2018年、2022年のサッカーW杯開催地を決めるFIFA(国際サッカー連盟)の理事投票は、12月2日、スイス・チューリッヒで行われ、2022年開催に名乗りを挙げていた日本は2ラウンドで最下位になり予想通り落選した。
関係者は「2002年の日韓大会から間隔が短いため」とか、「2度目だから」と、反省しているが、問題点は国の後押し、あるいは全面指揮がない点にある。それに付随して「10年後には、現在の2002年W杯会場のスタジアムが老朽化して、全面的に一新しなければならないのに、そのメドが全く立っていない」の2点だ。
2018年のロシア、2022年のカタールが、他国に競り勝ったのは、最新スタジアムを国が完備する、ことを大きく掲げ、ロシアは13スタジアムを建設、カタールは9会場を新設する、意気込みが桁外れのすごさで他国を圧倒した。ロシアはブーチン首相自ら会場に乗り込み、いかに素晴らしい施設を造るか、克明に説明し、カタールは国を代表してモハメド王子が、その意欲をPRした。
日本は民主党内閣から1人も首脳級は会場入りしていないし、8歳の女子が、プレゼンテーションの先頭に立つのでは「日本は国全体を挙げてやる気があるのか」と、疑われても仕方がない。候補地参加国は、みな、元首、首相クラスを送り込んだのに対し、首相も来ない日本の見劣りは大きい。
東京オリンピック招致運動も「日本のプレゼンテーションは立派だ」と、高い評価だったが、いざ、ふたを開けると完敗。「国民の熱気が伝わらない。盛り上がりがない」と、手厳しい評価だった。その東京都と同じ失敗を繰り返した。今回の誘致運動は、サッカー協会だけが一人歩きして、国民は全く無関心だったのだから勝敗以前に周到な準備が足りなかったのではあるまいか。
いまや、サッカーW杯開催地誘致は、国と国との経済力勝負である。サッカー協会の単独の力では、とても及ぶものではない。国の底力を見せて登場しなければ勝ち目は全くないのだ。
FIFAは、「未開拓の大陸へ進出して、サッカーをさらに拡大させよう」と、未知の国、南アフリカへ進出して成功したあと、その構想を進める時流を見れば、東欧初(ロシア)、中東初(カタール)の開催になるのは不思議でもない。
この教訓を土台にして、今後、どのような世界大会を日本で開けるか、当初「2050年までにW杯を日本で開催」の大目標を掲げていた原点に戻り、もっと規模の小さい大会から行い、次第に輪を広げる努力を重ねるしかないのだ。
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