男子100メートル、現在の世界記録は9秒74。ジャマイカのアサファ・パウエルが今年の9月に自己の持つ世界記録を0秒03更新した。
人類にとって100メートルの「壁」は漠然と10秒という想いがあった。いまや9秒を目指して着実に前進しつつあるようだ。
しかしながら、1964年の東京オリンピックの100メートルを10秒フラットで制したボブ・ヘイズと、現在のパウエルやタイソン・ゲイを同じ判断基準で見ることはできないだろう。計時の精度もトラックの材質も飛躍的に進歩を遂げた。ましてシューズの能力たるや比較にならない。
スポーツにおける進歩をヒトの身体能力の向上だけで語ることは難しい。ほとんどの競技がなんらかの用具の使用を前提としてデザインされており、用具は技術的改善が常に行われているからである。
抵抗や摩擦を極力減らしたウエア。通気性に富んだユニフォーム。反発力を高めたさまざまな器具、ボール。そして軽さやグリップに最大限配慮したシューズ、等々。テクノロジーがヒトのフィジカルをアシストし、記録の向上やスポーツの発展にはたした役割は計り知れない。しかし、どこまでがヒト本来の力で、どこからがエクイップメントの働きだと断ずることなどできるだろうか?
メンタル面はどうだろうか。エリートスポーツになればなるほどメンタル・トレーニングやコントロールは欠かせない。モチベーションを維持し続ける。爆発的にテンションを高める。近年、サングラスを装着した陸上アスリート(特に日本選手)が目立つのもメンタル重視の現われだろう。目の色の濃い日本人は、ヨーロッパ人のように光線から裸眼を守るニーズはさほど大きくない。サングラスよって得られる精神的安寧がメンタル・コントロールをより容易にするのである。
シドニー五輪の女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子選手がスタート前にヘッドフォンをつけてリズムに合わせて身体を揺らしていた。リラックスし、自分をインスパイアするのだという。当時おおいに話題を呼んだ。
iPodの登場で、白いヘッドフォン・コードは進歩的ライフスタイルの象徴になった。本体はますます小型・軽量化され、文字通りどこででも音楽を楽しめる。ロードランナーも白いコードを耳につけて颯爽と走り去る。
こんなスポーツカルチャーに待ったをかけるルールが議論を呼んでいる。アメリカ陸連が公式のマラソン大会におけるヘッドフォン・ステレオを禁止したのだ。理由は、公平性の維持。そしてレース中の安全の確保。即ち、レース中の係員の声が届かない、集中力を欠き事故を誘発しやすい、といった配慮からである。ルール上「使用禁止」を明確にしない大会はイベント保険の掛け率も不利になるという。
何千人、何万人もが参加する市民マラソンにおいて、一体どの程度の実行力があるか。それは、もちろん疑問だ。ルールに明示しても、ますます裾野を広げているロードレースを「エンジョイ」しようという市民ランナーの理解が得られるか難しいところだろう。
公平性の確保に関しては、音楽がもたらすであろうポジティブな効果が議論の根底にある。デバイスを介した音楽がアスリートのフィジカルやメンタルにどのような影響を及ぼすか。サングラスはメンタル・コントロールを促すようだが、iPodはより積極的にメンタルに働きかける力を秘めているかもしれない。見る、と聞くとの違いはきっとあるだろう。
マラソンのシーズンを迎え、各地で大会が開催される。スポーツとカルチャーとテクノロジーの新しい関係に注目、である。
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