スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ
vol.413-1(2008年8月25日発行)
松原 明 /東京中日スポーツ報道部
「女子サッカーの躍進」

 北京五輪でメダルは逃したが、日本女子サッカー代表チーム「なでしこジャパン」は世界のベスト4に入り、その存在感を示した。特に体の小さい日本は、組織で連動すれば、ここまで高められることを示し、女子の新たな道を開く、歴史に残る試合ぶりだった。

 「体が小さくてもやれるか」の問題は、日本の、東アジア諸国の大きなテーマなのだが、日本が手本を示せたのは大きい。2003年のアメリカ・ワールド・カップの時、準決勝前日の会見でアメリカ代表のエイプリル・ハインリックス監督に、この問題をぶつけてみた。

 女性監督のハインリックスさんは、丁寧に、教えるように、こう言ったのを今でも覚えている。「私も現役時代は160センチ台だから小柄だったの。でも、ちゃんとやれました。大きなDFでも突破できる技はあるのです。決して諦めてはいけません。工夫と努力ですよ。みなさん、アメリカに来て、フィジカルの研究をなさい。大きな人にも負けないように、練習と努力でできます。自信をもってやりなさい」。

 それから5年、日本の小柄集団は当たっても負けない力を身につけ、ついに、対等に試合運びができるまでになった。

 2003年の上田監督から2004年アテネ五輪、さらに2007年中国W杯の大橋監督、今の佐々木監督と、一貫して受け継がれ、チームを熟成させた結果が、このベスト4である。最後まで試行錯誤を続け、まとまらなかった男子とは大きな違いだった。

 今回は約2ヶ月間にもなる長期合宿にトラブルもなかったほど、今の代表は我慢強い。選ばれた誇りと責任感がある。帯同役員の1人はこう言う。「みんな本当に研究熱心。自分の立場、役割をしっかり把握しているのには感心しました。全員ノートに書き留め、監督から質問されても、よどみなく答えられる。監督、コーチとまさに一体なのですね。良く理解されているから、あのように連携して動けるのです」。

 佐々木監督の英断はチームの核の構成を変えたことだった。2007年W杯ではトップ下でアタッカーだった澤をボランチに下げ、当時ボランチだった宮本を外した決断だ。宮本は大柄で外国選手と渡り合える強さがあったが、大きな故障、結婚、出産を経て、90分間フルにプレーできなくなっていた。澤は相手国に徹底研究され「澤をつぶせばいい」と、前を向いてプレーさせてもらえなかった。ツー・トップは孤立し、お手上げの状態だった。

 澤は、20歳で運動量豊富な坂口と新たなコンビを組み、下がることで視野が広がり、両サイドの2人、前線の2人と6人の連動で突破口を開く、中心の指揮官になった。29歳の今、まさに円熟した経験豊富な状態で最高ではないか。加えて天運も日本に味方した。佐々木監督が出発前「メダルの可能性は50%ある」
と話したときは、だれもが驚いたが、その予言通りになった。

 五輪アジア予選で、日本は最強の北朝鮮と別組になり、韓国以外に難敵がいない幸運に恵まれた。本大会は1次リーグで3位になれば、準々決勝では中国のグループと当たる可能性が高いグループだったのも幸いした。「3位の方が楽なんだ」と読んだ天運が「50%の可能性」の発言の裏にある。

 さらに、高温多湿の中国の気象条件がノルウェー、スウェーデン、ベルギー、ドイツの欧州勢を苦しめた。これらの幸運も、日頃のたゆまぬ努力が報いられた、と思いたい。しかし、アメリカ、ドイツの強国に一度も勝てないように、今後、大柄な選手の台頭で大小ミックスの理想像ができてこないと、この壁は越えられない。その道をどう開くか、楽しみである。

筆者プロフィール
松原氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件