新国立競技場建設計画が白紙に戻るという衝撃的な展開は、正直なところ、あまり予測していなかった。結局は「時間がない」を盾として、そのまま強行されるだろうとみていたのである。しかし政府は全面見直しに踏み切った。あまりに批判が強く、さらなる支持率低下を怖れたからだとされるが、理由はどうあれ、これは大きなチャンスだといえる。巨大な負の遺産になりかねなかった建設を、今度は、余計なカネをかけない五輪新時代のシンボルに変えられるからだ。
新国立をめぐる大混乱の主因は、文部科学省や日本スポーツ振興センター(JSC)をはじめとする直接当事者たちが、オリンピックをめぐる潮目が変わったのに敏感でなかったことである。IOCの「アジェンダ2020」に象徴される変化。すなわち、野放図にカネをかける巨大・豪華路線を徐々に修正しようとする流れが目立つようになっていたのに、新国立建設を担当する当事者は相変わらず「大艦巨砲」に固執していた。他の競技会場は次々に変更して費用の圧縮を図ったにもかかわらず、新国立についてはいっこうに見直そうとしなかったのは、やはり、メーンスタジアムは豪華さや巨大さを世界に見せつけるものでなければならないという古くさい固定観念から抜け出せていなかったからだろう。
当然のことながら、これだけの混乱を招いた責任は厳しく追及されなければならない。ただ、何より大事なのはオリンピックに間に合うように競技場をつくること、それも、国民が納得し、世界のオリンピック関係者からも理解を得られるような施設をつくることだ。重要なポイントは二つあると思う。
ひとつは、8万人規模にこだわる必要はないということだ。オリンピックやサッカーW杯では、メーン競技場は8万人収容が絶対条件のように思われているようで、今回もJOCやサッカー協会はあらためてそのことを強調している。だが、これまではそうだったとしても、今後もそれが続くだろうか。
大規模競技場、それも豪華な設備の整った最先端施設を開催地に要求してきたのはIOCと国際サッカー連盟(FIFA)である。が、IOCは既に「アジェンダ2020」で既存・仮設施設の活用を呼びかけて費用削減をはかっているところだし、FIFAは底知れぬ腐敗が捜査によって明らかになり、もはや統括組織の権威も何もあったものではない。どちらも、規模や豪華さを競う競技場づくりを開催地に強いるどころではないのだ。もともと8万人収容などという巨大スタジアムには後利用や維持管理の面で無理がある。もう8万の呪縛など捨て去ってしまおう。
もうひとつは「スポーツの競技場をつくればいい」ということだ。いろいろなイベントを対象とした複合施設では、建設に際して付け加えねばならないことが多すぎる。珍奇なデザインや、コストを押し上げるばかりの付帯設備もいらない。選手側にとっては使いやすい競技場。見る側にとっては楽しく見やすく観戦できるスタジアム。それで十分なのである。無理を重ねなくとも建設でき、周囲の環境とも溶け合い、オリンピックだけでなく、その後もできるだけ多くのスポーツの催しに使える施設。それこそが「国立競技場」の名にふさわしい。
近年のオリンピックは、中身には関係なく、表面をきらびやかに飾り立てることばかりやってきた。いわば五輪バブルの時代だった。しかし、IOCさえ手のひらを返したように費用削減をとなえ始めたことでもわかるように、そんな時代はもう終わりかけている。これからは、さんざん重ねた虚飾をそぎ落していくことこそが求められるのだ。新国立建設はきわどい綱渡りになるが、「これなら」と国民が納得できるものとなるなら、この背水の見直しは歴史に残る決断として評価されるだろう。
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