大型トレーラーは、ゆっくり、ゆっくりと進む。荷台には推定樹齢350年の「スダジイ」が乗せられている。人びとの憩いの場であった明治公園・霞岳広場に植えられていたスダジイは、国立競技場を見守ってきたシンボル的な樹木だった。
「スダジイは何を思っているのでしょうか?」 そう尋ねた私に移植作業の責任者である、植木職人のMさんは厳しい表情を見せつつ言った。 「今の“彼”の気持ちは複雑でしょう。長い間、国立競技場とともに生活してきたが、こうして引越しを余儀なくされる・・・」
Mさんはスダジイを“彼”と呼んだ。 「そうです。樹木は人間と同じですからね」 先週の6月23日の午後11時、深夜にスダジイの移植作業が行われた。新国立競技場建設問題が頻繁に報じられていることもあり、多くのメディアが取材に駆けつけると思っていたが、現場にきたのは私と友人の“佐々カメ(佐々木強)”だけ。国立競技場解体に伴う記録撮影業務を1893万6720円で落札した、NHKエンタープライズのスタッフの姿は見られなかった。
雨降る中、移植作業は粛々と進められた。 国立競技場に関する取材を開始してから1年10カ月が経つ。国立競技場に出向くたび、私は好んでスダジイを眺めた。霞岳広場は市民の憩いの場だった。
夕方になるとスズメや鳩に餌をやるおじさんやおばさんがやってくる。サッカーボールを蹴る子どもたち、キャッチボールをする父子もいれば、チアリーダーの女子大生が練習をしている。秋になるとギンナンを拾うお年寄りも姿を見せた。フリーマーケットの会場にもなった。昨年2月の雪の日には、スダジイの周りで子どもたちが雪遊びをし、その近くで高校生カップルが抱き合う姿も目撃してしまった。顔見知りのホームレスたちと缶チューハイを手に、人生を語り合ったときもある・・・。
「明治公園も国立競技場の一部です。本来、建築物は人びとのよりどころとなり、生活環境の持続性を守る役割があります・・・」 新国立競技場建設に異を唱える、京都工芸繊維大教授の松隈洋さんは語っている。学生時代から松隈さんは原発に疑問を持ち、仲間の建築家たちと『原発と建築家』(学芸出版社、2012年刊)を上梓。再生可能エネルギーの未来、新しい時代の建築を考えている。
「私は講義で原発問題について学生たちと論じています」 6月初旬。大学を訪ねた私に、松隈さんは柔和な顔で言った。 スダジイの移植作業を取材した翌日、私はTさんにメールした。Tさんは建設省時代、解体された国立競技場を設計した6人の1人。自分が設計した建物を“可愛い娘”と称している。スダジイを“彼”と呼んだ植木職人の話も記すと、次のようなメールが返ってきた。
「植木屋さんは、木と話をするんでしょうね。植物の寿命は長いから、人間の何世代もの仕業を見ているんですよ。めまぐるしく変わる街の形にも呆れているでしょう・・・」
Tさんは20代の頃から原水爆禁止の署名運動などをし、85歳になった現在も「反原発」の姿勢を崩さない。 スダジイは絵画館の左側の植込み、お鷹の松の隣りに移植された。
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