このほど、「バンクーバー朝日軍〜伝説の日系人野球チーム、その栄光の歴史」の本が文芸社から出版された(5月発売)。筆者は朝日初代チームの投手だった、テデイ・フルモト選手の息子、テッド・Y・フルモト氏(本名・古本喜庸氏)。1914年、カナダのバンクーバーで誕生し、激しい日本人移民の迫害、弾圧の中で、いかに、日本人移民が生き抜いたか、現地の取材を土台に書き上げたフィクション。自費出版本である。 テッド氏は今年60歳。日本生まれの日本育ち、バンクーバーで活躍していた父君のプレーは全く知らないが、子供のころから毎日聞かされていた朝日の足跡を、いつかは日本の読者に理解して欲しい、と、ビジネス・コンサルタント業で飛び回る合間を縫ってまとめたものだ。すでに、初期のメンバーは1人も現存してない。当時の記録も、戦争を挟み、ほとんど残っていない。朝日顕彰委員会の調査記録でも、初期のメンバー9人には不明の選手が半分もいる。その困難を乗り越えて、バンクーバー、トロントに飛び、二世、三世の記憶を頼りに、再現した力作だ。 私は、テッド氏に会うことができたが、「この歴史を風化させないために私がやります。私がやらないで、だれがやるでしょうか」の使命感に燃えて書いた、という。戦争前に帰国した父君の悩みは「日本でだれも朝日のことを知らないのは残念だ」だった。バンクーバーで出会ったクツカケ捕手には「キミに頼んだよ」と、託されたという。 戦前のバンクーバー、ブリティシュコロンビア州は、特に日本排斥の気風が濃く、これに打ち勝つには、対等に試合の出来る野球しかなかった。バンクーバー朝日は、基礎プレーを忠実にこなし、バント、走塁、守備を磨く「考える野球」で、体格に劣るハンディを克服、白人チーム相手にセンセーションを起こしたという。 日本人全員が応援し、それに応えて、バンクーバーの王座に着いた朝日の頑張りには、ついにカナダも認め、カナダ野球殿堂、BCスポーツ殿堂にも朝日チームは掲額され、表彰されている。テッド氏は「この本は日本の方にバンクーバーをもっと知って欲しい。と同時にカナダでも、さらなる理解を深めたい」と、英訳本もバンクーバーへ向け準備中だ。94年も昔の物語だが、当時の社会を知るには十分の読み物である。
彼らはプレーを“遊ぶ”と表現し、困難な環境の中でも楽しむ心を失わなかった、というテッド氏の紹介が興味深い。戦争で収容所に入れられながらも、外国人と交流野球をやっていた日系人。今の日本に失われかけているひたむきさが感じられる。 |