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vol.501-1(2010年8月23日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「まわし組」もきちんと語れ

 お相撲さんたちはいま、何を考えているのだろう。相撲界をどうしていきたいのだろうか。それがちっとも見えてこない。大相撲の危機が続いているというのに、当事者の考えや思いが伝わってこないとはどうしたことか。

 存亡の危機という言葉が大げさに聞こえないほどの状態に、いまの大相撲はある。賭博や反社会的勢力との関係、また暴行死事件や無軌道横綱の問題などが相次いで出たというだけではない。国技などともいわれる伝統の世界の裏側がそっくり見えてしまったことへの失望、幻滅、嫌悪こそが重大なのだ。あれこれと問題を引き起こしてもまったく反省のない体質、理念も信念も感じられない、閉鎖的かつ独善的な体質そのものが、多くのファンに拒否され始めたのである。確かに、そんな体質のもとで行われる取組など、誰が見たいと思うだろうか。

 それが、いま大相撲が置かれている状況である。対応しだいでは、坂を転がり落ちるような衰退さえ招きかねない。そこで、外部委員による特別調査委員会、相撲協会の改革を検討する「ガバナンスの整備に関する独立委員会」が設けられ、それぞれの活動が進められている。いくつもの面で思い切った手を打っていかなければ、この苦境を乗り切れないのは明らかだ。なのに、肝心の当事者たち、すなわち親方や力士からは何も伝わってこない。調査委や独立委に主導権を握られていることへの不満や「外部に乗っ取られてたまるか」といった反発は強いようだが、「では、相撲界をどう変えていくか」についての発言や意見はいっこうに聞こえてこないのである。

 数々の不祥事への対応から、相撲界に自浄能力が欠けているのは明らかだ。だからこその特別委であり、独立委である。そこで、しばらくは息を潜めて成り行きを見守ろうというところなのだろう。もともと、自由闊達に論議が行われる世界ではない。何かモノ申せばかえって損をするという意識もあるように思える。

 しかし、それですむわけはない。まさしく自分たちのことなのだ。もちろん外部からの指摘を率直に受け入れる姿勢は持たねばならない。とはいえ、何か言われるのを待っているだけでなく、当事者自ら考え、模索しないでどうするのか。存亡の瀬戸際で、ただ手をつかねていてどうしようというのか。

 できれば何も変えることなく、このまま嵐が過ぎ去るのを待ちたいと思っている者も少なくあるまい。改革だの変革だのを声高に論じているのは、しょせん外部の人間でしかないというわけだ。「相撲のことは相撲をとったことのある者でなければわからない」という考え方は根深いのである。だが、何も変わらなければ、変えようとしなければ、ファンの失望や幻滅はますます大きくなっていくだろう。

 親方や力士、いわゆる「まわし組」には、大相撲の数々の問題点、課題、劣化が進む内部構造について、どのように改革していくべきなのか、どうすればファンに納得してもらえる形にできるのか、それぞれに考え、論議し、世に問うていく義務がある。ことに親方たちは、相撲協会の運営に直接携わっているのだから、役員かどうかにかかわらず、しっかりと個々の改革案を練り上げ、それを内外に向けて語るべきだ。すべて独立委に丸投げでは、たとえ提言が出ても、それをきちんと実行に移せるはずがない。「相撲のことは相撲取りでなければわからない」部分があるのなら、ぜひともそれなりの知恵を示してもらいたいものだ。

 独立委の検討、論議は、部屋制度や年寄名跡といった相撲界の根幹にかかわる部分にも及んでいくとみられる。場合によっては現状を大きく変える提言が出されることもあるだろう。それには、まわし組から猛烈な反発が噴出するだろうが、反対するのであれば、危機を脱するための対案を示すべきだ。もし、語るべき知恵、示すべきアイデアを持ち合わせていないのであれば、国民の宝ともいうべき大相撲を担っていく資格はない。

 相撲協会の広報担当者が一般公募されている。が、広報態勢を整えればいいというわけではない。問題は、広報によって何を伝えるのか、ファンに伝えるべきものをきちんと考えているのか、ということなのである。

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