40歳のはつらつとしたプレーを大いに楽しんだ。そこにはまた、勝負を分けていく微妙な綾の数々も含まれていたように思う。女子テニスの東レ・パンパシフィック・オープン。クルム伊達公子がマリア・シャラポワを破った試合である。 11年のブランクをへて、37歳で現役カムバックを果たして2年。徐々にツアーの厳しい戦いに慣れてきたように見えてはいたが、それでもクルム伊達が初戦のシャラポワ戦で勝つ可能性があるとは思えなかった。実際、この結果を予測した関係者はほとんどいなかったろう。23歳にして元世界1位、ビッグタイトルの数々も持つ相手である。クルム伊達はといえば、この時のランクは67位だった。格闘技のように激しく、厳しい現代のテニスで、まぎれもないトッププレーヤーのパワーに小柄なベテランが対抗できるとは、とうてい思えなかったのだ。 ところが、フルセットの戦いの結末は大番狂わせだった。7−5、3−6、6−3。その裏にはいくつかの要素があったと思う。相性、試合に臨むそれぞれの意識、勝負の流れを大きく変えたひとつのプレーといったところだ。 スピンをかけた強打で容赦なく相手を圧倒するシャラポワ。が、早いテンポで低いショットを打つクルム伊達は、その強打にかえってリズムが合ったようだ。一方、シャラポワは、最近の選手にはあまりみられない相手のプレースタイルにいささかの違和感を感じていたのだろう。相性というものが持つ微妙な作用が両者の差を少しずつ埋めていったのが、まず番狂わせへの地ならしをした。 シャラポワは、普通に打ち合いさえすれば負けることはないと思っていたろう。どんな展開になってもパワーで押し切れると思っていたはずだ。ただ、相手のプレーに合わせた組み立てではなく、単純に力で押し切ろうとすれば、どこかにほころびが生まれるものだ。力勝負とミスは紙一重なのである。 クルム伊達はといえば、長いラリーに持ち込んでも勝ち目はない。最近の実績からすれば、劣勢はどうしても否めないのは本人もわかっていたはずだ。そこで、中途半端を避け、すべてのショットを思い切りよく放った。先手をとって左右に振ったのである。しかもショットは深かった。劣勢だからこそ、思い切りよくプレーすることに迷いはない。力に頼ろうとしたシャラポワはこの速い攻めにとまどい、ミスを重ねて自滅への道に入り込んでいった。 それでも最終セットでシャラポワはペースをつかみかけ、3−2とリードしたサービスゲームも快調にポイントを重ねて40−0とする。サーブも決まり始め、センターへの強烈なノータッチエースも出ていた。そしてゲームポイント。彼女はまたもセンターを狙った。ここもノータッチで派手に決めて相手の戦意を失わせようと思ったのだろう。 強烈な打球は、だがラインをかなり外れて弾んだ。続いてあっけなくダブルフォルト。そのシーンが何とも印象的だったのは、決めるべき時を力んで逃し、それがまた次のミスを呼んだつまづきが、深刻に尾を引きそうだと感じたからだ。 案の定、シャラポワはショットミスやダブルフォルトを重ねてこのゲームを失った。競技の場にふと顔を出す微妙な勝負の綾。たったひとつのプレーなのに流れを180度変えてしまう、なんともいわく言い難い落とし穴が、ここで姿を現したのだ。 動揺がシャラポワの表情に浮き出ていた。「こんなはずはないのに・・・」と心の中で繰り返していたに違いない。この後、彼女は1ゲームも取れずに敗れた。ショットやサーブのタイミングがわずかにずれ、修正もできないままミスを繰り返したのである。やっとペースを握りかけ、このまま一気に相手を圧倒してしまおうと思った時にふと顔を出したほころびは、たちまち深い裂け目となり、どうにも取り返しがつかなかったというわけだ。 圧倒的に優位とみられたシャラポワは、どうやっても勝てると思っていたろうが、結局はすべて中途半端なままだった。一方のクルム伊達は、劣勢を十分に承知のうえで、できること、やるべきことをすべて思い切りよくやってのけた。それがこの結果につながったのである。 ひと握りのトッププレーヤーたちは、下位の選手からは難攻不落と見えているはずだ。が、けっしてそうではないことを、この試合は教えている。トッププレーヤーにもスキがある。両者の間にあるさまざまな要素をプラスの方に生かす工夫をすれば、番狂わせは十分に可能なのである。この試合の映像は、多くの選手にとって貴重な教科書となったのではないか。
クルム伊達がシャラポワを破ったのは39歳の最後の日だった。翌日、40歳の誕生日には、ランク29位とやはり格上のダニエラ・ハンチュコバを破った。3回戦では今季の全仏を制したフランチェスカ・スキアボーネに敗れたが、負けた試合の内容も含めて、この年齢でも世界の一線で戦えることを十分に証明したといえる。可能性の幅広さという点でも、彼女は実に貴重なお手本を残したということだ。 |