甲子園がたけなわである。所用で日本に滞在しているので、いきおいテレビに映った高校野球を見ることが多い。
たまたま、筆者の次男はアメリカで野球をやっているが、16才の部(高校1年)で全米ベスト8に入ったクラブチームに入っていることもあり、自然に日米の高校野球の差に気がつくことになった。以下、いくつか書いてみることにする。
言い古されたことだが、甲子園で常道となっている送りバントをアメリカで見ることはあまりない。他にも、カウントが2−0になるとキャッチャーが立ち上がり1球を無駄にすることもアメリカではあまり見ない。
ただし、バントだけを見て、日本の野球の方が緻密で監督の権限が大きいと結論づけるのは早計だ。甲子園を見ていると、球種とコースはキャッチャーが決めているが、アメリカでの全国大会では、1球ごとに監督がキャッチャーにサインを出す。監督とキャッチャーは乱数表に基づいた「暗号表」を持ち、例えば1−4−1は「アウトコース低めのチェンジアップ」などの符号がある。盗塁が予想されれば、「4秒待ってから牽制」というサインがあり、バッターを幻惑するために「わざと首を振る」というサインもある。キャッチャーもピッチャーも基本的には球種やコースを決めることはできない。一見自由に見えるアメリカの野球は案外緻密なのである。
ラインナップを決める際の大きな違いは、ピッチャーの数である。日本の高校野球の場合、地方大会や甲子園の準決勝くらいまで来ないと連戦ということはないので、1人か2人のエースに頼る傾向がある。アメリカの場合、高校でもクラブチームでも週末に4、5試合やることがあり、1試合は7イニングから成るが、ピッチャーは最低でも5、6人は必要となる。もっとも、これは日本のリトルシニアなどでも同様であろう。連戦であっても、5、6回投げたピッチャーは必ず中3日は空けるのが常識である。監督が投手の腕を酷使すると親が黙っていない、という側面もある。
さて、甲子園を見ているとバッターのパワーがないように見えるが、この裏にはからくりがある。高野連は2001年に選手、おもにピッチャーの安全を考慮してバットの重量制限をそれまでの800g以上から900g以上に引き上げた。これはアメリカでは31.75オンスとなるが、こんなに重いバットを使う選手はいないし、売ってもいない。アメリカの重量制限はインチ数から3を引いたオンス数となっており、平均は32インチ、29オンスである。市販品で一番重いものでも34インチ、31オンスであるが、あまり一般的ではない。したがって、日本の小さな高校生が31.75オンスを使うのに対して、アメリカの190cm、90kgの大型選手が33インチ、30オンスを使うという逆転現象が起こるのだ。日米対抗野球ではどうしているのか知らないが、お互いの規格のバットを使うのであれば、明らかに日本側には不利になる。
アメリカでも、飛びすぎる金属バットを規制するため、木のバットが流行りである。ノースダコタ州では(主には寒すぎてバットが破損するという理由で)高校野球での金属バットが禁止されており、ニュージャージー、マサチューセッツ州やニューヨーク市などでも選手の安全を考慮した同様の動きがある。また、大学野球やプロをめざす高校生を対象に、打撃の巧拙がよりはっきりとする木製バットを使った大会が花盛りで、筆者の次男のチームがこの夏参加した5つのトーナメントのうち、4つまでが、木製バットに限るトーナメントであった。飛距離が明らかに落ちる木製バットのトーナメントでは、甲子園の野球のように、1、2点を争う試合が多く、バントや内野守備が勝負を分けることが多い。
もう一つ気がつくのは、甲子園レベルのチームは内野守備が洗練されているのに比べ、外野守備はうまいとは言えないことだ。1、2回戦で延長戦がいくつかあったが、そのほとんどで外野の頭を越える2塁打が鍵となっていた。安打に無用に突っ込んで長打にしてしまうケースもままある。外野守備のポイントは出足と判断力であるが、これは内野守備のように、猛練習ではうまくならないということであろう。バットの重さとあいまって、地方大会などではあまり大きなフライが飛んでこないということにも関係しているかも知れない。
もっとも、細かい差はあれ、球児の熱闘に心を打たれることには日本もアメリカも変わりはない。
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