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vol.379-1(2007年11月26日発行)
五味 幹男 /スポーツライター
残酷なまでの美しさ

 日本女子マラソン界が世界トップレベルへの階段を駆け上がっていった90年代以降、選考レースは例外なく激しいものとなるが、かつてこれほどまで胸を高鳴らせながら最初から最後まで観戦できたレースは他に記憶がない。

 野口みずきと渋井陽子。先日行われた東京国際女子マラソンでは、2時間20分を切るタイムを持つ、世界でもたった8人しかいないうちのふたりが事実上ひとつしかない内定枠を争った。レース運びに長ける野口がどこで仕掛けるか、渋井がそれをしのぎ、絶対の自信を持つスピード勝負に持ち込めるか。両選手の胸の内にまで手を伸ばしたくなるレース展開は、まさに極上のライブ・ミステリーのようだった。

 しかし、胸のうちに高鳴っていたものの質は突如として変化した。30km地点を狙っていたかのように飛び出していった野口に渋井がついていけない。その後は圧巻だった。野口は粘り強く追走するサリナ・コスゲイをも突き放し、ついには大会記録を更新してフィニッシュラインを通過した。

 その快走は、ミステリーを瞬く間にハードボイルドにした。薄暗い古城のカーテンの裏で王位継承を巡り自らの思惑と疑心暗鬼の狭間にもがき揺り動かされる中世ヨーロピアン・ミステリーは、一転してたったひとりのヒーローが何十人といる盗賊集団を白昼堂々次から次へと倒していくウェスタン・ハードボイルドとなった。一人旅になってもペースは落ちるどころかゴールに向かってますます上がっていくようにも見えた。数々の逆転劇を生んできた四谷の坂も野口には関係ない。むしろ、その「強さ」を際立たせる格好の舞台でしかなかった。

 ゴールの瞬間、世界は野口のためにあるかのようにさえ感じられた。「強さ」を超越した「美しさ」すら感じた。これこそはまさにハードボイルドだ。ハードボイルドの世界では力のある者は無条件に美しく、そしてすべてを手にすることができる。

「強さ」がときとして「美しく」なるのは、そこに「残酷さ」があるからだ。月桂冠を頭上に掲げた野口の横を渋井がジョギングをしているかのようなスローペースで過ぎていく。勝者と敗者、明と暗といった言葉だけでは表現できない何か。野口の美しさはこの場合、渋井に見せた残酷さへの裏返しだった。意地だけに支えられた渋井のあの姿があったからこそ、野口はあれほどまでに美しかったに違いない。

 そして、それはスポーツが人々を魅了してやまないひとつの理由でもある。観る者だけではない。アスリートもその栄光の陰に地獄のような残酷さがあることを知っているからこそ、誰にも負けたくないと強く思うのだ。

 渋井を指導する鈴木秀夫監督に「もう1回走っても選ばれない。1万メートルは(代表を狙うことは)ない」(朝日新聞)とまで言わしめた野口の走りは、ライバルに一片の希望すら残さないほど残酷であり、そして美しかった。

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