原発禍の南相馬市の被災者は「お上の言いなりになるのか・・・」と、私は少なからずそう思っていた。が、ついに我が故郷の人たちは、抗議の声を上げた。
4月17日、ホットスポット(特定避難勧奨地点=年間積算線量が20_シーベルトを超える地点)に指定されている地に住居を持つ住民(534人)が、昨年12月28日に「年間20_シーベルトを大きく下回った」として解除した政府に対し「ICRP(国際放射線防護委員会)が示す国際基準(年間積算線量1_シーベルト以下)と比べてあまりにも高く、この指定解除は国民の生命や身体を守る義務に反し、違法である」と主張。国に解除の取り消しと1人10万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしたのだ。
その日の午後1時、私は東京地裁での記者会見に出席。国の避難基準の妥当性を問う初めての訴訟について取材したが、住民にしてみれば当然のことだろう。
たとえば、2年前の春だった。帰還困難区域(年間積算線量20_シーベルトを超える区域)や居住制限区域(年間積算線量が20_シーベルトを超える恐れがある区域)に指定されている、原発から20`圏内に位置する浪江町の住民約1万5000人は、月10万円の精神的慰謝料の増額を求める申し立てをするため原発ADR(原子力賠償紛争解決センター)へ出向き、裁判外紛争解決手続きをした。結果、一律5万円増の和解案が示された。
ところが、和解案には強制力がなく、現在も東電は受け入れを拒否。さらに国は原発ADRの仲介策に対して何もしてくれない。それを考えれば、直接に国を訴える裁判闘争に持ち込んだのは正解だ。
東京地裁の記者会見後、訴訟を起こした住民の1人は私に強い口調で言った。 「20_シーベルトを下回ったから生活できると言うんなら、私は環境省のお役人に言いたい。『じゃあ、あんたは家族と一緒に住めるか』ってね。私らは子どもや孫を住まわせたくない・・・」
3月中旬、私は久しぶりに双葉町の前町長・井戸川克隆さんに会った。ちょうど1年前だ。「被曝して鼻血を出す人は大勢いる」と発言。連載漫画の『美味しんぼ』(原作・雁屋哲)で描写されると、環境省と専門家が「そんなことは考えられない」と否定し、批判した。鼻血を出す者は大勢いたが、多くのメディアは取材もせず、一方的に井戸川さんを悪者扱いにした。
1年前について、私を前に井戸川さんは言った。 「鼻血を出す被災者の話も聞かず、心配もせず、ウソと決めつける。いつもの政府と電力会社の常套手段です。戦時中『戦争に勝っている』と国民をだました大本営発表と同じで、言論を統制する。否定をするのはいいが、私としては『じゃあ、私と同じように被曝してください。それから話をしましょう』と言いたいですね」
そして、4年前の3月12日、震災翌日の原発爆発についても振り返り、こう言った。その日、多くの住民が“死の灰”を浴びた。 「午後3時36分ですね。双葉厚生病院で高齢者たちが避難するのを見届けて、最後に私が避難しょうと思っていたら『ドン!』と原発が爆発して、その2、3分後に死の灰がボタボタとね。建屋の保温材だと思うが、ぼたん雪のように降ってきた。自衛隊や警察官もいて一瞬シーンとなった。誰もが『俺の人生は終わった』っと思った・・・」
現在の井戸川さんは「脱被曝」を訴え、埼玉県加須市で避難生活を送っている。この4月には『なぜわたしは町民を埼玉に避難させたのか』(企画・聞き手 佐藤聡、駒草出版刊)を出版した。
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