真夜中、ときおり私は原発禍にある故郷への思いのテンションを高めるため「反原発ソング」に耳を傾ける。 20年以上前から原発事故を予言していた、故・忌野清志郎の『サマータイム・ブルース』『ラブ・ミー・テンダー』など。さらにブルーハーツの『チェルノブイリ』や、斉藤和義の『ずっと嘘だった』を聴く。 そのような反原発ソングの極めつけは、ランキン&ダブアイヌバンドの『誰にも見えない、匂いもない2011』だろう。 ♪放射能ツヨイ 放射能エライ 誰も差別しない 誰にも負けない 放射能コワイ 放射能ヤバイ 誰にも見えない 匂いもない 誰も逃げられない・・・。 異議なし! たとえ敵が総理大臣や大統領でも、放射能は差別しないで容赦なく襲うのだ。昨年9月、「2020年東京オリンピック招致反対!」を訴えていた、故・天野祐吉さんもランキン&ダブアイヌバンドの「反原発ソング」を絶賛していた・・・。 今年の元旦。南相馬市の実家に帰った私は、翌2日朝はいつものように近くの南相馬市運動公園を散歩した。サッカー場に建てられた、仮設校舎の県立小高工業高では、朝の8時には野球部員10人ほどがグラウンドで自主練習をしていた。 「おめでとうございます!」 「おめでとう!」 部員たちの元気のよい新年の挨拶に、私も手をあげて返す。 3年生部員は卒業を控えて練習には出てきていないが、午後になると1、2年生部員全員がやってくる。部員10人ほどは学校の許可を得て、午前中は郵便配達のバイトをしているという。 3・11以来、会津若松市・二本松市・郡山市・いわき市・相馬市など5ヵ所の高校の体育館や空き教室などで、サテライト方式の分散授業を余儀なくされていた小高工業高は一昨年春に、この仮設校舎に移ることができた。 しかし、仮設校舎は除染されないサッカー場に建てられ、外水道も使用できなかった。何故ならサッカー場は市営で、県立の高校には使用させられないということだった。それにカチンときた私は、市側に抗議する一方、このルポでも厳しく指摘した。 グラウンドは除染されていない上、外水道で顔も手も洗えないということはどういうことだ、生徒の大半は南相馬市に住んでいるのではないか!―と。 それらの抗議が奏功したのかもしれない。2年生部員は語る。 「昨年の10月から、外水道は使えるようになりました・・・」 しかし、彼はこうも言った。 「隣りの球場は除染されていますが、ぼくらはグラウンド外の土手などには座らないです。先生方に放射能の線量が高いため『座らないように』と言われていますから・・・」 小高工業高の仮設校舎に隣接する市営プールに行った。これまたいつものように、川鵜などがプールで水浴を楽しんでいる。近くの新田川に生息する水鳥は、1キロ当り放射性物質2000ベクレル以上(基準値100ベクレル)の鮎などの小魚を食べているのだ。水浴しながら水鳥は、ウンチもオシッコもしているだろう。 昨年夏、プールに行ったときだ。幼子をおんぶするお母さんが、水泳教室で泳ぐ小学1年生の息子を見守っていた。私は言った。 「この屋外のプールよりも、屋内のプールのほうが安心ですよ」 それに対し、お母さんは言った。 「それはわかっているんですが、オムツをしているこの子は入れないんです。このプールだと兄弟一緒に水遊びができます。それに屋内プールだとお金(500円)もかかる・・・」 プール出入口には放射線量の計測結果が貼り出されていた。それを見ると「検出されず」だった。が、私は素直に信じることはできなかった。知人は渋い顔を見せ「ここらへんで採れる野菜も魚も、基準値の100ベクレル以下はすべて『検出されず』と表示しているようだ」と言っていたからだ。 市役所に出向いてプールの水鳥の件を伝えると、職員は言った。 「プールは前もってきちんと除染しています。文科省の指示に従っていますので大丈夫です・・・」 納得できない私は、意地悪く言った。 「じゃあ、あなたは自分の子どもをあのプールで泳がせますか?」 正直、私は帰郷するたびに気分が重くなる。今年も同じ思いを何度も味わうだろう。 1月19日の南相馬市長選で「脱原発」を訴える、現職のS氏が1万7123票で当選した。脱原発に慎重な姿勢をとる、対抗馬のW氏とY氏は「原発推進」の県自民党国会議員の自主的な応援を得たものの、両氏の獲得票を足してもS氏の票には及ばなかった。 かといって私は、市外に避難する住民に「早く戻ってこい!」と語る、S氏の再選を喜ぶことはできない。 投票日の19日、私は埼玉県ふじみ野市のボランティアの有志が、南相馬市・浪江町・富岡町・大熊町などから避難している人たちを招き、毎月1回主催する「おあがんなんしょ」に出向いた。3・11以来、すでに第33回目を迎えたこの日は、ふじみ野高校の茶道部が初釜を振る舞い、地元の囃子保存会が獅子舞、おかめ・ひょっとこの踊りを披露。芸達者なおばさんの南京玉すだれや話芸に、参加者は終始頬を崩した。 その会で私は、南相馬市から避難する今年90歳を迎える、おじいちゃんに会った。 「おじいちゃん、今日は市長選だけど、不在者投票はしました?」 そう私が尋ねると、おじいちゃんは頭を振って言った。 「そんなもん、わしんとこにはこなかった。まあ、だれが市長になっても変わりねえ・・・」 その眼は厳しい。 |