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vol.455-2(2009年7月3日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者
スポーツ報道の「記録性」を考える

 先月中旬、「今こそスポーツジャーナリズムを問う」というシンポジウムに出席した。スポーツジャーナリストの大御所、川本信正さんの没後13年を記念し、メディア総合研究所とスポーツデザイン研究所の共催で行われたものだ。私のほか、谷口源太郎さん(スポーツジャーナリスト)、森田浩之さん(ジャーナリスト)、そして柔道の山口香さん(筑波大学准教授)がパネリストを務めたが、司会の杉山茂さん(スポーツプロデューサー)が投げかけてくる様々なテーマの中で、予想以上に盛り上がったのがスポーツ報道における「記録性」だった。

 記録は活字媒体が得意とする分野だが、新聞の記録性は確実に失われつつある。新聞が取り上げるべきスポーツは国内外を問わず多種多様になり、その一方で高齢読者にも合わせて昔よりも文字が大きくなった。新聞のスペースにそれらのスポーツ記録をすべて掲載するのは難しい時代になってきたのだ。

 今春から朝日新聞は東京六大学野球の「テーブルスコア」の掲載をやめ、「その代わりに記事を充実させます」とお断りを入れた。テーブルスコアとは出場選手の打数、安打、打点などを記したものだ。しかし、これが記事以上にスペースを取る場合がある。朝日新聞がテーブル掲載をやめた理由が私にもよく理解できる。記録よりも記事を載せた方が紙面も生き生きするに違いない。記事と記録のバランスは崩れ始めており、シンポジウムで私は「スポーツ記録はどんどん掲載されない方向へ向かうのではないか」という内容の話をした。

 今後はいろんな記録が「リストラ」の対象として議論になるのではないかと思う。前述の大学野球に加え、高校総体や国体、団体球技の日本リーグ・・・。大リーグの日本人選手の記録も、各選手の打席ごとの成績まで扱うべきかどうか。連日掲載されるプロ野球の記録はもっとスリム化できないか。7月中旬から下旬にかけて佳境に入る高校野球の地方大会は、多い日で400試合以上あるが、全国で行われる全試合の結果を1回戦から載せるべきか疑問を呈する意見も出てくるに違いない。

 シンポジウムの後、聴講者がアンケートに記入した意見を見せてもらった。その中に「私は学生時代、新聞の片隅に小さく載った自分の記録がうれしくて、今もずっと記事を持ち続けている。新聞から記録性が失われていくのは残念です」というものがあった。このような声を聞くと、新聞はまだまだ簡単には割り切れないと思う。小さな記録の一つ一つに掲載すべき価値が残っている。

 その一方で、記事が十分に載らないという不満は、読者だけでなく、記者の間にも広がっている。シンポジウムでは、記事の「批評性」や「娯楽性」が失われている、という指摘もあった。記事と記録のバランスをどう保っていくか、われわれ新聞社の人間は慎重に考えていかなければならない。安易な「リストラ」で済む問題ではない。

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