またしても水着をめぐる騒ぎである。水泳関係者は例のレーザー・レーサー問題で何も考えなかったのだろうか。 スピード社の新型水着、レーザー・レーサーをめぐる大騒ぎがあったのはつい去年のことだ。それを踏まえて水泳界が肝に銘ずべきはただひとつ、こうしたことによって水泳競技そのものの本質をそこなってはならないという一点だろう。用具が競技の結果に大きな影響を及ぼす、あるいは及ぼすとみられてしまうような事態があってはならないのである。 なのに、またもこの騒動だ。今回は、新規定の導入などによって国際水泳連盟の認可を受けられない新水着が続出したという形だが、それはやはり、この問題に対する基本的、本質的な論議や取り組みが尽くされていない表れではないか。 用具の進歩が競技の進化に大きく貢献しているのは間違いない。競技施設なども含め、用具の改良が幅広く行われてきたことで、競技者たちの可能性も大きく広がってきたといえる。また、スポーツ用品メーカーが常に新製品を開発していくのも当然のことだ。 ただし、行き過ぎはすぐさま正されねばならないのは言うまでもない。用具や施設によって結果が左右されるようなことになれば、競技への信頼や興味が薄れ、果ては人気、注目度が一気に低下するような事態にもつながりかねないからだ。 極端に反発力を強くしたバットや飛びすぎるボールが野球に氾濫したらどうだろう。しかもその使用が特定のチームにかたよったら・・・。いくら派手なホームランが飛び交ったとしても、見ているファンはしらけるばかりに違いない。あるいは陸上競技で、新素材などによって飛躍的に飛距離が伸びる投てきの用具や、硬くて異常に速いトラックが出てきたら、どんな記録が出たとしても、関係者やファンは疑問を感じずにはいられないはずだ。そんなことにならないよう、それぞれの競技連盟は用具や施設に常に目を配り、適切かつ公平なルールを設けていかねばならないのである。 水着の場合はどうだろうか。レーザー・レーサーの問題は、北京五輪を控えていたこともあって世界中の注目を集め、スポーツの枠を超えた大論争が巻き起こった。当然のことながら、水泳界にはそれを真摯に受け止め、今後に具体的に生かしていく義務がある。だが、今回、再び混乱が起きたのを見る限り、水泳界がこの問題にふさわしい、適切かつ十分な対応をしてきたとは言えないようだ。 もちろん責任の第一は国際水泳連盟にある。国際水連はこの3月に新規定を導入したのに続いて、来年からはさらに生地の浸透性に関する項目を加えた新基準を設けるが、ここまでの一連の対応はやや場当たり的で、関係者すべてを納得させるものにはなっていない。なにより、水着と競技の関係についての基本的な姿勢がはっきりしていない。それでは、水着で結果が左右されることになりはしないかという疑問は拭いきれないのである。 水泳は、それこそ身ひとつで人間の可能性に挑んでいく競技だ。その単純明快な肉体の躍動こそが魅力なのである。そこに水着のアシストが介在してくるのは、明らかに水泳競技の魅力、存在意義をそこなう事態と言わねばならない。しかも、そうした新型水着をどの選手も公平に手に入れられない状況があるのなら、疑問はなおさら深まる。 水泳競技の純粋性を保つために、水着はどうあるべきと考えるか。用具の進歩と競技の進化との整合性をどう保っていくか。国際水連はまずそのことを、水泳関係者だけでなく一般のスポーツファンに対してもわかりやすく説明しなければならない。そのうえで、水着と競技結果の間によけいな疑問を生じさせない、明快なルールをつくってもらいたい。細かい規定を増やし、提出された新水着をひとつひとつ審査して判断するのもいいが、まずは基本的な考え方をしっかり、はっきりと示すのが大事ではないか。 とにかく競技の魅力、信用性、公正さを守るのが第一だ。これからも画期的な新製品が出てくるだろうが、泳ぎそのものに過大なアシストを与える可能性があり、かつどこの国でも、どの選手でも適正な価格で手に入れられる形になっていないのなら、競技の場では使うべきでない。そうした製品は一般用として大いに利用すればいいではないか。楽に、速く、より安全に泳げる水着は、水泳のさらなる普及にこれ以上ない貢献をするだろう。 トップスイマーたちにも考えてもらいたい。世界の一線で勝つために、少しでもタイムを縮められる方策を模索するのは当然だ。だが、何回も触れたように、現状ではそれが水泳競技そのものに対する疑問を招きかねないのである。 トップ選手にも競技に対する責任がある。「泳ぐのは僕だ」というのであれば、それぞれの選手が、現状についてどう思うのか、水着と競技の関係をどうすべきと考えるのか、競技の場にふさわしい水着とは具体的にどういうものだと考えるのか―を堂々と語るべきだろう。 いずれにしろ、これは水泳界すべて、スポーツ界すべてに関係する問題である。各連盟、選手、指導者、メーカー。すべての関係者に、真摯に考え、取り組む義務があるのを忘れてはいけない。 |