クルム伊達公子、杉山愛、松岡修造、錦織圭...。平均的な日本人が聞いたことのある国内(元)プロテニス選手と言えば、このあたりであろう。 それでは、現在ATP(世界男子プロテニス協会)ランキングで日本人第1位が誰か、答えられる人は何人いるだろうか。4月19日現在、その答えは、ATP184位の添田豪である。それに続くのは、ATP200位の杉田祐一、256位伊藤竜馬。2008年全米オープン4回戦に進出し、一時56位まで順位を上げた錦織圭は昨年5月、肘の疲労骨折でツアー参加を中断したので、現在799位(日本人では17位)である。国別対抗戦であるデビスカップ、3月に行われた対フィリピン戦では、添田、伊藤両選手がシングルスで2勝ずつをあげ、2回戦の対オーストラリア戦進出の原動力となった。
さて、4月10日から18日まで、筆者が住むアメリカ南部の中都市、ルイジアナ州バトンルージュでATPチャレンジャーツアーの大会が開かれ、添田、伊藤、錦織の日本人3選手が揃って参戦した。チャレンジャーツアーは、主にランキング100位から300位程度の選手が参加するツアーで、いわゆるメジャー大会を含む「ATPワールドツアー」参加者の予備軍(チャレンジャー)たちの大会である。
結果は伊藤が一回戦敗退、怪我からの復帰第2戦であった錦織はベスト8に残り、添田が日本人最高のベスト4に残った。この3人ともに次の週はフロリダ州のタラハシに移動し、次のチャレンジャー大会に参戦している。ともに一回戦を突破した伊藤と錦織が、海外では珍しい日本人同士の対戦となる二回戦で激突、錦織が2?1の接戦を制し、ベスト8まで勝ち残った。添田は残念ながら1回戦で0?2で破れた。このうち添田、伊藤は揃って南米、エクアドルに移動し、チャレンジャークラスのエクアドル大会に出る予定である。 筆者は添田、伊藤両選手と食事を共にし、話をする機会があったのだが、いわゆる「サーキットプロ」の苦労を聞き、感心させられた。
プロとは言え、みなまだ若い。添田25才、杉田21才、伊藤21才、錦織に至っては若干20才である。時差ボケで苦労し、アメリカ国内は、コーチ、あるいはトレーナー等、チームスタッフの運転するレンタカーで移動。タラハシからエクアドルのマンタという町までは飛行機で移動し、休む間もなく転戦する。楽しみと言えば、買い物や、音楽を聴いたり、DVDを見たり、ネットサーフィンやゲームをするくらいで、近くに有名な場所があっても観光する余裕などない。ブログを更新したり、ツィッターでしゃべるのも息抜きだと言う。経験してみないとわからないが、海外での苦労は、国内での苦労とは全く違ったものだ。友人や家族がそばにいないし、ストレスを発散する場所がない。
食事はもちろんほとんどが外食で、翌日に試合があれば、アルコールは一滴も口にしない。一緒に食べた夕食でも、日本料理店で注文する客はほとんどいないであろう「野菜サラダ」を二人揃って、いの一番に注文したのが印象的であった。
バトンルージュでの試合当日、筆者が観戦できた準々決勝の観客は30人足らず。シングルスの優勝賞金は約70万円である。準決勝の添田が約24 万円、ベスト8の錦織で約14万円。コーチを帯同したホテル住まいではとても生活ができない。であるから日本では年間契約のスポンサーを確保するのも重要な仕事だ。負けた場合は1日でも早く次の大会が開かれる場所に移動したいので、試合の当日も毎回ホテルをチェックアウトしてから会場に向かう。日本で最高峰のプロテニス選手にしてこうであるから、彼ら以外、日本に120人以上いる男子プロテニスプレーヤーの苦労というのは並大抵のものではないと想像できる。
こういったいわゆるサーキットプロはテニスに限らず、ゴルフやボーリングでも同様であろう。すべて、メジャーな大会で活躍するという栄光を目指しての努力であり、苦労である。
話をしてみれば、添田、伊藤両選手ともに礼儀正しい「普通の若者」であった。日本国内ではトップクラスとして優遇されるかもしれないが、海外に出れば数いる若手プロの2人にすぎない。伊達、杉山、松岡の域に達するのは簡単ではないし、運も必要だ。それでも、夢を追う若者には応援せざるを得ない真剣さが感じられた。今時の日本の若者も、捨てたもんじゃない、というくらいに。ハングリースピリットがまだ残っていた頃の日本の若者のようだ。
今回当地に来た添田、伊藤、錦織の3人とも、来年や再来年はバトンルージュのような田舎に来るのではなく、メジャーな大会でスポットライトを浴びてほしいものだと心から思う。 |