10月1日にスポーツ庁が発足。初代長官には金メダリストである48歳の鈴木大地氏が就任し、初の記者会見で施策方針を語った。 ・国民の健康増進プログラム策定
・学校体育や課外活動への新たな施策の展開 ・障碍者スポーツへの積極関与 ・地域経済活性化策の構築 ・国際交流の推進
・新国立競技場建設に向けたスピード感ある対処 などを挙げた。もちろん、大前提として5年後の東京オリンピック・パラリンピックなどに向けた競技力の向上を目指すことを力説。自ら「戦う長官」を標榜した。大いに期待すべきだが・・・。
丸2年前、私は『大島鎌吉の東京オリンピック』(東海教育研究所刊)を上梓し、その取材でお世話になった「大島鎌吉研究」に情熱を燃やす、関西大名誉教授の伴義孝さんと懇意にさせていただいている。
新国立建設の白紙撤回、さらにエンブレム問題も白紙に戻された9月初めだった。伴さんは私に「あらためて『大島思想』と向き合うべきです」とメールでいってきた。とくにメディアは2つの白紙撤回に乗じて「これでは五輪の主役であるアスリートが日本の不名誉を背負わなくてはならないので被害者になる・・・」といったトーンで報じていたからだ。
さっそく私は、64年の東京オリンピック開催に向け、日本選手団団長兼選手強化対策本部長の大島鎌吉が選手全員に自ら手渡したという、大島邦訳の『ピエール ド クベルタン オリンピックの回想』(カール・ディーム編、ベースボール・マガジン社刊)を手にした。
読み返していると、たとえば、80ページには次のような記述を見つけることができる。 《オリンピック大会は単なる国際的な選手権ではない。全世界の青少年のため、人類の春≠フために4年毎におこなわれる祭典である。大会は名誉心を鼓舞する情熱的な努力のための祭典であり、生命の間口にさしかかった若い世代の活動欲の形象に対する祭典である・・・》
つまり、オリンピックは単なるアスリート・ファースト≠ナ開催される祭典ではないということだ。伴さんはいった。 「白紙撤回された新国立問題もエンブレム問題も、オリンピズム哲学からすれば真の被害者は子ども≠ナあるはずです。オリンピック理念とは、何よりも増して『青少年育成運動』を至高目的としたものです。たしかにオリンピックの顔≠ヘアスリートです。しかし、その現象面だけを捉えたのでは何も見えてきません。実は現象面だけを見るな、それだけでは何も見えてこない、そう口癖にいったのは大島鎌吉です。アスリートは顔≠ナすが、本当の目的は、その顔≠ノ刺激を受けて『生命の門口』にさしかかった子ども≠ェ、青少年≠ェ『活動欲』を引き出すためにあるのです・・・」
9月初旬の時点で伴さんは「今年の流行語大賞は白紙撤回≠ナすね」といっていた。私も同調して連呼した。もちろん「戦争法案」と「原発再稼働」も含めての白紙撤回だ。
ところが、安倍政権は強引に戦争法案を可決し、未だ原発再稼働も白紙撤回されていない・・・。 |