昨年12月に大阪市立桜宮高校バスケットボール部キャプテンの生徒が当部顧問(指導者)による体罰が原因で自殺したとの報道がされた後、雨後の竹の子のように彼方此方の学校やスポーツ団体で「体罰」行為が常態化していた、との報道が続いている。その中でも柔道女子日本代表監督やコーチが選手たちに暴力行為や暴言を吐いていたことが明るみに出たことで、多くの国民が不快感を抱いたことだろう。それにしても、この監督が警察関係者であったとは一層の驚きである。もっとも警察は仕事上暴力団など不良分子を相手にしなければならないことから、時によっては暴力団まがいの態度や言葉遣いをすることがあるが、スポーツ選手育成にその必要性はない。近頃は教育関係者や警察関係者の性的不祥事もよく報道される。どうもこの国から聖職は消え去ったように見える。 さて、桜宮高校にあるようにスポーツに優れている学校進学を希望する風潮は、以前より強まっているような気がする。校長はじめ他の先生方も「体罰」行為を知っていながら知り得る立場にありながら、見て見ぬ振りの事なかれ主義を通していたのは、注意や問題提起をすることによって、スポーツ活動で得た学校の評価を脅かすことになりかねないことへの怖さがあったのではないか。「体罰」を問題にすれば学校内で爪弾きにされる危険性があり、それに立ち向かう勇気を失っていたのだと思う。 今回のことは、学校や教育委員会だけの問題ではなく、生徒の親たちにも大いに責任があると思う。それは子供を優秀なスポーツ選手にして、ゆくゆくはオリンピックやプロの世界で活躍し、よい収入を得ることを夢みている親たちは多い。その初めのステップとして何らかのスポーツで有名な高校や大学へ進ませて、その先に出来るだけ有利な筋道を付けてやろうとする。しかし、これは子供のことだけを考えているわけではない。親の名誉や利益も絡んでいる、と思う。だから「うちの子を厳しく指導してください」と言って、親も先生や指導者の暴力沙汰に静かに耐えているのが、実状のようだ。 なにもスポーツ界だけではない。有名な俳優やアイドルを夢みている親たちも多い。年齢の低い子供たちをテレビに出演させることに必死になって、挙げ句の果ては広告にまで平気で出す。大人は子供を守ってあげなければならない、との意識が非常に欠落している。「こども店長」と称して大手の自動車会社が子供を自社のコマーシャルに使う。ある売れっ子の女の子の母親は「何時までも歳を取らずに、このままでいて欲しい」と言う。残念ながらこのようなレベルが我が国の実状なのだ。 きちんとした倫理観や価値観を身につければ、いま起こっている殆どの問題は解決出来ると信じている。残念ながらその躾が出来る親や大人があまりにも少ないのだが。 最後に一つ付け加えたい。それは子供たちの自殺。日本人には「死を儀式化する国民性」があると思う。何が何でも頑張って生きてゆこうではなく、死ぬことで美を感じている面があるのではないだろうか。もし、この民族性から小中学生や未成年者が「死」を選んでいるとするならばこんな不幸なことはない。 |