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vol.502-1(2010年9月3日発行)
松原 明 /東京中日スポーツ報道部
「通訳は生命線」

 日本サッカー協会が岡田武史監督の後任に捜していた日本代表監督は、イタリア人のアルベルト・ザッケローニ氏に決まった。何人かの候補者に断られ、欧州でようやく見付けた監督である。

 イタリアの名門「ACミラン」で優勝経験があり、日本にとっては初めてのイタリア出身監督でどんな新知識を植え付け、選手を躍動させるか楽しみだが大問題は通訳である。交渉から来日まで人選の時間がなく適任者がいなかったため臨時に宮川善治郎通訳を立てたが、日本語があいまいでうまく話せない。監督の意向、真意は伝わらずみんなイライラする来日会見だった。

 テレビ、新聞に真意は載っているが、各社が独自で音声を再現し正確に直したためで、現場で聞いていた限りでは監督の考えが分かった人は少ないのではなかろうか。ザッケローニ監督は「選手とのコミュニケーションを大事にする。良く話し合い、お互いに理解を深めたい」と、明らかにしているが肝心の気持ちがあの程度の表現で伝わるとは思えない。

 ザッケローニ氏は、パラグアイ、グアテマラ戦を終えていったん帰国。身内のコーチを引き連れて再度来日するが、それまでにしっかりした現場通訳が附くのだろうか。

 日本サッカー協会は「あの日本語表現では困る。早急に捜します」と、言っているが外国人監督を起用した場合、一番大切なのは相互の意志疎通である。イビチャ・オシム監督が就任したときは千葉監督時代に慣れていた通訳が同行せず、セルビア語の堪能な通訳がおらず、人選に大変苦労した。

 言葉が分かるだけではない。サッカーを理解し、戦術を知り、監督の意のままに伝えるのは難しい。オシム監督に附いた千田進氏は猛勉強して監督をサポートした。難解なオシム語録をよくあれだけかみ砕いて伝えた、と思う。

 これまでの外国人監督が成功した背景には有能な通訳がいた。その努力がないと失敗していただろう。しかし、通訳は慣れてくると自分が監督になったような錯覚を起こし、道を誤ることもないではない。あくまでも黒子の立場を守らないと逸れてしまう危険もある。

 来年1月にはアジア王者を決める「アジア・カップ」が開幕する。もう時間は限られていることを思うと適任者が現れるかどうか、心配でならない。

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