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vol.556-1(2012年8月24日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

ロンドンと東京の違いを考える

 オリンピックが閉幕した後もしばらくロンドンに滞在していた。ロンドンの新聞は、素晴らしき祭典が終わったことを悲しみ、余韻をじっくりと味わうかのように、数日間は紙面の多くを五輪関係記事に割いていた。その中で印象に残った記事がある。デーリー・テレグラフ紙が中面で扱った特集だ。

 「フリー・メダリスト、彼らは良くなかっただろうか?」。そんな見出しが特集のタイトルだった。紙面は見開き2ページ。数百人はいるであろう英国選手団が並んでいる。記事はない。勢ぞろいした選手たちの写真のわきに、それぞれの名前、出場種目が小さな活字で記されている。それだけだ。そして、彼らの首にはメダルがない。フリー・メダリスト。つまりメダルを獲得できなかった選手たちの特集なのだが、みんなが笑顔で紙面を飾っている。

 私は今回、デスクという立場で現地に約1カ月滞在した。だが、まさか閉幕後にそんな特集をすることなど考えもしなかった。敗者にも優しいまなざしを向ける報道姿勢と英国の新聞のセンスの良さに感嘆した。

 東京に戻ってきた20日、銀座では50万人のメダリストパレードが行われていた。それはそれで圧巻だったが、まるで勝者の大行進といった風情に感じられた。このパレードは東京五輪招致のプロモーションである。同じ「先進国の五輪」というキーワードでくくってみても、ロンドンと東京は似ているように見えて、大きく違うのではないかと思えてきた。

 ロンドンのプレスセンターで記者仲間からこんな話を聞かされた。「どの会場にいっても満杯。さすが近代スポーツの母国だ」。プレスセンター詰めの私は会場には足を運べなかったが、全競技の模様を多チャンネルで放送するBBCのオリンピック専門チャンネルからは、その迫力が伝わってきた。スポンサー向けに配られたチケットがさばけず、開幕当初は空席が目立つという問題はあったが、それを除けば、日本でマイナーと呼ばれる競技でも、会場は観客で埋め尽くされていた。人気競技だけでなく、数多くのスポーツに関心を持ち、勝者も敗者も称える文化が、やはりこの国には根付いているのだろう。

 街を歩けば、白人も黒人も東洋人もアラブの人も、ロンドンに溶け込んでいるように見えた。ロンドン五輪のモットーの一つは「ダイバーシティー(多様性)」。人種、宗教、民族、性差・・・。さまざまな文化の融合を実現した。

 「五輪は世界の人々を協調、友情と平和の絆で結び付ける。スポーツには真実と純粋さの精神がある。全てを超えてインスピレーションを与えたい」

 大会組織委員会、セバスチャン・コー会長の開会式でのあいさつが思い出される。経済波及効果や雇用創出といったことを前面にアピールする東京の招致活動と比べるにつけ、私はロンドン、そして英国のスポーツ文化の奥深さに嫉妬せざるを得ない。

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