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vol.646-1(2015年9月4日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−10
 機能不全、どこまで

 2020年大会の公式エンブレムが白紙撤回されたのは当然のことだ。盗用や模倣があったかどうかという問題ではない。「デザイン界」の評価や判断もさほど重要ではない。さまざまな批判や悪評、種々の憶測までがこの先ずっとついて回るに違いないものが、オリンピックのシンボルとしてふさわしいかどうか、考えるまでもないではないか。
 原案の修正まで明らかにして独自性を強調し、エンブレム使用続行を宣言した五輪組織委員会。その直後の撤回で、ここでも不手際がよけい目立つことになった。これはいったいどういうことか。半世紀ぶりに日本でオリンピックを開くための組織委員会には、とびきり有能な人材がそろっていなければおかしいのに、この体たらくは何なのか。
 何より気になるのはそこのところだ。新国立競技場建設問題もそうだが、組織としてきちんと機能していないのが見てとれる。それではこれからの5年間を到底乗り切れない。

 オリンピックの準備という大事業には実に多くの側面があり、難問が次から次へと現れてくる。準備にあたる組織としては、まずそれぞれの担当部署なり委員会なりに専門的な分析や検討を行わせ、その意見をもとに幹部が総合的な見地から的確な判断を早急に下していく必要がある。開催決定からでも本番まではわずか7年。もたついていればタイムリミットはたちまち迫ってくる。
 なのに、このありさまはどうか。組織委員会をはじめとして、文科省、都庁を中心とする関係官庁・自治体、JOCなどのスポーツ団体とそうそうたる組織が関係しているのに、あきれるばかりの不手際が繰り返されている。これはもう、オリンピック大会の組織運営にあたる資格も能力もないと言われても仕方がない。

 新国立問題にしろエンブレム問題にしろ、まずは建築家やデザイナーといった専門家集団による審査・判断に確固たる姿勢や世間を納得させるだけの卓見が感じられない。たとえば新国立問題では、実現可能性に乏しい計画を経費もろくに考えずに選んだ観がある。果たしてそこに最高の専門家たる識見があったといえるだろうか。
 それを補佐し、まとめ上げていくはずの事務局サイドも、オリンピックの最重要課題を手がけているのだという緊張感や責任感に乏しかったのではないか。そして上がってきた具申、報告を精査し、最終決断を下していく最高幹部らにも、その地位にふさわしい的確な判断力が欠けていたようだ。そのことは、新国立問題をあれだけこじらせてしまったところにも、エンブレム問題での迷走にもはっきりと浮き出ている。結局は、組織全体が必要最低限の責任さえ果たせない機能不全に陥っているというわけだ。
 これはつまり、人材を集めたといっても、しょせんは官僚的な思考回路から抜け出せない役人やら、型にはまったビジネスしか考えられない企業人やら、実務能力やビジョンに欠けたスポーツ人やらを寄せ集めたに過ぎないからだろう。組織委が設けている各委員会にも、専門の知識を積極的、具体的に生かしていこうという姿勢があるのかどうか。あえて言ってしまえば、そこにオリンピックに対する十分な理解や、よりよい大会にするには何をすべきかという見識は感じられない。すなわち、いま大会組織にあたっているのは、形を整えることだけに汲々としていて、一番肝心なところが欠けている集団のように思われる。それでは、問題を手際よく処理できるわけもない。

 これからも次々と問題が起きてくるはずだ。オリンピックはどうあるべきか、大会の成功には何が必要なのかという基本理念や高い見識のない組織では、またしても不手際を繰り返すことになるだろう。いまのところ、その状況が変わっていく様子はない。

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