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vol.467-1(2009年11月9日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

強打者は味わい深い

 「よかったあ・・・」「よかったねえ」

 米メジャーリーグのワールドシリーズ第6戦が終わった午後、私の周囲ではそんなやりとりが何度かあった。おそらくはあちこちで同じような言葉が聞かれたのだろう。シリーズMVPに選ばれた松井秀喜のことだ。

 「よくやった」ではない。「すごかった」でもない。つまり、大スター、ひいき選手の活躍を普通のファンの視点で見ているのとはちょっと違うのだ。まるで自分のことのように、家族や親しい友だちのことのように「よかった・・・」という声が発せられたのは、この強打者の人間味ゆえに違いない。

 松井秀喜は、その身にいつも爽やかさをまとっている。めったにないことと言っていい。

 爽やか、とはスポーツの世界で実に頻繁に使われる言葉である。手あかのついた常套句と言った方がいいだろう。たとえば、若かったり容姿がよかったり、ちょっと愛想がよかったりすると、周囲は(メディアも)すぐ「爽やか」という形容詞を使いたがる。おかげで、我々としてはわざわざ「爽やかな」という表現を避けているほどだ。

 そんな中で、松井秀喜という人物には「本当の意味での」爽やかさを感じる。プレーヤーとしての足どりも、その性格や姿勢も、常に自然でまっすぐであるからだろう。

 持って生まれた才能がきわめて大きいのは言うまでもないが、その反面、けっして器用なタイプではないと思う。ひとつひとつ考え抜き、練習で積み上げ、練り上げて自分のバッティング、プレースタイルをつくってきたようだ。当然、そこにはしばしば厚い壁や深い悩みが出てくるに違いない。だが彼は、どんな時でもあわてず騒がず、ひたむきに努力を積み重ねてきたように見える。あきらめもせず、安易な妥協もせず、自らの信じる道を愚直に歩み続けてきたように見える。だから、度重なる故障や不振に出合っても、苦しみやあせりを表に出すことなく、ひたむきに努力を信じて乗り切ることができた。自然体でまっすぐな姿勢をけっして崩さない人生なのである。そんな人間性や生き方が、素朴で味わい深い爽やかさをかもし出しているのだろう。

 周囲やメディアへの対応も誠実だ。メディアに対しては、きちんと自分の思いを率直に口にする。質問をはぐらかしたり、素っ気なく身をかわしたりすることはない。不振のまっただ中でも同じだ。それは、記者やテレビカメラの向こうに、野球を支えてくれる大勢のファンがいるということをしっかり意識しているからに違いない。

 そうした気持ちがはっきり伝わってくるからこそ、見る側はますます松井秀喜に親しみを感じるようになる。自分の思いをこの愚直なスラッガーに寄り添わせ、我がことのようにその姿を見つめる。そんなわけで「すごいな」「かっこいいな」ではなく、「よかった」「ほんとによかった・・・」という声が思わず出るというわけだ。

 松井はよく「優等生」と評される。それには若干の皮肉もこめられているようだ。だが、本人にしてみれば、ごく自然に振る舞っているだけだろう。何より好きな野球の道をひたすら進んでいけて、より高いレベルへの挑戦が続けられれば、他には何もいらない。彼はそう思っているのではないだろうか。

 これが適当な表現かどうか、いささか迷うところもあるが、松井秀喜を見ていると「古き良きスポーツマン」というイメージが浮かんでくる。スポーツマンシップというような概念がまだ純粋に生きていた時代の選手という感じがするのだ。そして「古き」ではあっても、それはもう一度取り戻すべきことではないかとも思うのである。

 近ごろの人気アスリートはみな個性的だ。というより、意図して特異なキャラクターを身にまとおうとしている観もある。そこで、ウケを狙って派手な言動を繰り広げたり、あえて無愛想に振る舞ってクールを装おうとするような手合いが増えた。

 いまの世の中がそうしたことを求めるなら、それはそれで仕方がない。が、そんな風潮ばかりが目立つスポーツ界に首をかしげているファンも少なくないはずだ。だから彼らは、古き良き香りを感じさせる男が逆境を乗り越えて成し遂げた快挙に「ああ、よかったなあ」としみじみ呟くのである。

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