ワールドカップドイツ大会は決勝トーナメントに進む代表チームが出揃い、世界一の名誉と付随する商業価値獲得を目指して文字通り極限の戦いが始まろうとしている。 本稿を書き上げる時刻には日本対ブラジルの決着も着いているであろう。
テレビ中継の映像、ニュース、新聞報道、街中の興奮が氾濫する中で、書店では関連書籍が最も目に付く場所に積み上げられていて否応なしに手にする光景に出くわす。
また新聞各紙の書評にも幾つかの作品が取り上げられ話題を集めている。 筆者はこの数年発刊された関係書物に加え、直近に発売された作品について一気に読了したので幾つかの感想を述べてみる。
「W杯ビジネス30年戦争」田崎健太著(新潮社)、「アディダスVSプーマ」バーバラ・スミット著(ランダムハウス講談社)、「虹を掴む」川淵三郎著(講談社)、「オシムの言葉」木村元彦著(集英社インターナショナル)、DVDブック「サッカーマーケティング」広瀬一郎著(ブックハウスHD)の5作品である。 何れの作品も緻密な取材をもとに書かれていること、豊富な事実が忠実に積み上げられていること、そして深い洞察が内容により一層の重みを加えることなど作品の完成度が高いことを強く感じた。
これらは読者をその世界に引きずり込み、時間の経過を忘れさせてしまうのだ。登場する場所、人物、出来事等のいくつかが脳裏に鮮やかにフラッシュバックし、実にリアルにを感じながら、夢中で読み終えたというのが正直な感想である。 全作品に共通するキーワードは「サッカーを巡る政治、金、争い」であろう。
民族間の血なまぐさい戦争に始まり、FIFA内部の組織権力闘争、巨大な権益を鵜の目鷹の目で奪い合う企業家達、一族間の骨肉の争い、分裂、そして日本サッカー協会の葛藤にも及んでいる。 広瀬一郎氏は著書「サッカーマーケティング」のあとがきにこう記している。
「スポーツマンシップとは極言すれば『尊重』することである」。このあとがきを読んだ人の殆どが「Yes」と答えるに違いない。 ジーコ監督に「スポーツマンとして『尊重』を身につけるのに第一にすべきことは何か?」と問うたところ、「ルールブックを読むことだ」と事もなげに即答された。筆者も同意する。 川淵三郎氏は著書の中で、Jリーグ創設の経緯を熱く述べている。
「商品化権はリーグが一元的管理をする。例えばユニフォームはミズノに任せた。しかしこの決定にはすごい反発があった。・・・」。 このくだりで思い当たることがある。 1993年5月新生Jリーグ開幕戦の翌日、鹿島スタジアムは赤いレプリカを着たサポーターで埋まった。ミズノが社長直轄のプロジェクトとして推進してきた成果である。ミズノのスタッフは準備万端整え、鹿島アントラーズのホームゲームをスタンド下から注意深く見守った。 ゲームはジーコが神業とも思える劇的なハットトリックを成し遂げ、鹿島スタジアムは興奮のるつぼと化したのである。
しかし、スタンド下で見守ったミズノのスタッフは皆青ざめた顔で呆然と立ちすくむのであった。 一体何が起きたのであろうか?読者には全く想像できないだろう。
何とジーコは試合前ロッカーで、アントラーズユニフォームに印刷された白のミズノロゴを赤く塗りつぶし着用したのだ。 スタジアムでは、個々の選手の動きを肉眼で鮮明に捉えることは難しいのだが、テレビ中継を見ていたミズノの水野社長はいち早く事実を捉え、スタジアムにいるスタッフ責任者に電話で指摘し、事実を確認するよう指示を飛ばしたのだ。 結果は社長の指摘が事実どおりで、中継、ニュースで繰り返し露出したうえ、翌日のスポーツ紙一面はジーコの上半身をカラーで扱ったのである。これらは事実を鮮明に写していた。
結果は社長の指摘どおりで、その姿はテレビ中継、ニュースで繰り返し露出されたうえ、翌日のスポーツ紙一面でジーコの上半身がカラーで扱われたのである。これらは事実を鮮明に写していた。
おそらく関係者以外は気がづかない出来事なのだが、当事者であるミズノにとっては会社がひっくりかえるほどの大事であったに違いない。 しかし一連の出来事の顛末は、極めて日本的な解決法、つまり川淵チェアマンが水野社長に謝罪を述べるということで幕引きとなったのである。 何故この話を思いおこしたのか?それはジーコが述べた「ルールブックを読むことだ」の意味である。
広瀬氏が言うように、スポーツマンシップとは極言すれば「尊重」することである。そしてジーコの言葉である。 ジーコはミズノのロゴを塗りつぶしたことについて、関係者に対し次のように述べている。
「自分はミズノではなくプーマと契約している、だからミズノのロゴが印刷されたユニフォームを着用できない」。 しかし、ジーコは次の試合から支給されたユニフォームをそのまま着用したのである。 ジーコはスポーツマンシップについて確かな見識を持ち続けているのだろうか?
ドイツでの日本の試合を観戦しながら広瀬氏の「あとがき」を読み、複雑な思いに駆られるとともに、いつか機会があればジーコにあのときの行動を改めて問うてみたい衝動を強く感じている。 |