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vol.481-1(2010年2月22日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の重圧」の凄み

 「五輪の重圧」とは、手あかがつき過ぎてすりきれるほど頻繁に使われる決まり文句だ。ただし、その常套句が現実のものとなって目の前に現れると、見ている者の背筋を思わずぞくりとさせるほどの凄みがある。

 バンクーバー冬季五輪のフィギュアスケート男子シングル。ショートプログラムを終えてエフゲニー・プルシェンコがトップに立った時点で、ほとんどの関係者やファンがこのロシアの名手の優勝を確信したに違いない。4回転をはじめとする、あの圧倒的なジャンプの力があれば表彰台の頂点は堅いという感じだったのだ。プルシェンコとはそれほどの存在だったと思う。

 金メダルを取った前回のトリノ以後には長いブランクもあった。ジャンプ以外の評価が微妙に分かれてもいた。それでも存在感は抜きんでていた。別格と言ってしまってもいいだろう。

 ところが、フリーの演技の開始直後から、プルシェンコのジャンプはどこかおかしかった。4回転のコンビネーションは成功させたが、いつものように楽々と跳んでいるようには見えなかった。それどころか、トリプルアクセルでは軸がゆがみ、明らかにバランスが崩れた。他の選手なら転倒していたかもしれない。その後もいつもとは違うジャンプがいくつか出たのである。結果、握りかけていたはずの金メダルは手からするりと抜け出ていってしまった。

 「4回転を跳ばなければ王者の資格はない」と主張するほど、ジャンプに絶対の自信を持つプルシェンコだった。実際、最近の演技を見れば、ことジャンプに関しては他のいかなる有力選手ともレベルが一枚違っているようにも思えた。なのに、半ば約束された二つ目の金メダルへ向かうフリーで、本来のものとはかなり違うジャンプが続いてしまったのである。手あかのついた常套句が、ふいにむき出しの姿となってリンクに現れたというわけだ。

 難しい要素を短い時間に詰め込んだフィギュアスケートの演技でミスが出るのは避けがたい。ショートプログラムでも、メダル候補のブライアン・ジュベール、ジェレミー・アボットがミスの連続で下位に落ちている。とはいえあのプルシェンコが、ことに絶対の武器であるジャンプであのように乱れるとは思いもしなかった。試合後に伝えられた談話などからして、大きな体調の狂いやなにかのアクシデントがあったわけではないようだ。となれば、これはもう五輪の重圧が王者の体を縛ったとしか言いようがない。

 そのシーンがあらためて感じさせたのは、オリンピックという存在のとてつもない重さ、特別さだった。ふだんは余裕さえ感じさせるほどの演技をするプルシェンコは、GP大会や世界選手権ならまずあんな様子を見せることはあるまい。近ごろは、オリンピックも他の主要大会と同じ位置づけだとするトップ選手も増えているようだが、やはりこれだけは別物なのだろう。王者プルシェンコは、めったにない不出来なジャンプをもって、オリンピックの特別な重さを否応なく証明してみせたというわけだ。

 五輪大会に断然の金メダル候補として臨む選手たちは誰も、平然とふるまっているようにみえて、その裏ではこんなに深くて険しい深淵をのぞきながら戦いを進めているに違いない。そして、それがそのままオリンピックならではの面白さとなっているのだろう。となれば、ぜひとも4年後のソチ五輪でもプルシェンコを見てみたい。ライバルというより五輪そのものに敗れた観もあるプルシェンコが、より重圧がかかる地元の大会でどんな姿を見せるのか。これは実に興味深い挑戦になるはずだ。

 と、こんなことを思いながら見ただけに、ジャンプのラージヒルはよけいに鮮烈だった。こちらも断然の優勝候補だったシモン・アマンが、ノーマルヒルと同様に、2本とも他を圧する大ジャンプを見せて優勝したのである。そこには「五輪の重圧」など影も形もなかった。オリンピックとは、オリンピックがどれほど特別なのかも、また超人たちの超人たるゆえんも、すべてあまさず見せてくれる舞台であるようだ。

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