昭和10年にタイムマシンで飛んで当時の世相、消費生活の発展とその陰に忍び寄る戦争の影が語られ、プロ野球前史として六大学野球の大人気とプロ球団への模索、ベーブルース来日の熱狂の中で「職業野球」と蔑視されながらもプロ球団が結成される事情が要領よく語られる。 3イニングでいよいよ「大東京軍」の登場。正力松太郎が仕掛けたプロ野球リーグの殿(シンガリ)に国民新聞(創設者は徳富蘇峰、当時は政府系新聞として有力紙の1つだった)が読売の巨人軍に対抗して部数拡大を目指してプロ球団設立に名乗りを上げる経緯が語られる。経営陣には警視庁OBの大物が並ぶ大東京軍だったが、選手集めは難渋、オープン戦の戦績は散々。4イニング、新聞と鉄道がスポンサーになって7つの球団が結成され「日本職業野球連盟」が発足し、いよいよ洲崎球場の誕生となる。ところがこれが海岸べりの埋め立て地に仮設のスタンドを置いただけのおんぼろ球場。グランドはゴロが止まってしまうほど湿っぽく、外野席の下は大潮の時には海水が浸入してくることもあった。著者が復元した洲崎球場の200分の1模型の写真が目を引く。5イニングでは、いよいよ始まったリーグ戦での各球団の動きが丁寧に描かれる。当初連戦連敗だった巨人が名投手沢村の活躍で勝ち進み、関西の雄・阪神と優勝争いになる。6イニングはその決戦の場となった昭和11年秋の「洲崎シリーズ」の様子が当時の新聞記事を使って生き生きと描かれる。阪神は巨人に敗れて崖っぷち、他方、ぼろ負け殿軍団だった大東京軍は監督に小西得郎を得て善戦、洲崎球場は人であふれかえった。志村正順のラジオの実況が人気を博し、詩人の西條八十が観戦記をよみうりに載せ、判事の娘が熱列なファンになって新聞に野球評を書き、選手とミス東京の恋が話題になるなど、楽しいエピソードのあれこれが紹介される。7イニングでは巨人―阪神の死闘が語られ、沢村の3連投で巨人が初優勝。「伝統の一戦」の起源がここにあることが示される。巨人・沢村vs阪神・景浦はじめ宿命のライバルの戦いぶりが語られる。8イニングはリーグ2年目の昭和12年の動き。8球団になって総当たり式の現在のペナントレースの形ができる。スター選手が活躍してプロ野球人気は高まるが、日中戦争が始まって兵役に取られる選手も出てくる。スタルヒンなど青い眼の選手たちのエピソード。そして後楽園球場の建設が始まる。最後の9イニングは後楽園の完成とともに洲崎球場が見捨てられていく経過が語られる。沢村はじめ多くの選手たちが徴兵される。洲崎球場は高潮でついにグラウンドに海水が流入し、前代未聞の「水没コールドゲーム」になったという。この試合にデビューしたばかり川上哲治がいて、その逸話を93歳の川上本人から聞き出している。こうして洲崎球場は短い命を終わり撤去されるが、それがいつだったのか正確な記録は見つかっていない。エピローグで著者は多くの名選手が戦争から帰ってこなかったことを記し、プロ野球隆盛の今日、その草創期に必死に戦って報われなかった若者たちを忘れてはならないと訴えている。
 文句なく面白い。忘れられた洲崎球場についての著者の探索は、当時の新聞雑誌の渉猟はもとより、資料や古地図を当たり、川上はじめ生存者の証言を聞き(特に試合を見た当時の少年たちの話が貴重)、新聞の載った球場の航空写真をもとに復元模型まで作ってしまうのである。文章は読みやすく(少し凝り過ぎの表現もあるが)、試合の様子など、新聞記事をもとにしているだけに迫真の表現である。ファンのヤジや選手の珍プレーで球場全体が笑いに包まれた場面の紹介など、プロ野球観戦が大衆芸能と近い所にあったことを感じさせる。他方、昭和10年前後の表面的には陽気な世相の背後で戦争が着々と進行し、選手たちもその渦に飲み込まれていく流れをしっかり見据えている。観戦者にもよく目配りされている。観るスポーツはファンがいてこその盛り上がりがある。学生野球が全盛だったとはいえ、職業野球も「新しもの好き」を集めたようだ。歌手の灰田勝彦、作家の林芙美子、歌舞伎の尾上菊之助、劇作家の川口松太郎など有名人がスタジアムに足を運んだようである。一方、今と同じように野球選手は女性にもてたようだ。セネターズで守備に定評があった苅田はミス東京と結婚。大東京のライト水谷はミス高島屋と結ばれた。また、松竹歌劇の小倉峰子はタイガーズの4番小島とつき合い、めでたく結婚したそうである。また、野球の面白さに夢中になり、何度も観戦に訪れた元祖野球ガールの存在も微笑ましい。スポーツ少年だった著者は、現在は電鉄会社のサラリーマン、この著作が処女作だという。 惜しむらくは、細かな疑問符のつく表現が多々目についたことだ。編集者がもう少し丁寧に目を通すべきではなかったか。
 とは言え、プロ野球史の欠落を埋めるという点からも、楽しい読み物になっているという点からも、また全くの新人の快作という点からも受賞作として押したい。

■優秀賞

 球童 伊良部秀輝伝
球童 伊良部秀輝伝
  田崎 健太(たざき けんた) (発行:講談社)

選評:
 日米のプロ野球で活躍した伊良部投手が自殺したのは2011年の夏だった。次第に過去のものとなってゆく。出版社を経てノンフィクション作家になった著者の田崎氏にはサッカーを扱った作品が多いが、ロサンゼルスを訪れて団野村の事務所で働いている星野太志と会った折に話題に上った伊良部に興味を持った。改めて星野のアレンジで伊良部にインタビューするチャンスを得た田崎氏は、結果として最後の取材者となってしまった。本書は自殺2ヶ月前に取材した同世代の著者が、伊良部のことを書いておきたいという一種の使命感に突き動かされて、彼を知る人間を訪ねて取材しまとめた伊良部秀輝伝である。それはまた著者が自ら書いているように、「伊良部を追いかける旅」でもあった。一人称で書かれた「はじめに」で、読者は著者を道案内に旅に出、並はずれた浮沈を繰り返す伊良部の人生を見せてもらう。そして、最後に再び一人称の「あとがきにかえて」で、著者と読者の旅が終わる。
身体がでかい、剛速球投手。不遜な態度。暴れん坊。現役時代の伊良部のイメージはあまり芳しくない。一方、実力に関しては誰もが認める存在だった。尼崎での小学校時代から始まり、香川の尽誠学園時代、ロッテ時代、アメリカ・メジャーリーグ時代、阪神を経て独立リーグへ、そしてロサンゼルスの自宅で突然自分の人生に幕をひいてしまう最後と、著者は42年の伊良部の野球人生を、その時代時代で彼と交流のあった鍵となる人物に取材してたどっていく。著者が多くの資料にあたり、たくさんの関係者に取材して見せてくれた伊良部は、繊細で傷つきやすく、人見知りする知的な男だった。一方、自己中心的でカッとすると前後の見境がつかなくなり、後悔しても謝り方を知らない子どもでもあった。広岡や重光オーナーとの確執、ヤンキース入りを巡るゴタゴタでは、その後の日本人メジャーリーガーへの道を開いたポスティングシステム導入に至った経緯も書かれている。伊良部側に立った見方だけで物語が進むこのあたりは、異論を唱える人もいるかもしれない。だが、伊良部から見るとこうだったのだ、ということだけは著者は書きたかった。ヤンキースでの一時の輝き、その後どんどん暗転していく人生。野球に行き詰まり、酒でたびたび問題を起こし、家庭が破綻した。子どもの頃から精神面で不安定さを持つ危うい男に、相談相手がいないわけではなかった。だが、結局は一人で死んでしまった。
丁寧な取材から見えてきたのは、伊良部の身体と精神のアンバランスさである。幼児期からの実体験のためか、猜疑心に突き動かされるような生き方をしてきた。そして、読者に投げかける疑問符のひとつが実の父親の存在である。ほとんど誰にも胸襟を開くことのなかった伊良部の心の底には、消し去ることのできない出自へのわだかまりがあったのだろう。そのわだかまりが力で相手を圧倒しようという生きざまとなって現われたのか。著者はそのアメリカ人の父親にも会っている。ベトナム戦争の後遺症に苦しみ、精神的に不安定になった時期に伊良部の母と連絡がつかなくなったのだと言う。ヤンキース時代、テレビを見て自分の息子だと信じ、キャンプ地のタンパを訪ねて父子の対面を果たした。自分にアメリカ人の血が入っているなど思ったことはないと言いながら、小学生のときからヤンキースに入ると決めていた伊良部には、やはり父親に会うためにはアメリカへという思いもあったはずだ。だが父との対面で父の心の弱さを知り、自らの不安を増大させたのか。この出会いがギリギリ保たれていたアンバランスに致命的な崩壊をもたらしてしまったのかもしれない。
 本書は登場人物が多すぎ、混乱する場面がいくつもある。それらの人物の背景まで語られるのは余計に感じるが、その背景を持った人物だからこの伊良部とこういう関係を作ったのだ、と納得させるためには必要だと著者は思ったのか。
ネガティブなイメージをまとって逝ってしまった伊良部秀輝だが、その一生はピッチャーマウンドという孤独な聖地に立ち、あらゆることをはねのけようと全力投球をした人生だった。だから投球術の習得にはことさら熱心な勉強家でもあった。野球がやりたいという気持ちだけは常に持ち続け、必死に自分の居場所(投げられる場所)を求めてもがいている伊良部の生き方が痛々しくさえ感じられる。
 足で歩いて、話を聞くという手法自体は、人物ノンフィクションとしてオーソドックスなものといえるが、著者は、〜した。〜した。と短い文を連ねて、淡々と語るその文体によって、伊良部の素顔に立体的にさまざまな色を重ねていく。著者の精力的な取材活動と構想力により、伊良部秀輝の墓標に一条の光があたったかのような一冊である。まさにスポーツノンフィクションという出来栄えであり、候補作として充分評価の対象となると思われる。

■優秀賞

 毎日新聞朝刊に掲載された故大島鎌吉氏の半生を描写した署名連載企画
『五輪の哲人 大島鎌吉物語』
  滝口 隆司(たきぐち たかし)(発行:毎日新聞東京本社運動部)

選評:
 毎日新聞朝刊2面に2014年11月4日から12月20日にかけて掲載された故大島鎌吉氏の半生を描写した署名連載企画である。全35回の本件は、長期連載シリーズ「戦後70年に向けて」の第5弾という位置づけで企画された。  冒頭は記者が大島研究家として知られる伴義孝関西大教授を訪ねる所から始まる。伴は大島こそ「日本の生き方の問題に光明をもたらす」存在だと連載への期待を述べる。以下、時代を追って大島の足跡をたどり、それぞれの時点での社会とスポーツの関係が問い直される。ロサンゼルス大会の三段跳び銅メダリストだった大島は、当時、日本の植民地にされていた朝鮮人選手への差別と闘う文字通りの「旗手」(ベルリン五輪の選手団旗手)でもあった。戦争中は毎日新聞記者としてドイツに止まり、ベルリン陥落の瞬間をいち早く本国に打電した。戦後はスポーツ記者として活躍しつつ『オリンピック物語』という青少年向けの本を書いて平和の夢を語り、日本のスポーツの国際大会への復帰をめざし、大学スポーツ(後のユニバーシアード)の支援に情熱をもやす。さらに近代オリンピックの研究 に手を染め、クーベルタンやカール・ディームのオリンピズムを紹介する。この理念を土台に東京オリンピックの招致活動に加わり、培った人脈を生かして世界各国のアスリートに働きかけて票集めに成果を上げた。招致が決まると選手強化計画に携わり、金メダル15個の公約を掲げて、何と1個余分に達成した。大会では選手団長を務めている。オリンピックの表と裏で縦横の活躍を成し遂げたのである。
 オリンピック後は、日本人の生活にスポーツを定着させる国民運動に関わる。スポーツ少年団を組織して子どもたちにスポーツの楽しさやすばらしさを体験させることを目指す。市民に対してはドイツの「第2の道」に倣った健康づくりのための「トリム運動」を推奨する。教育界に入って大阪体育大の副学長として職場の体力作りをめざす「生産体育」を展開する。他方、米ソの対立からモスクワ五輪ボイコット問題がおきた1980年にはJOCは参加すべきだと主張、総会で敗れた後も自費参加の道を探っている。ノーベル平和賞を受けたただ一人のスポーツ人であるノエルベーカー卿を招き、名古屋オリンピック招致が失敗した時には、台頭する第3世界の力を評価し、平和の祭典であるオリンピックをアフリカで開催して「五輪の輪」を完結させる夢を描いた。自身も1982年にオリンピック平和賞を受け、85年に亡くなっている。連載の最後は2013年に『大島鎌吉の東京オリンピック』を上梓した岡邦行の活動を紹介し、岡が関わっている反原発運動も大島の精神を受け継ぐものであることを示唆して終わる。
 本連載は世に知られた存在とは言い難い大島鎌吉の来歴、行動、思想を紹介するものであるが、根底にあるテーマは「平和」である。「戦後70年に向けて」の大型連載の一つとして、世界の平和のためにスポーツは貢献できる、世界中の青少年をスポーツで結び親善と友好を促進するのが五輪精神である、という大島の思想を今改めて紹介しており、それは2020年に向けての提言ともなっている。
 昨年度刊行された岡邦行氏の「大島鎌吉の東京オリンピック」と重複する記述も多いが、字数制限のある連載企画のなかで毎回一つのテーマで大島の五輪経験、戦争体験、思想の深化、ぶれずに守り続けた思想などを要領よく紹介している。大島は1985年に亡くなっている。ブランデージ、アマチュアリズムなど今の五輪からすると次元の違う話のようなものもあるが、数々の大島論文を読み、関係者を取材する中で著者は大島のスポーツ思想を解くキーワードは世界宗教であり、「オリンピックはフェアプレーを信じる世界中の人々の願いが集まる宗教」なのだと読み解く。4年間の平和運動を世界の人々が祝う場であり、オリンピックは「開催する」ものではなく、「祝福する」と表現すべきだと大島は考えた。新聞は五輪=メダルという所ばかりを報道する。戦争は相変わらずなくならない。それでも、五輪の根底には、スポーツで集うことで親善を深め平和に寄与するという目的があり、またスポーツには確かにその力がある。その力を信じてスポーツの可能性に賭けた古い「哲人」を紹介することで、オリンピックの原点を見つめ直し、考えさせる連載になっていると思う。
 改めて感じさせられるのは大島鎌吉の「すごさ」である。彼こそオリンピック精神を体現して生き通した稀有な人物であり、哲人にしてスポーツマン、その上、世界的な視野に立った社会運動家であった。それなのに大島のことが忘れられかけているというのは解せない話である。2020東京オリンピックの根底を支える理念を点検し、オリンピック・レガシーを検討する上で大島の功績を無視することはできまい。新聞連載としては、時宜にかなった課題を提起する久々の力作だと言っていいだろう。

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ミズノスポーツライター賞 受賞作品

第24回/2013年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)
 アイスタイム 鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日

 アイスタイム 鈴木貴人と日光アイスバックスの1500日
  伊東 武彦(いとう たけひこ)(発行:講談社)


選評:
 本書は、アイスホッケー日本代表のキャプテンを長く務めた名選手、鈴木貴人を軸に、鈴木が選手生活の最後に活躍した日光アイスバックスの闘いぶりと選手たちの群像を描き、その背景に日本のアイスホッケー50年の歴史を浮かび上がらせた、なかなか手の込んだ労作である。第一章暗闇、第二章変化、第三章時代、第四章逆襲、第五章断裂、第六章薄明と章立てされており、章のタイトルは鈴木とアイスバックスのその時々の境遇に即したものとなっている。
 栃木県日光市に本拠をおく古豪、古河電工アイスホッケー部が廃部を発表したのは1999年1月。存続を求めるファンは4万を超える署名を集め、アイスホッケー界、地元自治体、古河電工の支援のもとに日光アイスバックスが1999-2000シーズンに誕生した。財政は常に危機的状況にあり、給料は遅配、成績も上がらない。そんななか、コクドと西武鉄道という名門チームが合併して出来たSEIBUプリンスラビッツが2009年に廃部になり、日本を代表するフォワードの鈴木貴人がバックス入りした。バックスの監督は、鈴木と同年齢で苫小牧での小学生時代からのチームメイト、村井忠寛であった。
 えのきどいちろうとセルジオ越後が経営に参画して好転を期したが果たせず、2010年には吉本興業の傘下にあるスポーツマーケティング会社を経営する、ライセンスビジネスの専門家がチームディレクターに就任する。
 日本のアイスホッケーは札幌五輪に向けての選手強化を目的に1966年に日本リーグが始まり、1970年代に黄金期を迎えた。堤義明が1972年に国土計画アイスホッケー部を作り、73年に日本アイスホッケー連盟会長に就任。75年の優勝決定戦はリーグ代々木競技場に1万2千人が集まり、77年の世界選手権でも代々木競技場は最上部まで埋まった。日本代表は五輪にも出場、世界は遠いものではなかった。同じ頃、サッカーは平均1千人の観客しか集まらず、W杯予選、五輪予選も5回連続敗退とどん底を味わう。しかし、プロリーグ化へと舵をきっていくサッカーと徐々に立場が逆転し、明暗がはっきり分かれて行く。そして2004年、堤が失脚した。
 2011-12シーズン、財政が安定した日光アイスバックスは補強に成功し、開幕6連勝を飾って、初めてアジアリーグのプレーオフに出場。さらにはファイナルに進出して、最終戦で同点に追いつく。その後突き離されて惜しくも2位で終わったが、2千人で満員の霧降アリーナは同点だった数分間に至福を味わった。
 翌季、経費節減のための主力の放出、残った主力の相次ぐケガでバックスは低迷する。シーズン終了後、村井監督は辞任。肉離れで大事な局面でプレーできなかった鈴木も引退を考える。
 2013年4月、世界選手権ディビジョンIAでの代表を最後に、鈴木は引退した。
 出来事を追ってあらすじに起こせば、このようになる。しかし、本書の魅力はこのあらすじにはまったく表れない。それは一見未整理に見えるユニークな叙述の構造によるところが大きいからだ。
 第1に、アイスホッケーの試合描写がある。本書のタイトルの「アイスタイム」とは、アイスホッケーで選手が氷上でプレーする時間のことだが、選手交代が頻繁に行われるアイスホッケーでは1回がたった40~50秒のアイスタイムを1試合中に何十回も繰り返し、チャンスとピンチが目まぐるしく訪れる。ここで著者は「・・・した」「・・・だった」と「た」を重ねて畳みかけるように話を進め、これがまさにアイスホッケーの試合展開によく見合っている。随所に展開される実際の試合運びの描き方はまるで実況放送を聞いているようで無駄がない。アイスホッケー初心者に向けての注釈も付記され、アイスホッケーをまったく知らない者でも、迫力やスピード感を想像できる。
 第2に、そこに登場してくる多くの選手たちについてその生い立ちや戦績、思いの丈や悩みが語られる。ここは周到な調査やインタビューが裏付けになっていることが伝わってくる。そして第3に、もう少し引いて、日本のアイスホッケー誕生の経緯やその後の展開、サッカーとの比較、チームの経営、ファンの動態、さらには堤義明の功罪など、大きな話題が出てくる。この3つの次元が次々と連鎖して展開し、試合から選手へ、さらには経営問題へ、再び試合へというように行きつ戻りつする。これは一面、混乱を招くようにも見えるが、読んでいるとむしろ自然に話題の発展についていける。試合だけを延々と書き綴るのではなく、今シュートしたその選手はこういう人なんだ、という語りの広がりを楽しめる。あまりに登場人物が多くて混乱する読者もいるだろう(巻末に登場人物紹介が付されている)が、退屈しないで読み進められることは確かだ。
 霧降アリーナは2千人しか入らないが、アイスバックスのファンは事あらばすぐに募金活動で数百万を集め、贔屓選手のジャージのオークションには大枚をはたく。どの選手にもファンがいて、アリーナは勝ち負けに関係なく盛り上がり、幸福感が漂っている。他のプロスポーツやエンタテインメントを見て来たチームディレクター日置は、バックスは一種の宗教のようなものであり、霧降アリーナは神社なのではないかと仮説を立てている。その教義は、勝敗は別にして最後まで諦めない気持ちを持つこと。たまにしか勝てなくても、最後まで戦う姿勢に人々は共感し、選手と一体になって試合に我を忘れる。地域のプロチームの一つのあり方、サポーターとの一体感の作り方を日光アイスバックスは例示しているのかもしれない。
 世界が遠いマイナー競技、恵まれない待遇、そんななかでもプレーを続ける選手たちはどんな人たちで、アイスホッケーの何が魅力なのか。著者は多くの材料を提供して読者に伝えようとしている。
 著者は元『週刊サッカーマガジン』編集長で、『AERA』でも人物評伝を手がけた人だけに、試合描写、人物描写ともしっかりしており、乾いた筆致は好感が持てる。
 冬季五輪を前にした時期の作品であり、女子代表チームの活躍で興味を持った読者に、さらにアイスホッケーへの関心をつなぐ出版である。

■優秀賞
 アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた

 アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた
  小国 綾子(おぐに あやこ) (発行:径書房)


選評:
 元新聞記者の母親と小学3年生の野球少年の息子は、父親(新聞記者)の海外赴任に伴い、2007年9月から4年間アメリカで暮らすことになった。息子はアメリカの少年野球チームに入ることにするが、言葉の壁、文化、価値観のギャップ、きびしい競争、親子は想像もしなかったさまざまな試練に直面することになる。本書は、そんな親子のアメリカ異文化体験記であり、過去にはあまり類似作品のないジャンルの秀作である。
 著者一家が暮らしたのは、ワシントンDC郊外のメリーランド州ロックビル市。美しい天然芝が標準装備のアメリカの少年野球場に心を躍らせたのもつかのま、息子太郎(仮名)は、英語をしゃべろうとせず、サイレント・ピリオド(沈黙の期間)は延々と続いてなかなか友だちができない。ようやく春の野球シーズンが訪れ、著者は期待に胸をふくらませ息子を近隣の少年野球チームに登録するが、日本とは異なる少年野球のシステムに当惑する。アメリカにはリトルリーグだけでなく民間団体などのさまざまな野球リーグがあり、そのなかも娯楽目的、楽しむ野球が中心のレクレーションチーム(レクチーム)と、トライアウト(選抜試験)に合格した子達が所属し、地元のリーグには参戦せず州外などに遠征してトーナメント大会に出る競技志向のより強いトラベルチームとに分かれている。選択肢がたくさんあり、自分の子どもに何が最適かを考えるのは親の責任、親の情報収集力やコミュニケーション能力が問われる。レクチームとトラベルチームとの技術の差は歴然、当初はレクチームに息子を入れた両親だったが、悩んだ末、紆余曲折をへて翌シーズンからトラベルチームに入れることになる。
 それからも親子はさまざまな困難に直面するが、それはアメリカのスポーツ、アメリカの価値観に対する新鮮な驚きを伴うものでもあった。集中と積極性(フォーカス&アグレッシブ)を強調するコーチングにおいては、アグレッシブであれば失敗してもGood try!としっかり誉める。客観的にみて上手いわけでもよい成績をあげたわけでもないのに自信満々な子どもたちは、はっきりと自己主張する。投げたい子は「ピッチャーをやりたい」とコーチにアピールする。そして、試合はもちろん練習にも必ずついてくるし、プロのコーチによる有料のプライベートレッスンを受けさせるほど熱心な野球パパたちの存在。父親たちと監督やコーチとのあいだで繰り広げられる選手起用をめぐる激しい衝突、チーム内の頻繁な選手の離脱や入れ替え、およそ日本では経験したことのなかった状況に直面し、それに巻き込まれるなかで、親子は葛藤しながらもアメリカの少年野球に少しずつ馴染んでいく。それは自分が活かされる「居場所」を求めて自分でチームを選び、それも何度も選び直すことが可能で、チームメイトと出会ったり別れたりを繰り返しながらしなやかに強くなっていくアメリカの少年野球の価値観を、親子が発見し、受け入れていく過程でもあった。
 著者の文章は歯切れが良く、読者を作品の世界にスムーズに引き込んでゆく。息子が当初アメリカでの暮らしや学校になかなか馴染めないことに暗澹とし、試合での活躍や失敗に一喜一憂し、トライアウトに落ちたりスランプに陥ったりして暗い表情の息子に胸を痛める母親の心情も率直に綴られている。しかし、著者の文章は、平易で率直な語りのなかにも客観的な分析視点が据えられていて、母親としての主観と記者としての客観的な叙述が程よく調和しており、それが本書を単なる一家族のアメリカ体験記を超えたすぐれた日米比較スポーツ文化論にもしている。読者は、この親子の体験を通じてアメリカの少年野球の実情を知る一方、改めて日本の少年野球を含めた子どもたちのスポーツへの関わり方、ひいては子育てや親子関係についても考えさせられる。
 日米の異文化交流、異文化体験が語られた書物は数多い。だが、少年野球を切り口にした本書は、まず著者の驚きを読者が容易に共感できる。そして、理解が深まり、野球の技術があがり、気がつくとサイレントピリオドの長かった息子は「お前、日本語なんてわかるの!?」とチームメイトに言われるほどになり、と母子の成長もわかりやすい。そしてその間に、読者に日本の少年スポーツや文化の違いを考えさせ、最後はスポーツの価値を改めて示している。著者は家族からいいテーマをもらった。
 前半は彼我の違いの目立つ叙述が多いが、アメリカの野球に親子一体になって打ち込むうちに、文化の違いを越える人間としての共通の地金がだんだんと見えてくるのがこの作品の面白い所でもある。子どもに期待を寄せ、その一挙手一投足に一喜一憂する親の情は変わりがない。自分の子ばかりでなくチームメイトにも気配りをしてやさしい言葉を掛ける親もいるし、親同士お互いに批判し合って傷つき、メールで慰められれば涙を流すような繊細さはもちろんアメリカ人にもある。親の批判を受けて辞めたトニーコーチとの再会の話などは、なかなかしんみりさせられる。
 近年、ますます指摘されることの多い日本人、特に若者のコミュニケーション能力不足の問題が頭をよぎり、太郎がたのもしく感じられる。文武両道とか、心身を鍛えるといった日本の伝統的な価値観、あるいは、体育・スポーツの意義といった表層的な指摘ではなく、エリートでもなんでもない一人の少年が育っていったプロセスでスポーツが有形無形の力を与えたという現実は嬉しい限りである。

■優秀賞
 国立競技場の100年: 明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ

 国立競技場の100年: 明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ
  後藤 健生(ごとう たけお)(発行:ミネルヴァ書房)


選評:
 90年前に竣工した国立競技場(当時は明治神宮外苑競技場)は日本のスポーツのメイン会場として多彩なスポーツイベントが行われてきた。本書は競技場という「場」に焦点を当てるというユニークな手法で、そこで展開されたスポーツの内容とそれを生み出した社会と人間のありように目配りした近代日本スポーツ史である。
 全9章で構成されるが、その要点は以下の通りである。
・第1章 明治神宮の造営と競技場
 明治大帝のモニュメントとしての明治神宮造営がどう行なわれたかを検討する。日本最大の「スポーツ・コンプレックス」を作るという構想に、明治から大正に入り、近代化の成果に自信を持って先進国の仲間入りをしようとする当時の人々の意気込みが感じられる。神宮の造営には青年団がボランティア参加して大きな役割を果たしたことが分かる。
・第2章 最新の設計思想に基づいた明治神宮外苑
 まずはスタディアム建設の歴史がギリシャ、ローマの昔から語られ、1920年代の世界的潮となった大規模スタディアムの建設に日本もまた参加しようと、最新の設計思想を導して検討が行われたことが語られ、競技場の基本的なレイアウトが示される。東の神宮に対する西の甲子園の建設事情も紹介している。
・第3章 明治神宮大会の開催と1920年代の日本のスポーツ
 ハードからソフトへ目を移し、完成した競技場でどんな種目が競われたか、トラック競技、2種のフットボール(いわゆるサッカーとラグビー)、その周辺の施設での武道、野球など当時のスポーツの全容が紹介され、プロとアマの問題、それまでの学生中心を脱して競技団体が育ってくること、文部省と内務省の確執(昔からやっていたのだ)等が話題となる。
・第4章 外苑競技場での国際大会、そして幻の東京オリンピック
 競技場は国際的なスポーツ交流の場となる。なかでも日比中を核とした「極東選手権大会」が注目された。特に第9回大会(1930年)は50万人の観客動員を成功させ、ここからオリンピックのロス大会、ベルリン大会を経て、1940年の東京オリンピック開催が決定する。
・第5章 戦中・戦後の明治神宮外苑と日本のスポーツ
 戦争の激化によりオリンピックは返上に至り、軍国主義化が急速に進む。スポーツはしだいに思想善導の道具となり、開戦後は軍事訓練の手段とされる。神宮競技場の出陣学徒壮行会に象徴されるように、スポーツそのものが否定され、敗戦を迎える。この章はそのまま占領軍に接収された競技場の使われ方に続く。スポーツが自立を失ったことは戦前戦後のこの時期の特徴だった。また、皇室とスポーツの関わりにも触れている。
・第6章 復興の槌音―国立競技場の建設
 敗戦後の復興と共にスポーツも息を吹き返す。それを主導したのは1958年のアジア大会の開催であった。大会に向けて競技場は解体され、新競技場の建設が始まる。その設計の考え方や完成までの歩みが辿られる。アジア大会は盛会のうちに終わるが、スポーツと政治の関係、南北朝鮮や中国―台湾の対立にスポーツは否応なく巻き込まれていく。
・第7章 東京オリンピックの開催
 アジア大会の成功をバネに、日本はオリンピック招致に向けて運動を続け、ついに1964年東京オリンピックの開催を勝ち取る。決定までの紆余曲折の歩み、競技場の改造、そして国を挙げてのオリンピックへの熱狂、東京大会の進行の様子、さまざまなエピソードが語られる。また、オリンピックを機に交通体系を始め、都市インフラの整備が飛躍的に進んだことが示される。
・第8章「企業アマ」からクラブスポーツへ
 オリンピックのその後、大会としては3年後ユニバーシアードがあったが、75000人収容のスタディアムをどう使っていくかが大きな課題となった。陸上競技では埋まらず、企業が支えるサッカーや、70年代後半からのラグビーが集客に貢献する。ブームが引いた後は93年に成立したJリーグが改めて競技場に客を呼び寄せた。しかし、2002年のワールドカップを最後の華として、それからは全国各地に大規模スタディアムの建設が進んで、国立競技場は岐路に立たされる。
・終章 2020年オリンピック開催と国立競技場の将来
 東京オリンピックの再来が決まり、競技場の建て替えが始まろうとしている。しかし、新スタディアム構想はデザインだけが先行し、これからの使い方は見えていない。

 スポーツの容れ物である競技場とその内容であるスポーツの動きを相互に関わらせながら語りを進め、さらにスポーツの背景となる社会の変化、もろもろの事件とそれをめぐる人間模様、さらに国際政治の変化、国家間の対立、戦争、その背後にある経済問題にも目配りして立体的なスポーツ史を書き切っている。競技場での主要なイベントに注目して時代区分を設け(明治神宮大会、極東選手権大会、アジア大会、オリンピック、ワールドカップ等)、大会の内容を通してその時代のスポーツの全体像を浮かび上がらせている。研究書として見たとき、構想が明確で、資料(参考文献、年表、事項・人名索引)も手堅く、充実している。もっとも、事実を淡々と積み重ねていく書き方で、なぜそうなったのかという解説や分析にはもう一つ突っ込みがほしい所もある。他方、スポーツ・ノンフィクションとして見ると、外苑競技場という舞台で、日本のスポーツ史を彩る競技やイベントがテンポ良く展開されて興味が尽きない。あたかも魔法の絨毯に乗せられて、青山練兵場あとの空き地に競技場が作られ、大勢の人々で賑わった大正時代から、空襲の日々を経て、青空の東京五輪開会式、華やかなJリーグ開幕、そして取り壊しを前にして最後のスポットライトを浴びている現在までのパノラマを見たような気がしてくる。

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ミズノスポーツライター賞 受賞作品

第23回/2012年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)
柔の恩人  「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界
柔の恩人 「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界
  著 者:小倉孝保(おぐら たかやす)   出版社:小学館

選評:
 今や世界中で親しまれている柔道。柔道は講道館を興した加納治五郎が柔術を改革して世に広めた日本固有の格闘技だが、そのグローバル化は必ずしも日本人の努力にのみ因るものではなかった。ましてや女子柔道は、日本の閉鎖性がその発展自体を阻んでいた側面さえある。本書は女子柔道の発展、とりわけ五輪種目への採用に尽力した一人のアメリカ女性の生きざまを描いた迫力に満ちた伝記である。全5章からなり、第1章「敗北」、第2章「出自」、第3章「修業」という前半では、主人公の半生がたどられる。第4章「奇策」、第5章「凱旋」は、彼女の活動を通じて女子柔道の組織化の歩みが語られている。
 主人公のレナ・ラスティ・カノコギはユダヤ系アメリカ人の女性柔道家である。競馬に明け暮れるだらしのない父親と、雑草のように強い母親のもとに1935年に生まれ、ニューヨーク・ブルックリンの貧しいアパートで育った。身体が人一倍大きく、気性が荒かったラスティは札付きの不良少女として暴力に明け暮れていた。ろくな教育も受けず16歳で電話交換手として働き出したが、その一方で非行を続け逮捕、拘置所送りとなった。その後結婚し、出産するも相手は重症のアル中で彼女自身も精神的に追い詰められてゆく。  そんなときに出会った禁酒支援ボランティアのメンバーが柔道を習っていて、その縁で地元の道場に通うようになった。この転機を作者は「…世界が、このときゴロンと音を立てて形を変えた。人並みはずれ、自分でもコントロールの利かないラスティの体力を、柔道が柔らかく受け止めた。女子柔道の種がニューヨークの地に蒔かれたのだった。」と表現した。今までの非行のエネルギーを稽古にぶつけた結果、体格で勝り、怪力のラスティは上達が早かった。そして1959年、YMCAが開いたニューヨーク州選手権に出場する機会が巡ってきた。ただし女性であることは隠してである。ラスティは相手を倒し、チームも優勝した。しかし、女性であることが露見し、それが理由で金メダルをはく奪されてしまう。アメリカでもまだまだスポーツ一般に女性が受け入れてもらえず、ましてや柔道は極めて男性中心の社会であった。ラスティにとってその出来事は自身がユダヤ人であるということと重なって大きな精神的な傷となると同時に、その後本人が持ち続ける闘う姿勢を植え付けることとなった。
 ラスティはさらに実力をつけ、周囲のサポートを得て日本の講道館へ「短期留学」するチャンスを得、柔道の神髄にさらに迫ることとなった。しかし一方で単なるお稽古事の域を出ず、闘いを求めない日本の女子柔道に違和感を持つことにもなった。滞在中に出会った日大の柔道家であった鹿子木量平がその数年後に指導者として訪米することとなり、再開した二人は結婚にこぎつける。二人は道場を経営しアメリカでの柔道の普及につとめる一方、ラスティは女性柔道の地位向上のために闘いを始める。
 ヨーロッパでは柔道が盛んで、女子でも一歩先んじていた。全米選手権に女子を加えたいと考えたラスティは交渉を重ね1974年に初の女子種目実現にこぎつけた。その後はヨーロッパの大会にアメリカチームを率いて参加するが、米国柔道連盟の援助が得られず自ら資金をねん出しなければならなかった。さらに女子柔道の完璧な市民権を得ようと五輪種目採用を目指すようになる。
 当時のIOC会長だったキラニン卿に果敢にコンタクトしたラスティは、女子柔道を五輪種目に加える条件として25カ国以上が参加する世界選手権の実現という言質を引き出した。そして1980年にニューヨークで第1回の世界選手権開催を実現させた。米国柔道連盟のサポートがない中、正に八面六臂の活躍で開催にこぎつけたのである。しかし、五輪はなかなか実現しない。IOCと国際柔道連盟の間で男子無差別級の是非を巡る暗闘がくりひろげられていたからである。その時期、連盟の会長に就任した日本の松前重義とラスティは気脈を通じ、それぞれがIOCに働きかけてゆく。そして一旦は不可能に見えたソウル五輪での公開競技としての採用を勝ち取ったのである。
 著者の小倉孝保氏は毎日新聞の記者で、現在は外信部に勤務し、海外駐在も長い。ニューヨーク特派員だった2008年に新聞記事からラスティの存在を知り、取材を申し込んだ。彼女は骨髄腫に冒され、余命2~3年の宣告を受けていた。一時期自伝を書くことも考えていた彼女だが、困難さを自覚し正確に書いてくれるなら、という条件で快諾してくれる。
 本書は読者に二つのことを伝えてくれる。ひとつは1960年第から今に至る柔道の歴史である。我々には柔道のある一面しか見えてなかったが、実にさまざまな経緯の中で今の柔道があることが理解できる。もう一つはラスティ・カノコギという一人の女性の生きざまから得られる感銘に近い感情である。ユダヤ人に生まれたこと。貧しい家庭で育ったこと。そして黒人はじめマイノリティが迫害を受けていた時代、女性の人権も現代とは比べ物にならないほど制限を受けていた時代に挑む勇気である。ラスティという人間はネガティブな要素を全て前に進む力に変えて果敢に切り開いてきた女性だ。座右の銘は、サイモンとガーファンクルが歌った「コンドルは飛んでゆく」の冒頭の歌詞でもある「釘になるな、ハンマーになれ」で、本書の帯でも取り上げられている。
 著者はジャーナリストらしく丁寧な取材と数多くのインタビューを積み重ね、厚みのある作品に仕上げた。伝記的な作品に見受けられる前半はゆったり、後半は走りがちな印象はあるが、ラスティの死期が近づくに従い切迫感をかきたてる効果がある。晩年さまざまな賞が贈られる。そしてその中に50年前のYMCAの試合ではく奪されたメダルの授与があるが、このくだりが本書のクライマックスであり、思わずグッとくる場面である。
 エピローグに女性差別と闘った同士であるビリー・ジーン・キングの言葉が紹介されている。「21世紀は女性の世紀だ。私たちは女性の成功の裏にラスティがいたことを決して忘れない。彼女は私のシーロー(Shero)だった(heroのheをsheに替えた)。」
 本書は小学館ノンフィクション大賞を受賞しており、すでに一定の評価を得た作品である。著者のあとがきによれば、ノンフィクション大賞に応募するためにかなり削った部分もあり、それによってかえって無駄な部分を省けたそうだ。図らずも、いろいろな意味でタイムリーな内容となってしまった側面もあるが、柔道を愛し、世界に広め、女子の差別と闘った稀有なスポーツ界の恩人の貴重な記録を残したことの価値は大きい。

■優秀賞

「弱くても勝てます」: 開成高校野球部のセオリー
「弱くても勝てます」: 開成高校野球部のセオリー
  著 者:髙橋秀実(たかはし ひでみね)   出版社:新潮社

選評:
 屈指の東大進学率を誇る東京の有名進学校、開成高校硬式野球部が、平成17年に全国高等学校野球選手権東東京予選でベスト16に進出した。興味を抱いて、平成19年、同校を取材した著者は、実際の練習風景を見てその「異常なまでの下手さ」に驚愕する。選手や監督に話を聞くと、「エラーは開成の伝統」と言われる。油断を誘う戦略の一環だという。
 では、なぜベスト16まで勝ち進めたのか。東大で野球をやりながら、院まで進んで開成の体育教師になった青木秀憲監督の「弱くても勝てる」セオリーとは次のようなものだ。10点を取られる前提で15点を取りにいくために、打順を輪で考える。勢いにまかせて大量点をとるイニングをつくり、ドサクサに紛れて勝つ。相手の攻撃を抑えられる守備力が開成にはないことを前提にした、一見ギャンブルのようにみえて実は理詰めで出したセオリーが、「ドサクサに紛れる」ということらしい。また打撃は、とにかく強く振って、振りまくる。球に合わせようとしてはダメ。いつか合うこともあり、確率の問題なのだから、「きっと合う」と思って思い切り振ればいい。「すべては基本動作から。そして基本動作は理屈から」と監督は常に理詰めだ。
 選手たちもまた、みな理屈っぽい。
 「僕は球を投げるのは得意なんですが、捕るのは下手なんです」と言う内野の2年生。なにげなく著者が「苦手なんですね」と相槌をうつと、すぐさま返ってきた彼の言葉が「いや、苦手じゃなく下手なんです」、「苦手は自分でそう思っているということで、下手は客観的にみてそうだということ。僕の場合は苦手ではないんだけど下手なんです」というよどみのない答え。国語の問題か?と思いながら、著者は「苦手」と「下手」の意味するところのちがいについて改めて考えさせられるはめになる。
 微苦笑を誘う著者と選手や監督とのやりとりが、そこはかとないユーモアを漂わせ、本書全体を楽しく読めるものにしているが、ほんわかムードの中にもキラリと光るメッセージがいくつも含まれている。『はい、泳げません』や『おすもうさん』という著者の過去の作品同様、今回も「超有名進学校の野球部」という着想のユニークさは際立っている。
 初めて開成野球部を訪ねてから4年。再び、著者は開成野球部の取材を開始する。4年前よりうまくなった守備に対し、打力は落ちた印象。何事も論理的に詰めないと納得できない生徒たちの印象はあいかわらず。著者は1年にわたってチームを見守り、練習試合にもつきあうが、勝つこともあるが大負けもあり、監督は怒り、選手たちは迷う。
 学校自体がのんびりしているという開成の選手たちは、練習中も、グラウンド整備中もまるで「寸暇を惜しむようにのんびり」し、何をするにも一歩出遅れるようだ。「出遅れるな」と監督に怒鳴られ、「出遅れてんじゃないぞ」と選手同士声をかけあう・・・と、声に出したことで自分たちの出遅れを確認したことになってしまい、ますます出遅れる。青木監督は苛立ちを深め、練習中ばかりでなく、練習試合でも公式試合でもベンチから罵声を浴びせ続ける。「人間としての本能がぶっ壊れている!」、「そんなんじゃ生きていけない!」。監督の言うことは正論だからと反発する者もなく、監督に言われたことをそのままやろうとするのが問題なのだ、と著者は思う。甲子園に行きたいかと著者が問うと、「行けるものなら行きたい」「結果として出られればいい」と答える選手たち。先回りして考え、論理ばかりが先行する。つべこべ言わずに振ればいいんだよ、と著者は言いたくなり、監督が罵声をあげる気持ちがわかったと書く。
 平成23年秋からのチームは、審判がキャッチャーに「しっかり捕れ」というほどレベルの低い野球しかできなかった。そこで監督は、「練習ではなく、実験と研究」だとして、取り組む考え方を変えさせる。理が勝つ開成生を導くには、言葉が必要なのだ。グラウンドの都合で週に1回しかない練習日を生かすべく、監督は一種独特の練習法も編み出す。曰く「必要十分」練習。数学の必要十分条件を踏まえて「各人が必要にして十分な練習をそれぞれに考えよ」というのである。理論先行、個人尊重、著者は「開成野球部の練習は体より頭が疲れる」と皮肉っているが、いかにも開成らしいスタイルではある。監督は試合の時に一切サインを出さない。「出しても選手がちゃんと見ていないから」というのだが、監督の指示のまま手足のように動く他のチームに比べて際立ったやり方であり、スポーツの機械化や非人間化に対する痛烈な批判にもなっている。
 平成24年夏の東東京大会。開成はベスト32入りした。著者はベスト16をかけての強豪日大一校戦を見に行く。エラーと連打で大量点を許し、さあこれからという反撃のチャンスも貰えぬままのコールド負け。爆発の可能性を秘めたまま「爆発しないからこそ爆発の予感は募」り、「現実にならないから甲子園出場の可能性もますます高まっていくようで、しまいに私は出場を確信するまでに至ったのである」と著者は最後に少しヤケ気味に結ぶ。
 いわゆる高校球児、甲子園球児と聞いて私たちがイメージする坊主頭、がむしゃらでひたむきなプレイ、汗と涙のセイシュンとはほど遠い開成高校野球部。そこにはアツいスポーツのドラマも劇的な快進撃も見られないが、彼らの野球への取り組みには、そういえば野球ってこういうスポーツなんだよね、と改めて言葉で考えさせ、確認させてくれる思考実験のヒントが一杯詰まっているのである。

■優秀賞

北緯43度の雪  もうひとつの中国とオリンピック

北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック
  著 者:河野 啓(こうの さとし)   出版社:小学館

選評:
 もはや40年の昔となった札幌オリンピック、あの選手たちの中に亜熱帯の国・台湾からの参加者がいたことなど、現在はもちろん、当時もさほど注目された形跡はない。アルペンと距離競技に出場し、どれもほとんど最下位に低迷したが、それでも「中華民国ROC」という名前を参加35か国の一角に残したのであった。  この事実に気付いた著者は札幌のテレビ局のディレクター。東芝日曜劇場のドラマの素材に「雪の降らない台湾から来た男性と日本人女性のラブ・ストーリー」を取り上げ、取材を始めてこのことに目が止まった(ドラマ自体は2007年に放映)。著者は出場した8人の選手へのインタビューに取り組み、うち5人に会うことが出来た。まず、華僑で東京在住の王正徹さんは当時も慶應の学生で日本にいた。種目は回転。もう一人は台湾オリンピック委員会幹部の陳雲銘さん。元来陸上選手で、大回転に参加した。札幌の次のインスブルックにも出た梁仁貴さん。やはり陸上の選手でただひとり15キロクロスカントリーに出場。その後永住権を取るべくニューヨークに移住し、レイクプラシッドオリンピックも目指していたが、国名「中華民国」での参加を求めて裁判に訴えた際の原告になることを本国のオリンピック委員会から求められ、結果的には大会ボイコットになり、永住権を取る夢も崩れ去った。現在上海で暮らしている黄維中さん。日本滞在中はガールハントに夢中だった人物。大陸から台湾に渡った「外省人」である。大回転、回転に出た。その後パラグアイで働き、現在は米カリフォルニア大学の中国在住スタッフの仕事を得ている。最後が葉永興さん。直前の怪我で本戦には出場できなかった。現在は高雄に住み、台湾スキー連盟の役員もしている。毎年スキーツアーを企画し日本を訪れているのだ。
 葉さんの滑り方、指導法は札幌オリンピックに備えて台湾チームが日本で合宿した時の齋藤コーチに良く似ていると著者は気づく。指導の責任者は当時の日本スキー連盟教育部長だった大熊勝郎氏だが、実際のコーチングは齋藤氏が担った。大熊氏は当時8ミリカメラを回し、台湾の若者たちの様子を克明に記録した。この貴重なフィルムはご子息が保管していた。
 いったいなぜ台湾は冬のオリンピックに参加したのかを調べていくと、スポーツと政治の深い関わりが見えてきた。当時、国力を養い、ピンポン外交でアメリカとの渡りをつけた人民中国は国連への加盟と常任理事国の地位を獲得した。それに抗議して国連を脱退した中華民国の台湾は、政治的にも文化的にも孤立を深めて行った。オリンピックへの参加は国際的なスポーツの祭典を利用して台湾の存在感を世界に示そうという国民党政府の至上命令だった。台湾で唯一降雪のある高山に選手候補が集められ、そこに日本の指導者がやって来る。次の年からは選手候補は日本のスキー場で特訓を受ける。はじめは全くの初心者だった選手たちは次第に力をつけ、何とか冬のオリンピックへの参加を果たしたのであった。
 ここから浮かび上がってくる「大きな物語」は台湾という国の困難な歴史である。明治維新以後の日本の植民地支配があり、日本の敗戦後は中国の内戦に敗れた国民党の蒋介石が多くの兵士(外省人)とともに入り込んで、もともと台湾に住む本省人を抑圧してきた独裁政権の時代―そこでは何万という民衆が虐殺された血なまぐさい事件もあった―札幌オリンピック参加も蒋介石の鶴の一声で決まったという。世代が代わり、次第に民主化が進んで台湾も豊かになっていくが、それとともに中国との対立と協調が複雑に絡み合う。スポーツの世界でも台湾の名称を巡る熾烈な駆け引きがあり、オリンピックに参加する時の台湾の名称が「チャイニーズ・タイペイ」に落ち着くまでの紆余曲折があった。政治に翻弄されるスポーツという側面ばかりでなく、政治を乗り越えるスポーツの可能性という一面の希望も語られている。「これまでのオリンピックの歴史は、世界が平和でないこと、そして人類が平等でないことを、図らずも見せつけてきた。/しかし、だからこそオリンピックは必要なのだ・・・・・・そう言えなくもない。」(238㌻)。
 著者はテレビ畑の人らしく、文章に凝ることなく、淡々と言葉を紡いでおり、文章は平易で読みやすい。知られていない事実を発掘し、帯にあるとおりの「秘話」を紹介したこと。人物が活き活きと語られ、内容が面白いこと。そして、スポーツと政治、五輪と政治について考えさせる最終章に至る。テレビのドキュメンタリーにも似た構成力は魅力的であり、好著と言える。
 本書への大きな疑問はタイトルにある。「北緯43度の雪」では、執筆の意図が明確に伝わらない。むしろ、台湾の位置に目を移して「北緯24度の雪」あるいは「北回帰線の雪」とでもするべきであった。

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ミズノスポーツライター賞 受賞作品

第22回/2011年度

■最優秀賞
 該当作品無し
 
■優秀賞 (トロフィー、副賞50万円)

TOKYOオリンピック物語
◇『TOKYOオリンピック物語
  著 者:野地秩嘉   出版社:小学館

選評:
 東京オリンピックは、我が国で行われたスポーツ大会の中で最大、かつ最もインパクトが大きかったイベントである。本書は、そのオペレーションに深くかかわった先駆者たちの物語である。スポーツは「する」ものであり、「見る」ものだ。しかし、アスリートたちにとってはそれだけでは十分ではない。目標を設定し、努力を積み重ねる。その成果を発揮するための舞台がしつらえられてこそベストパフォーマンスが生まれる。一流選手が思う存分活躍出来るためには、同じく一流のプロによるイベント運営は欠かすことが出来ない。その観点では、日本が初めて開催することが出来たスポーツの国際舞台を支えた人々の活躍を書籍として後世に正確に残すことは極めて意義深い。
 この本の主役を敢えて探すとするならば、それは日本を代表するクリエーターである故亀倉雄策になるだろう。グラフィックデザイナーとして商業デザイン界をリードしてきた亀倉にとって東京オリンピックはまさしく踏切板といえる存在だった。ストーリーの脇を固めるのは、帝国ホテルの村上料理長、日本警備保障(現セコム)の創業者である飯田社長、日本IBMのエンジニア竹下亨。そして映画監督の市川崑は準主役という位置づけになる。ここに描かれる当時の様子は「スポーツ初めて物語」と称するにふさわしいチャレンジングな人間ドラマである。亀倉がリーダーシップをとった世界初の大会シンボルマークの制定と公式ポスターの制作。デザインマニュアルの作成。ピクトグラムの開発。オンラインによるリザルトの配信。いづれをとっても現代においてスポーツイベントの開催にとって不可欠なものであることに気付かされる。
 特に力を入れて語られているのは、亀倉を核とするデザイナーやフォトグラファーたち、その人脈につながる市川崑をリーダーとする映画作りのスタッフ、つまりはデザインと映像のクリエーターたちである。この話は戦前から始まっていて、名取洋之助の「日本工房」と戦争宣伝の仕事への流れがある。それが戦後の経済復興の中でグラフィックデザインとして自立していく過程は「日本デザイン史」の一こまとして大変興味深い。また、オリンピックの記録映画の経緯、監督が黒沢明から市川崑に代わった事情。制作組織がどのように編成され、どんな仕事ぶりだったか、そして出来上がった映画の評価。当時、ちょっとした事件になった河野一郎の「これは記録じゃない」という批判、事態の収拾に高峰秀子が一役買ったことなど、興味尽きない裏話の紹介が続く。
 大会のリアルタイム速報システムの開発を命じられた日本IBMの竹下は、当初コンピュータを導入する意味を理解しない各競技団体への説得に苦労した。審判が目で見て着順や勝敗を明らかにすることを自明の理としてきたスポーツ関係者に対し、彼は粘り強く説得を続けた。どの競技場にいても他の会場の結果がわかり、記録整理があっという間にできるメリットの大きさを彼らに気づかせたのが1964年の東京大会であった。とくにコンピュータ導入に強い拒否反応を示したのは陸上、水泳の競技団体だったらしいが、この2つの競技が、以後、記録と切っても切れない縁で結びついていくことを考えると感慨深いものがある。
 理由は伏せてインド人コックに2倍量の材料を渡して本場のカレーをつくってもらい、インドとは国家間の関係が険悪なパキスタンの選手たちに提供し非常に喜ばれたという村上のエピソードは、オリンピックが政治的影響から決して逃れ得るものではないことに改めて気づかせてくれる。慣れ親しんだ味で美味しく食べて、万全の体調で競技に臨んでほしいという料理人の当たり前の願いが、このような工夫を生み出した。海外の選手たちの多くが、選手村の多彩な食事にこめられたホスピタリティに満足して帰国したという。海外遠征時の選手の食事への配慮や体調管理は、その後スポーツ界でますます重視されるようなった。
 敗戦からの日本の復興を世界に対してアピールするためのショーケースとしての役目を負っていた東京オリンピックは、新幹線、首都高、モノレールといったインフラの突貫工事を実現させただけでなく、デザインをはじめとする当時のソフトウエアの英知を結集して事に当たる求心力もあったのだ。冒頭、「あの頃と違い、今の人たちは何かを待っている」という突き刺さるようなフレーズをぽんと持ってきた。著者が最も問いたい部分がこの事なのではないか。2016年のオリンピック招致に失敗し、再チャレンジの動きが進行するなかで、「TOKYO1964」を知らない若い世代には特に示唆に富む。また、執筆に15年の歳月をかけたと言うだけあって、多くの資料や証言を駆使した叙述は丁寧で説得力がある。
著者は1957年生まれ。出版社勤務などを経て作家になった。人物ルポルタージュ、食やアートなど社会・文化を幅広く探索してきたノンフィクションライターで、1999年に出版された「ヤァ!ヤァ!ヤァ! ビートルズがやって来た」などで知られる。本書も社会的な色彩が濃い。一方においてスポーツ自体、言い換えればオリンピックらしさを感じるのは、選手村食堂での村上とソ連のタマラ・プレスの触れ合いや、アベベがコーラを好んだといったエピソードにとどまる。その中でも記録映画の特殊な撮影とフライングへの怯えなどの裏話も興味深い。
 特記すべきはIOCがほとんど登場しないという点だ。スイスの本部がオリンピックの政治・経済に与える影響力に気付き、ガイドラインを設けてリーダーシップを発揮するようになるのははるか後年のことなのである。

■優秀賞

最後の王者 MotoGPライダー・青山博一の軌跡
◇『最後の王者 MotoGPライダー・青山博一の軌跡
  MotoGPライダー・青山博一の軌跡
  著 者:西村 章   出版社:小学館

選評:
 2009年、二輪ロードレースの世界最高峰MotoGPの250ccクラスというカテゴリーが、世界的な不況のあおりで61年の歴史に終止符を打った。英国のマン島レースに代表されるオートバイレースは、かつてはモータースポーツの代表格のひとつであった。その最終シーズンの王座に輝いたのが、日本人選手の青山博一(ひろし)であり、本書の主人公である。本作品は帯にある通り「第17回小学館ノンフィクション大賞」の優秀賞受賞(2010年7月)作品であるが、この賞は未発表作品を対象としており、本書は受賞後の2011年3月に出版された。
 ホンダスカラシップ一期生として2004年に世界への挑戦を開始した青山博一は、2008年はオーストリアのバイクメーカーであるKTMのワークスチームに所属していた。しかし、リーマンショックの影響でチームが突然レースから撤退を発表し、「失業」の窮地に立たされてしまう。ようやく見つけた2009年の新しい所属先は、古巣でもあるホンダの傘下にあるチームだったが、「マシン」は2年落ちのバイクで、スペアもなかった。そんな大きなハンディを背負いながらも、青山は人並み外れた探究心と技術で、最新鋭マシンを駆る欧州のライバル選手たちと互角以上の闘いを繰り広げる。
 MotoGPは4月から9月まで1週おきか毎週末に欧州各地でレースを行い、その後は日本、オーストラリア、マレーシアを転戦、最終第17戦は11月にスペインのバレンシアで行われる。ヨーロッパ、特にイタリアやスペインでは二輪車の人気が非常に高く、レースは数万の観客を集める。トップ選手は大スターだ。著者は2009年の青山の全レースを丹念に追い、最終戦を制してこのクラス最後の王者になった青山の闘いぶりをつぶさに記す。レースの描写は迫真的で、決定的瞬間の状況や心境を選手や関係者へのインタビューで補う手法は、手堅いスポーツノンフィクションだ。同時に、レースを追う流れのなかで、マシンの「セッティング」、タイヤと天候の関係、レースのルール説明などをうまく組み込んでいる。とはいえ、特殊用語の多い世界ゆえ、二輪車レースにまったく無縁の一般読者には、特に前半、読み進めるのに努力の必要な読み物であることは否定できない。
 実力はあるがスポンサーがいないために格下選手にとってかわられた高橋裕紀、誰にも負けぬスピードの持ち主ながら結果を出せない青山の弟・周平、そしてレース中の事故で命を落とした加藤直樹や富沢祥也など、身体一つで命を賭けたレースに真剣に向き合う若者たちの群像は、この作品に幅と奥行きを与えている。
 各地のレースが描かれるなかで、普段伝えられることのないヨーロッパの二輪サーキットの特徴や雰囲気に触れることは楽しい。一方で際立つのは、日本とヨーロッパの二輪車レースの位置づけの違いだ。
 日本は二輪車の製造大国ではあるが、オートバイ愛好者は色眼鏡で見られることが多い。モータースポーツ全般さほど人気があるといえないなか、特に二輪レースは一般にはまったく認知されていない。人気スポーツであるヨーロッパでは、選手にスポンサーがつく。一方、金をもたらすことができない日本選手は、チームでシートを獲得するのが困難だ。首尾よくチームのレーサーとなった場合も、契約や輸送の手続き、シーズン中のヨーロッパでの住居探しなどはすべて一人でやるしかない。助けてくれる専属通訳などはいない。そのような環境の中でも真摯に「世界」に挑戦する若者がここにもいる。
 本書の魅力はいわゆる「ニッチ」スポーツを真正面からとりあげたことにある。真面目に長期間取材したベースの上で、象徴的な出来事のあった1シーズンを一冊の書物にまとめた労作である。フリーライターである著者は2002年からMotoGPを全戦取材しているという。だが、著者の競技との距離の近さが本書の厚みを作っていると同時に、その密着度が一般読者を遠ざける原因にもなっている。MotoGPというもの、そこに挑む選手たち、世界不況のもたらした変化、そのなかで最後の王者となった青山の軌跡、と著者にとって書かねばならないものが多すぎた。さらに、「金でシートを買う」ことへの怒りと嘆きは、09年の青山を追う流れをあえて絶った「断章」を設けて、事細かに一つの事例を書かせている。英語のプレスリリースをそのまま載せることは、「誤りを指摘し、正すために何度でも言い続けることこそがジャーナリズムの仕事である」とする著者の信念の表れではあっても、興味を持ってついてこられる読者は限られている。
 知られていない二輪レースの世界を紹介し、国際舞台で命掛けの闘いに挑む日本人の若者の等身大の姿を伝えることには意味がある。読み進めるにつれてバイクへの偏見が拭われる読者もいるはずだ。だが、まったく何のとっかかりもない一般読者には、特殊な世界の出来事がマニアックにいろいろ詰め込まれた一冊となったことも否めない。
 野球、サッカー、格闘技といった日本のメジャースポーツ以外を取り上げる著作は意欲的であり、意義ある出版である。だが、視点をどこに置き、誰(読者)を対象として書くのかが難しい。モータースポーツ愛好者、ヨーロッパを転戦する競技に興味のある者にとっては非常に面白いが、本書が読み手を選ぶ著作であることは残念ながら確かだろう。
 最後に一つ。亡くなった選手の葬式の話で「実家のカトリック教会」というのが出てくる。その選手の父がこの教会で神父を務めているというのだが(206㌻以下)、これはとんでもない間違いで、プロテスタントの教会だろう。カトリックは妻帯を認めていない。

■優秀賞

◇『独立リーグの現状 その明暗を探る』
  著 者:喜瀬雅則   出版社:産経新聞大阪本社 運動部

選評:
  健全経営を可能にする球界再編が急務となっている日本野球界において「独立リーグ」の取り組みが注目される。連載は、その現状から見えてくる明暗を紹介しながら、日本野球のありかたを考える。この作品は、夕刊運動面に1月、4月、6月、8月、9月、12月に第1部から第7部まで各5?6回ずつ計41回にわたって掲載されたもので、これをすべて喜瀬雅則という一人の記者が書いている。記者のテーマに寄せる熱い情熱と取材の努力がよく伝わってくる好連載である。
 第1部「そこにある危機」では、独立リーグの「暗」の事例として、ジャパンフューチャーベースボールリーグ(JFBL)大阪、長崎セインツ、関西独立リーグ明石の経営撤退、経営破綻が紹介される。これらのチームはなぜ失敗したのか、失敗事例から独立リーグの経営課題が浮き彫りにされている。しかし、プロ野球界入りを目指すためのファーストステップとして無給でも独立リーグでやりたい選手は多く、その存在意義が重視されていることを指摘して第1部は終わる。
 続く第2部「赤字経営の脱却」では、「明」の事例として黒字経営を達成した成功例が紹介される。ベースボールチャレンジリーグ(BCリーグ)の信濃、新潟、石川の3チーム、さらに四国アイランドリーグの香川。それぞれ、徹底した地域密着型で、小口のスポンサーを多く集める方法と選手たちの地域貢献活動に力を入れることで成功した。球団代表が東大出身の元弁護士という徳島や、スポンサー集めを一切行わず、選手全員が医療コンサルティング事業会社社員という異色の球団「大阪ホークスドリーム」のスポーツ選手のセカンドキャリアにも配慮した取り組みなど、新しい動きもとりあげられている。
 第3部「真の地域密着への道」では、球団と住民、企業、自治体がそれぞれ利益を得る「win-winの関係」によって経営が安定しつつある具体的事例として、高知、愛媛、兵庫の各独立リーグ球団が紹介される。
 第4部「NPB(日本野球機構)との共存共栄」では、プロ野球との共存をはかる取り組みが遅々として進んでいない現実と派生する問題点を浮き彫りにしている。
 第5部「MLB(アメリカ大リーグ)傘下になる日」は国際化の波が押し寄せている現状をとりあげる。独立リーグにアメリカ大リーグからMLBのマイナー球団化の打診という「ラブコール」が来ている事実が明かされ読む者にとっては初めて知るものが多い。選手たちにとってはアメリカ挑戦の扉がすぐに開けるということでもあり非常に魅力的であるが、日本のアマ球界から直接アメリカ球界入り出来ることになれば逸材流出は必至であり、日本野球界にとっては大きな損失となりかねない。危機感を抱いたソフトバンクが独立リーグを「3軍」として巻き込む動きも福岡で起こっている。
 第6部「決断への岐路」は国際化のなかで独立リーグが決断の岐路に立っている背景を明らかにしていく。MLBがアカデミーを日本国内につくる動きが出ており、またフランスの選手が独立リーグのトライアウトに来日するなど、国際化の流れは待ったなしで加速している。第4部でとりあげられたNPBとの共存計画がペンディングし、第5部のようなMLBからのラブコールを受ける状況のなかで、独立リーグは今年(平成24年)、NPBと組むかMLBと組むかを正式決定するという。独立リーグがどのような判断でどのような選択をするのか注目されるところだ。
 第7部では「新たな挑戦」として、独立リーグ兵庫が芦屋大学と提携、芦屋大学が日本学生野球連盟に加盟しないことで学生野球憲章にしばられることなく「プロ」と「学生」の交流を可能にしたケースが紹介されている。これは学生選手側にたってみれば、年間を通じて質の高い練習や試合を行う環境が整えられるという点で意義ある試みだ。甲子園出場やプロ野球入りできる選手はきわめて限られている。強豪校であれば、レギュラーになれず公式戦に一度も出場することのない野球部員が大勢いる。多くの野球少年(今後は少女も?)は志半ばで選手として活躍する夢をあきらめざるをえない。喜瀬記者は、連盟に入らない高校や大学がプロやMLB球団を頂点とする育成システムを形成することを仮定する。「メジャーから野球の指導者が来て、学校で英語の授業も行う。夏休みには渡米、サマーリーグに参加。つまり、甲子園よりもメジャーを目指す。そんなプランもあながち夢物語とはいえないだろう」と語られる新しいシステムのシミュレーションはとても魅力的に思われる。独立リーグが日本の野球を変える起爆剤ないしは触媒になれるのではないか、そのような可能性への期待をこめて連載は締めくくられる。
 独立リーグの存在は知っていたが、正直、現状についてまったく知らなかったので、この連載は非常に多くの発見と示唆に富むものであった。ただ、最初の第1部に出てくるBCリーグについては何も説明がなく、第2部でBCリーグがベースボールチャレンジリーグという独立リーグであることの説明が出てくるなど、初出の時点で(  )付きの説明をしておくべき箇所が見られた。複数ある独立リーグについても設立年やチーム数、基盤となる地域などが表などで整理されていればなおわかりやすかったと思う。そのほかやや未整理なところが見受けられ、わかりづらい部分があったことは否めない。それでも、全体としてしっかりした文章と着眼点で構成された記者渾身の連載であり、努力の結晶が実った作品と言えよう。

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第21回/2010年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)
昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち
昭和十七年の夏 幻の甲子園―戦時下の球児たち

早坂 隆(はやさか・たかし)・著   文藝春秋
 
選評:
戦争を理由に昭和16年に中止となったはずの「全国中等学校優勝野球大会」が、どうした風の吹き回しか翌17年に再開された。しかし、主催は朝日新聞社から取り上げられ、国の主催する「大日本学徒体育振興大会」の一環という位置づけだった。戦局は悪化する一方、野球への圧力も厳しくなる中で、それでも名門校を中心に16校が勝ち上がって熱戦を繰り広げた。
著者は歴史のなかで黙殺されているこの大会に注目し、出場16校のトーナメント形式による全15試合を克明に再現、出場した選手たちの当時の思い出や甲子園出場後の足跡もたどりながら、戦時下の甲子園大会を鮮やかに描き出している。とは言え、これはあくまで変則的な大会であり、戦後、復活した甲子園大会の数にカウントされることはなかった。「幻の甲子園」と言われる所以である。
 筆者の試合の叙述はなかなか巧みで真に迫っている。たぶん、スコアブックを丹念に読み込んだのであろう。それを決して豊富とは言えない当時の報道資料と付き合わせ、かつての選手ならぬ「選士」たちの聞き書きと照らし合わせて試合を再構築して見せてくれる。
総じて言えば、幻の甲子園を通して時代の実相を浮かび上がらせた労作であり、2010年のスポーツ・ノンフィクションの収穫といっていい作品だと思う。

■優秀賞 (トロフィー、副賞50万円)
Rの輪―広陵野球の美学
Rの輪―広陵野球の美学
山田 良純(やまだ・よしずみ)・著  南々社

選評:
 広島の広陵高校といえば野球の名門校として知られているが、その実、夏の甲子園ではきっちり40年周期(昭和2年、42年、平成19年)で決勝戦に進出し、かつ敗れてきたという不思議なチームである。本書はその昭和42年(1967年)と平成19年(2007年)の二度の大会に焦点を当て、三原、中井というそれぞれの監督を軸に、活躍した選手たちの群像を配し、迫真の描写で試合の経過と選手の内面を追求している。
 第1部は三原監督率いる昭和の広陵。若い三原のほとんど理不尽なしごきに堪えて、ど根性を発揮する高校生たちの生態が描かれる。監督と選手がぶつかり合い、激しい制裁の一方、反発や反抗も絶えず、広島弁が荒々しく飛び交う日常の練習風景と大会の試合経過が交錯して語られる。「小さな大投手」宇根をはじめ、対照的な二人のキャッチャー生田、石田、豪傑の4番河合など、それぞれのメンバーの性格や行動が浮かびあがる。試合は進んで決勝戦、スポーツ活動に力を入れて名を挙げていた習志野高校に敗れて大泣きする「何の打算もなく、ただ一つのスポーツに打ち込んだ青春の終わり」であった。
 第2部は中井監督のもとでの平成の広陵。時代とともに監督のスタイルも変わり、どちらかと言えば「自主性」を重んじ、選手の判断を尊重する監督のもとで、広陵は順調に勝ち上がる。ここでも選手たちの個性やエピソードが丹念な取材をもとに紹介されつつ、ゲームが進んでいく。特待生問題で揺れたこの年、決勝戦の相手は公立校ということで人気を集めた佐賀北高だった。勝てる試合を審判の微妙な判定と逆転満塁ホームランでひっくり返され、監督がインタビューでタブーの審判批判をするという事件が付け加わる。しかし、選手の偽りない気持ちを代弁したこの発言は監督と選手たちとの絆を強めることになった。
 著者はまた「その後」の余韻を描くことを忘れない。第1部の終章(10章)では、準優勝後もしばらく活躍をつづけた広陵が力を落とし、ほどなく三原監督が無理解な上司と激突して去っていく経緯と、それと対照的な、選手たちの活躍のシーンが記録映画に取り上げられたエピソードが紹介される。第2部では短い15章で勝った佐賀北と負けた広陵の、次年度での明暗が語られる。
 そして全体の「その後」としての短い第3部では、選手や監督の後日談とともに、野球という<特殊な世界>がかえって社会の常識や人間的な能力を養う場であり、野球が「社会のレギュラー」を育てていたことが示される。さらに昨今、自分で意見が言えず親に言わせる子供が目立ち、なんでも合理的な説明を求める風潮が広がったことを批判的に紹介しつつ「教育とは一体何なのか」という問いを改めて突き付けている。著者が広陵の「美学」に寄せて何を語りたかったかは明瞭である。著者は広陵の甲子園物語を借りて、日本の社会の変化、心、教育とは何か、という問題を必死に書いている。
 この作品の特色は、選手や監督の心のひだに迫ろうとしていることである。試合の流れの中で成功・失敗の決定的な瞬間を彼らが何を考えて行動し、何を感じ取ったかを、立場の違う人々の証言を組み合わせて浮かび上がらせている。描写が選手の内面に食い込みすぎるといささかフィクショナル(小説的)な雰囲気も出てくるが、激しく肉体がぶつかり合うゲームの背面でどんな複雑微妙な、また不可思議な心理的な展開があるのかを著者は描こうと試みており、それがこの作品に深みを与えている。67年の決勝戦で代打夏山がヒットを打つところで「ボールがバットに当たったのはわかった。だが、どこに飛んだのかはわからなかった。一生懸命走るのだが、フワフワして一塁に近づかない気がした。(147㌻)」以下の描写など、当事者でなければ分からない不可思議な感覚をみごとに捉えている。
   どこの高校の部活でもみられるような日常の細部を伝える一コマや、青春のただなかにいる点において時代を経ても変わらぬ、どこにでもいる高校生たちの素顔を伝えるエピソードが、取材を通じて丹念に掘り起こされ、本人の人柄までも伝わってくるような語った言葉そのままを再現する筆致で綴られ、ノンフィクションとして手堅い手法で脇が固められている。
 昭和のチームと平成のチーム、ともに準優勝したチームは、甲子園で優勝することよりもむしろ意味ある大きな心の財産を手にした。40年の時を経て社会は大きく変化し、高校生の気質も部活のありかたも様変わりした一方で変わらないもの。広陵野球部の一員であったことの誇りと広陵で野球ができたことの幸せ。ユニフォームの胸の中央に輝く「R」の輪は、その象徴であった。
 本書の文章には勢いと輝きがあり、不思議な魅力と「読ませる力」を持っている。反面、滑りすぎておかしな文も多々あるのが欠点である。日本語の誤用も多い。野球用語の間違いもあるし、事実誤認(平成七年の阪神大震災を平成六年としている)、ワープロの変換ミス、誤字脱字もあり、作品としてかなり粗削りな印象と瑕疵があることは否めない。
 著者は1969年広島生まれ。前作に同じ南々社から刊行した『日本一の準優勝 広陵・夏の甲子園2007』がある。前作の著者紹介によると、著者は広陵高校の出身であるが、野球部員ではなかった。20代は職を転々としたが、現在は北海道の公立中学校で美術教師(08年で11年目とある)をし、陸上部の顧問。南々社は主に実用書で実績のある、広島の小出版社。

■優秀賞
◇『「心の聖地」-スポーツ、あの日から-
  共同通信社 編集委員室

選評:
 陸上競技で中長距離界を席巻するケニアの選手。彼らの強さには何か科学的に証明できる根拠があるのか。世界中でその「謎」に興味を持ち、研究を続ける学者は数多い。
 2011年の日本体協設立100周年に向けて、スポーツ人が生きてきた心の軌跡を掘り起こし、スポーツの原点を再発見しようとした年間大型連載企画。有名選手だけでなく、陰でスポーツを支えた人々や、先駆者として道を切り開いた選手にもスポットライトを当てた。毎週1本、計50本配信し、全国の35紙に掲載された。
 第1回の主人公は64年東京オリンピックの聖火最終ランナーであった坂井義則。広島生まれの坂井は原爆投下の日に生を受けたということでアトミックボーイとも呼ばれ、平和の象徴とされた。彼の聖地は国立競技場。聖火台から見下ろしたフィールドには94カ国の選手団がつどっていた。まさに平和の具現化であった。最終ランナーの肩書が人生を規定した。しかし、就職したテレビ局で中継を担当したミュンヘン、アトランタのオリンピックはテロの標的になった。また、模範的な生き方を貫こうとしてきた坂井にとって、ビジネス化したスポーツの裏表を肯定することは心の聖地を否定するようなものだったのかもしれない。
 第2回以降も、白人以外で初めて米プロバスケットボール選手になった日系人のワット・ミカサ、登山家の加藤滝男・保男兄弟、オグリキャップの装蹄師三輪勝、水泳の橋爪四郎、ケニアでランナーを発掘してきた小林俊一など、興味深い人物を掘り起こしている。特に橋爪が、水泳の道を開いてくれた先輩の古橋廣之進(故人)への思いから、ヘルシンキ五輪の銀メダルを表には出さなかったというのは、心に響く逸話だ。体操の池田敬子が「あのころはママさん選手がたくさんいたわよ」と指摘しているのも面白かった。慶応のボートが沈んだ「あらしの早慶レガッタ」は、ラジオ放送のため荒天の中スタートを強行したらしいという裏話や、ボート人の異なる考え方が興味を引いた。卓球の荘則棟が中国育ちの日本人女性と再婚していることも初めて知る話だった。
 戦前戦後の苦難を切り開いてきたアスリートの生き方は、現代の若い人の指針にもなるというのも、狙いの一つのようだ。また、かるたや将棋を取り上げたのも面白い。しかしその一方で、王をはじめ、張本、瀬古、北の海などは「今更感」を覚えるし、外国人、特にフィリピンのプロボクサーは何故取り上げたのか、その真意はまったくわからない。瀬古利彦は「マラソン走者」、君原健二は「マラソン」、橋爪は「水泳」、岩崎恭子は「競泳」と肩書きの統一がとれていないのもいただけない。
 テーマの「心の聖地」は違和感が付きまとう。崇高で侵しがたいイメージだが、札幌五輪でブランデージIOC会長から追放処分を受けたカール・シュランツにとって札幌は心の聖地なのだろうか。カシアス内藤にとっての38度線は、覚えてもいない父親が戦死したらしい場所とのことだが、これもしっくり来ない。柔道のモハメド・ラシュワンにとって、生まれ育った土地、今も暮らすアレクサンドリアは「ふるさと」「わが町」であって、「聖地」などと呼べるのか。やや古めかしい、気障なタイトルがこじつけの印象を与える記事が結構あった。「聖地」といえば、よほど深く胸に刻みつけられた場所、忘れ得ぬ場所ということだろう。企画書には「スポーツ人の哀歓を通して時代を描く」とある。何かほかに、素直な言葉の、できれば洒落たフレーズのネーミングはなかっただろうか。「1年間」にこだわって無理に回数を増やした感じも受ける。
 競技別で見ると、プロ野球6人、水泳3人、サッカー2人など、36分野で50人(組)。外国人が数人登場しており、シュランツ、ミカサ、体操のベラ・チャスラフスカ(チェコ)、ラシュワン、荘則棟らは何がしか日本と関わりがあるが、ボクシングのマニー・パッキャオ(フィリピン)がなぜ入ったのか、よくわからない。
 往時には語られなかったスポーツの舞台裏や当事者の心情を、新しい時代の視点から掘り起こしていくことも、新聞連載の重要な役目であろう。ただ、企画の段階から狙いや取り上げる対象をきちんと整理することが必要だ。
 大型企画として読みごたえがあり、写真もきれいだ。囲みのデータや取材こぼれ話などもいい。企画としての重量感があり、取材力が低下しつつある地方紙にとってはありがたい記事ということになるのだろうか。

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第20回/2009年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)
フットボールの犬―欧羅巴1999‐2009
フットボールの犬―欧羅巴1999‐2009

宇都宮 徹壱(うつのみや・てついち) 東邦出版
 
選評:
 一人のフットボールをこよなく愛する写真家、写真だけでは喰えないので物書きも兼ねる。同業者が決して足を踏み入れないような辺境の地をほっつき歩いてはフットボール好きの子どもたちやクラブに熱中する大人たちをカメラに収める。「いつも腹を空かせながら、地を這うような視線でフットボールの匂いがするする場所を捜し求める」「フットボールの犬」というのが冒頭に記された著者のいささか自虐的な自己紹介である。
 確かに著者の「ほっつき歩き」は半端ではない。本書はこの10年間にわたる、世界を股に掛けたフットボール遍歴の旅の記録だが、イギリスやイタリアのような本場はもちろん、日本人では誰も知らないようなフェロー諸島という辺境中の辺境にも出かけてユーロ2004の予選を観戦する。著者は章の最後に「気が付けば、羊の島の人々は、さりげなく、しかし明快に、フットボールの始原的な喜びを私に提示していた」と書き付ける。本書の中で白眉と言える章である。
 ある章では、その地域の歴史や文化に対する鋭い視点と優しい共感が独特の輝きを見せている。アイルランド、エストニア、マルタなどの章が特に心に響く。ヨーロッパフットボールの歴史の奥深さ、日常生活に根付いたローカルなフットボールの魅力、そして現代社会の政治的・経済的パワーバランスを如実に反映したそれぞれの地域のフットボール事情が浮かび上がる。日本の取材網には到底ひっかからないような「マイナー」で「マニアック」な視点から独特のサッカー観が展開される。
 また、本書のストーリー(文章)を補強し、メリハリを与えているのがヨーロッパ各地の街とそこに生きる人々、スタジアム、サポーター、選手などの写真である。確かに著者はライターであり写真家なのである。写真を見ているだけでも十分に楽しい。

■優秀賞 (トロフィー、副賞50万円)
日本レスリングの物語
日本レスリングの物語
柳澤 健(やなぎさわ・たけし)  ファイト&ライフ連載

選評:
  日本におけるレスリングの誕生から今日までの80年余りを綴った歴史書とも呼べるような連載であり、同時に多士済々な人物が生き生きと描かれた大河ロマンのような面白さも併せ持つ。歴史をたどることが可能になったのは、国立国会図書館の新聞資料室に「八田一朗コレクション」という99冊ものスクラップブックが残されているからだ。八田は、これが戦火で失われることを恐れて、在米の知人に預けていた。
 この八田一朗こそ、この連載の主人公と呼べる存在だ。早稲田大学出身の柔道家であり、1932年ロサンゼルス五輪のレスリング代表選手でもあった。
 連載終盤、八田に匹敵する先見性の持ち主として現日本レスリング協会会長の福田富昭が登場する。特筆すべきは女子レスリングの可能性にいち早く気づいて信念を持って取り組み、今日の隆盛にまで育てた功績である。
 女子レスリングを筆頭に史上最多のメダルを獲得したアテネ五輪で、日本選手団全体の強化委員長を務めたのは福田だった。福田はトップアスリート専用のナショナルトレーニングセンターの設立を働きかけて完成後はセンター長となり、日本スポーツ界全体のリーダーとして「国策としてスポーツに取り組むべき」といくつもの事業に着手している。
 八田一朗、福田富昭といった人物がレスリングから出た理由を、著者は競技のもつ国際性に求める。数々の困難と理不尽を逞しく生き抜いてきた日本レスリングはやがてまた天才を得、より興味深い物語が紡がれていくだろう、と著者はこの長編を結んだ。
 数多くの関係者への取材を中心にしたオーソドックスな手法を柱とし、生き生きとした人物を描き出しながら、わが国における一つのスポーツの誕生からの歴史を綴るという大変意欲的で非常に読み応えがある作品である。

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第19回/2008年度

■最優秀賞 (トロフィー、副賞100万円)
ケニア! 彼らはなぜ速いのか
ケニア! 彼らはなぜ速いのか

忠鉢 信一(ちゅうばち・しんいち)・著   文芸春秋
 
選評:
陸上競技で中長距離界を席巻するケニアの選手。彼らの強さには何か科学的に証明できる根拠があるのか。世界中でその「謎」に興味を持ち、研究を続ける学者は数多い。
 朝日新聞のロンドン駐在員で市民マラソンランナーである忠鉢記者は、雑誌"ランナーズ・ワールド"に紹介されたグラスゴーのビツィラディス博士の新学説「ケニアのランナーはレース前に減量し、水分補給も少なく、身体を軽く保っていることが速さの理由」に惹かれ取材に訪れる。
 着想から取材、さらに展開と力強いストーリー構築で面白く読んだ。世界遺産を訪ねるネイチャー・ドキュメンタリーのようであり、サイエンスに重きを置いたトラベル・サスペンスのようでもある。局面が次々と展開してゆく構成は、多分にベストセラー小説である「ダヴィンチ・コード」の影響を受けているような印象を持ったが、だからと言ってそこに嫌みは感じない。新鮮である。文体は歯切れがよく、短い文章を畳みかけるように積み上げてリズム感がある。所々に挿入されている会話も生き生きしていて、リアリティを演出している。
 本書を通じ、数多くの真剣な研究がなされている事実に驚くと同時にカレンジンという部族の存在、部族問題、ケニア国民生活におけるロードレースのポジションなど興味深いテーマを知った。欧米人がアフリカンに対して抱く「研究対象」としての目線も改めて見えたような気がする。大学でスポーツ科学を専門とする学部に在籍した著者ならの理解力と、コミュニケーション能力を伴う語学力の高さによって、かなり難解な医科学、生理学の専門領域すら抵抗無く読み進められるのは見事である。従来のスポーツノンフィクションにはなかった新領域を開拓した作品と言える。

■優秀賞 (トロフィー、副賞50万円)
吉田沙保里―119連勝の方程式
吉田沙保里―119連勝の方程式
布施 鋼治・著    新潮社

選評:
 北京で女子レスリング55㌔級五輪2連覇を達成した吉田沙保里の強さと、微笑を誘う性格、吉田を育てた家族や指導者たち、女子レスリング関係者の物語を丁寧に書き上げた作品である。ほのぼのとした温もりに包まれる、読後感のさわやかな佳作だ。
 吉田の父・栄勝は元全日本チャンピオン。レスリングにかける情熱から、三重県津市の自宅に「一志ジュニアレスリング教室」を開いてちびっ子レスラーを育てている。沙保里は母の膝に抱かれて、二人の兄が練習している姿を見ながら育ち、3歳から父の指導を受けた。厳しさの中にも子どもの自主性を尊重する父と、温かく包み込むような母。スポーツのまっただ中で育ち、心も体も自然に磨かれて素質が開花する。
 物心つく前から目に焼きついたレスリングの感覚に加えて、目にも留まらぬスピードの必殺タックルと人並み外れた集中力を持つ。なのに、泣き虫で、大事な試合の前には決まって発熱する。明るく、人に親切でやさしい。格闘技が専門の著者がインタビューで強さの秘密を探ろうとしても、とらえどころがない。今まで接してきたレスラーのどのタイプにもあてはまらない。あっけらかんとしすぎており、「いい子」「いい人」すぎる、と感じる。なぜ、この「いい子」がそんなに強いのか、理解できない。吉田が姉と慕う中京女子大の先輩、岩間怜那や栄監督に疑問をぶつけても、二人はあっさり「沙保里は変わっているから」と笑う。変わり者なのに、この子の背中を押してあげたいと周りの誰もが思う求心力を持つ存在、それが吉田沙保里であると著者は書く。
 吉田は2001年12月の全日本選手権準決勝で先輩のライバル山本聖子に敗れあとは無敗記録を119まで伸ばしていた。どこまでも続くだろうと思われた連勝が、2008年1月19日の女子ワールドカップ団体戦でマルシー・バンデュセン(米)にまさかの敗北を喫して途絶えた。相手がタックル返しを研究していた。微妙な判定でもあった。初めて外国人に負けたショックと悔しさに泣きじゃくる沙保里に、母がいった。「悔しいけど、また北京で勝てばいいんだから」。練習を続けている母校・中京女子大の谷岡郁子学長は「連勝がストップしてよかったね。北京の前でよかったね」といった。連勝記録のものすごい重圧が吉田にのしかかっているのがわかっていたから、周囲には「一度負けたほうがいいね」と本音をもらしていたのだ。
 吉田はこの敗戦から帰国してすぐ三重に帰り、父のレスリング教室で練習する子どもたちの姿を見て心が安らいだという。このちびっ子たちは頻繁に中京女子大レスリング部に出げいこに行く。吉田らが子どもらに接することで人間性を磨かれ、癒されるという話は、トップアスリートのあり方に大きな示唆を与えている。
 谷岡学長も興味深い人物だ。「女子レスリングの金メダルは、日本女性が社会の壁を一つずつ壊し、上がってきた百年の歴史の上にある“百年の肩車”だ」など、ユニークな発想と表現が面白い。アテネの金メダリストで一躍注目の的となった吉田らを、試験勉強を理由に「鉄のカーテン」で学内に守り、一方では、公の場で恥ずかしくないレディーとしてのエチケットやマナーを教えた。
 本書は当初「不敗の方程式」という書名を予定していたが、まさかの1敗で変更された。内容もかなり修正を余儀なくされただろうが、かえって人間・吉田沙保里のダイナミズムや強さの不思議がむしろ鮮やかに描かれることにつながったのではないか。08年7月の出版で、五輪直前のトレーニングで完結しており、2つめの五輪金メダルをカバーできなかったのは惜しいが、やむを得まい。著者の狙いはライフストーリーでも、復活ドラマでもなく、吉田沙保里という人間を理解し、伝えることにあったのだから。
 レスリングの専門知識にも裏打ちされた文章は安心感があり、読みやすい。女子レスリングの五輪実施・発展を見通し、自腹を切って選手強化の先頭に立った福田富昭日本レスリング協会会長の奮闘ぶりも面白い。
 重量感があるとはいえないが、新鮮な分野を取り上げた好著といえよう。

■優秀賞
デットマール・クラマー 日本サッカー改革論
デットマール・クラマー 日本サッカー改革論
中条 一雄・著   ベースボール・マガジン社

選評:
 日本サッカーの改革者であり、救世主とも言われるドイツ人指導者デッドマール・クラマーの人となり、その指導論を、初来日からおよそ半世紀にわたって身近で取材してきた元朝日新聞記者中条一雄がまとめた。クラマーは今もドイツで健在ながらすでに齢83歳、著者の中条も一つ違いの82歳である。お互いに残された時間は少ない、書いておかねばならないことを書けるうちに、という思いが著者の本書執筆動機となったようである。
 18章からなる細かい章立てで、1960年から2008年現在までのクラマーの足跡を(時に1925年から1960年までの前半生もまじえ)たどった本書は、1996年、2005年、2006年と著者が3度にわたってクラマーのもとを訪れ、必要な証言を得て記憶を補完したことにより、まさしく貴重な日本サッカーの歴史の証言となった。連携プレーや守備力にすぐれながらも決定力を欠くFWの人材の乏しさ、勝つことへのどん欲なまでの執着がいまひとつ足りないこと、厳しさに欠ける日本人監督の「優しさ」という弱点、およそ50年前にクラマーが指摘した日本サッカーの問題点は今も変わっていないように思う。一方で、Jリーグに結実したサッカー環境の整備、サッカー技術の向上という着実な進化もみられた。その過程に、異国人として誠実に真摯に日本のサッカー改革にとりくんだクラマーの存在があったことが、平易で読み易い文章からよく理解できる。
 クラマーについてはこれまでも多くの文章が書かれ、NHKなどのテレビ番組でも紹介されてきた。この本で初めて知ったのは、彼がFIFA(国際サッカー連盟)コーチとして、あるいは個人として要請されてサッカーの指導をおこなったのは約90カ国にものぼるということである。その中には1991年1月から92年3月までの韓国・バルセロナ五輪代表チーム監督、97年2月から2002年2月まで5年にわたる中国での指導者養成が含まれる。大部分の日本人は、クラマーの日本サッカー界への関わりは東京五輪からメキシコ五輪までというイメージではなかろうか。その後は氏の関与がなくなり、元の木阿弥の停滞期が続いたという印象だ。しかし、クラマーはFIFAの指導員としてもいくたびか日本を訪れて指導し、サッカーの普及・振興や強化の指針を与え続けていたのだ。本書は彼がいかに日本と関わり、日本を愛し、日本サッカーの発展・向上に情熱を傾けたかをつぶさに描き、一人の国際サッカー人が世界の舞台で続けてきた幅広い活動と貢献を丁寧にまとめている。同時に、サッカー、いやすべてのスポーツに通じる、基本を反復練習し、体で覚えることという鉄則や指導者育成の重要性など、クラマーが繰り返してきた教えに帰る必要性を日本のスポーツ界に訴えている。
 本書は牛木素吉郎氏が主催する「ビバ!サッカー研究会」のホームページに2008年の1月まで約1年をかけて連載された記事に加筆したものだという。著者は82歳とは言え、文章からはとてもそのような年齢を感じさせない。古風な表現も見当たらない。きわめて明快でさわやかである。南ドイツの保養地で悠々自適に過ごしているクラマーのもとを3回も訪問して取材したという積極性も凄い。もちろん同年代のクラマー自身、まだまだ指導することをあきらめてはいない。二人の前向きさがリズムのよい文章の源泉になっているのだろう。60年代の前半から年代を追って淡々と、かつ驚くべき正確さで50年にもなろうとする事実を追い、生き生きと描写する。著者とクラマー二人の記憶力も超人的だし、集められた歴史的写真も貴重な脇役として存在感を主張している。
 最近の著者とクラマーという二人の老人が熱く抱擁している写真がカバーの袖にあるような個人的な思い入れの強さが遠慮なく打ち出されているにも関わらず、本書は仲間誉めの、ただの記念誌に堕してはおらず、クラマー・コーチの仕事ぶりは、その背景や現実の成果と失敗も含めて、客観的に、説得力を持って紹介され、考察されている。そしてその対極に、メキシコ後(クラマー後)の日本サッカーの低迷ぶりへの鋭い批判が提起される。東京五輪後にクラマーが提起した日本サッカーへの提案(本書の末尾に収録されている)は、リーグ戦の実施など実現したこともあるが、その多くは未だに読むに値する現実性を持っている。逆に言えば、四半世紀経ってもクラマーのアイデアを生かし切れない日本サッカーへのもどかしい気持ちが本書執筆の動機の一つなのだろう。「日本サッカー改革論」という副題も宜なるかなと思われる。
 80歳を優に過ぎたクラマーと著者が昔語りに終始して現状を見ようともしなければ、それはいわゆる老害に過ぎない。終盤少しそれに近づく危険性を孕みながらも、この二人のやり取りには未来への希望が感じ取れる。熟年の読者に「老いていくこと」を明るく捉えさせてくれる点でも価値ある一書と言えるだろう。

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