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vol.613-1(2014年7月14日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―39

 6月末から2週間ほど、私は何度も国立競技場に足を運ぶ一方、フクシマ取材にも出向いた―。
 13_のレンチを手に腰を屈め、座席下の2カ所のボルトを緩める。さらに10_のレンチで4カ所のボルト外せば座席を解体することができる。1つの座席を外すのに時間にして2分とかからない。
 1957(昭和32)年1月、それまで日本スポーツ界の“聖地”として親しまれていた明治神宮外苑競技場が解体され、翌年5月に開催されるアジア大会のために現在の国立競技場が建設された。その57年前の解体作業を見守った人たちを私は何回か取材しているが、興味深い話がある。
 それは当時の観客席は台湾産のヒノキの木製だったため、解体の際は周囲にヒノキ特有の香りが立ち込め、ちょうどお湯のないお風呂に入った気分になったというのだ。付け加えれば完成した当時の国立競技場の観客席に限らず、各国の国旗を掲げるポールもヒノキの木製だった。金属製のポールになったのは、1964(昭和39)年の東京オリンピック開催のためバックスタンドが増築されてからだ。
 現在の国立競技場の座席はポリエチレンブロー形成のため、今回は解体作業を癒してくれる香りはない。それどころか座席の下にはホコリが溜まり、髪の毛玉やガムの固まりもあった。
 そのような思いで作業を続けていると、素手でレンチを持つ女性の細い指が見えた。マニキュアされたきれいな指だ。
 「それじゃ指が可哀相ですよ。これを使えば・・・」
 そういって隣で作業する女性に軍手を差し出すと、マラソンのオリンピック・メダリストの有森裕子だった。

 前述のように6月29日の日曜日、私は午前9時過ぎから国立競技場で座席の解体作業に従事した。2年後の岩手国体のメイン会場になる北上市の北上陸上競技場が老朽化に伴い、岩手県と北上市が座席の取り換えに国立競技場の座席再利用を願い、国立競技場を運営するJSC(日本スポーツ振興センター)に申請して受理された。私はその座席解体のため募られた約600人のボランティアの1人として参加していたのだ。
 もちろん、「新国立競技場建設反対!」を訴える私は複雑な思いを抱きながらのボランティア参加だったが、座席を取り外した後のスタンドや解体作業の現場を、この眼でしっかりと見たかった。その理由の1つは、国立競技場の設計や改修工事に携わった人たちから、私は次のような話を聞いていたからだ。
 ―昭和33年に建設された国立競技場は、世界一のスタジアムといわれた。とくに画期的なのは観客が見やすく設計されたスタンドだった。グラウンドに近い下のほうの勾配は17度にし、中ほどが22度、上のほうに行くにしたがって25度、26度、27度、28度の勾配にした。つまり、オワン型にしたわけだ。建設した大成建設は施行に難儀したといっていたが、日本の細やかなモノづくりの精神が発揮された、世界に誇れる競技場だった・・・。
 以上の言葉を頭にめぐらしながら、私は座席を取り外した。
 もう1つ理由がある。それは国立競技場に取材に行くたびにお世話になった、トイレにも別れの言葉を告げたかった。57年前は男女合わせて394個の便器しかなかったため、常に「少なすぎる」の文句が出ていた。1991(平成3)年に世界陸上競技大会開催のときに約500個に増えたものの、それでもクレームをつけられるトイレに「ご苦労さま」のひと言をいいたかったのだ。
 ともあれ、私たちボランティアは「国立のレガシーを北上へ!」の号令で、手にレンチを持ち、腰を屈めながら国立競技場の座席を解体した。  3時間ほどで取り外された6500の座席は3台の岩手県トラック協会が派遣したトラックに積まれ、北上市に向かった。
 昼食は岩手米のカレーライスが用意され、私は北上市からきた同年代の男性と席をともにしてたいらげた。食べつつ彼はいった。
 「3・11の後だったな。県側は『国体なんか開催する場合じゃない。それよりも復興だ』なんていってたけど、いつの間にか『復興のためにも国体をやる』なんていうようになったんだ。私らは地元で開催するというなら、いろいろと手伝わなくちゃなんねえ。でも、解せねえことはいっぱいある。ここを壊して新しい競技場の建設が始まったら、岩手や宮城、福島にいる復興作業員はこっちにくると思うし、資材だってこっちのほうが優先される。なんか複雑だな・・・」
 この話に、私は頷いた。
 午後2時過ぎ。ボランティアを終えた私は、隣接する明治公園・霞岳(かすみがおか)広場に行った。顔馴染みのホームレスのAさんがいた。
 「こないだの25日だった。役所の人間がきて、『お前らホームレスは7月中にここから出ろ』といってきた。もう5人しかいねえけど、空缶集めで生活してる連中は大変だよ。空缶は10キロになったら800円ほどで売れるけど、それまでは潰してその辺に置いてんだ。でも、潰しても悪臭のため、ここのように広い公園でないとだめだ。狭い公園に引っ越したら、周りから苦情が出る。まあ、俺の場合は年金で充分生活できるし、何処にでも行けるからいいけどね・・・」
 タバコを吸いながら、Aさんは続けていった。
 「今日はここでフリーマーケットが開かれるはずだったが、昨日は雨だったため7月27日に延期になったみたいだ。最近は中古のブランド品も売れないしね。世の中は不景気だ。高級マンションの廃棄物をあさってもろくなもんはねえ。まあ、フリーマーケットももうすぐここではできなくなる・・・」
 北上市からいただいたバナナを食べながら、Aさんと私は語り合った。(続く)

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