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vol.587-1(2013年9月24日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

東京五輪の応援団にはならない

 東京五輪開催の決定から2週間が過ぎ、ようやく物事を冷静に考えられるようになってきた。メディアの立場はどうあればいいのか、その姿がぼんやりと見えてきたような気がする。

 9月20日付毎日新聞夕刊のコラム「週刊テレビ評」で、TBSの報道記者、金平茂紀さんが「五輪招致報道」というテーマで原稿を書いていた。

 「メディアが五輪招致の応援団そのものになっていいはずがない。僕らはあくまでメディアだ。首相や招致委員会や都知事が何と言おうと、それに対して『僕はそう思わない』『私は別の考えを持っている』と表明できることは民主主義のルールである。そうでなければ僕らの国は、ほら、批判の自由のない、表現の自由のないあの国と同じになってしまうでしょ」

 開催決定直後の新聞をもう一度、眺めてみた。他紙の一面には「日本一丸 東京に聖火」「結実 チームジャパン」といった大見出しが並ぶ。我々の紙面も含め、新聞もテレビも、そんな報道に終始してしまった。祝賀ムード≠ノ水を差すような発言や報道が、白い目で見られるような雰囲気も感じた。だが、2週間がたち、安倍首相の「汚染水ブロック発言」の真偽をはじめ、徐々に冷静な批判が顔を出すようになってきた。金平さんが書くように、我々メディアは応援団ではなく、報告者であり、批評者でなければならない。そして、国民が一つの方向に突き進みそうな時代に対して、不断の警戒心を抱かなければならない。

 1964年の東京五輪を当時の記者はどう感じていたか。そんな特集が9日の夕刊で組まれた。毎日新聞運動部の大先輩、岡野栄太郎さん(83)の談話が掲載された。

 「1964年東京五輪が終わってから、僕は『日本は五輪をゆがめてしまったんじゃないか』って考えるようになってね。一時は五輪廃止論者でした」

 岡野さんは1952年のヘルシンキ五輪に陸上競技(400b障害と1600bリレー)の日本代表として出場した名選手だ。純粋なスポーツ熱を実感した北欧フィンランドでの大会に比べ、「東京五輪は華やかさに走り過ぎましたね。純粋にスポーツの大会を開催するというよりも、新幹線ができたとか、道路がよくなったとか、経済効果がいくらだとか経済的な面が強調された。いわば都市開発を五輪精神やスポーツより優先してしまった。その後、五輪はものすごくおカネのかかる大会になっていくわけだけど、その先べんをつけたのが東京五輪だったんじゃないかな」という。

 戦後日本の勢いを象徴する大会となった1964年の東京五輪は素晴らしい思い出ばかりかと思っていたら、元オリンピック選手の新聞記者はそうは見ていなかったことに驚きを感じる。

 スポーツ報道の現場は今後、大きな変革の時代に入る。各社が大取材団を編成し、新しい媒体での挑戦もなされるだろう。しかし、きっと変わらないものがあるはずだ。スポーツへの情熱と冷ややかな視点。それを表現できる自由な議論の場を持ち続けることが、五輪への真の貢献になる、と肝に命じたい。

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