東京都渋谷区と港区に挟まれつつも、まるで出べそのごとく入り込んだ地形の新宿区霞ヶ丘町―。
その地のすべての住民は都営霞ヶ丘アパート(全10棟、300戸)を住居とし、とくに長年住む高齢者の多くは「故郷」と呼んでいる。だが、新国立競技場建設計画が発表されると同時に住民は石持て追われるように移転を命じられ、現在は2世帯が転居先を決められずいるという。
その1人であるKさんは昨年6月22日だった。都庁第1庁舎6階記者クラブ会見場で開かれた「霞ヶ丘アパートを考える会」に出席。何度も私の取材に応じてくれた、JさんやUさんとともに次のように訴えた。
「両親は戦後間もなく霞ヶ丘に住むようになり、私は1947年に生まれました。当時の家は木造平屋で高い建物は日本青年館くらいで、画家の山下清さんや俳優の岡田真澄さんも住んでいたことがあります。今の神宮第2球場は桜の木に囲まれた相撲場で、よく花の首飾りを作ったりして遊んでいました。盆踊りやラジオ体操もしましたし、近所同士がおかずのおすそ分けをしたりと仲良かったです・・・。」
「霞ヶ丘は私たちの故郷なんです。それが消されようとしています。突然、2012年の8月26日に都は『引っ越ししろ』と命令してきました。その前に改修の話が進んでいたんですが・・・。私たちが都庁に出向いて交渉しても『決まったことなので移転していただきます』の1点張りでした。舛添都知事は私たち住民に行ったアンケート結果を見て『ほとんどの方が移転を希望しています』と記者会見で発言していましたが、あれはウソです。あのアンケートには『どこの都営アパートを希望しますか?』という項目だけで、『このアパートに残りたいですか?』といった項目はなかったです・・・。」
「よく『おもてなし』といいますけど、私たちにはおもてなしはないんですか? 高齢者が住めるアパートを1棟くらい建てられると思います。とにかく、無謀な解体を止めて欲しいんです・・・」
現在も、Kさんは2DKの部屋に住み、95歳の母を介護する生活を送っている。 東京体育館側から解体され、さら地になった国立競技場を俯瞰した後、JR千駄ヶ谷駅前の喫茶店で渥美昌純さんに会った。少年時代から神宮外苑周辺で遊んでいたという渥美さんは、8年ほど前から「東京にオリンピックはいらないネット」を立ち上げて活動。都庁に何度も出向いては情報公開を請求し、貴重な資料をメディアに提供している。
もちろん、一貫して新国立競技場建設同様に霞ヶ丘アパートの解体にも反対を唱えている。私を前に多くの資料を広げ、渥美さんは説明した。 「新国立を建設するJSC(日本スポーツ振興センター)と都には呆れてしまいますね。解体された日本青年館は神宮球場近くのテニスコートを代替地として与えられ、地上16階地下2階のビルを建設し、そこにJSCが入ることになっている。僕にいわせれば、そのビルに霞ヶ丘アパートの住民、お年寄りたちを住まわせればいいと思う。霞ヶ丘アパートの代替地はないしね。舛添都知事は本当に都民のことを考えているかというと、疑わしいでしょう。
それに都民の憩いの場である明治公園についても同じだよね。代替地もない上に国に都有財産を無償で貸すと、そう勝手に決めてしまった。3年前の猪瀬都知事時代の平成24年12月28日でしたね。JSCと都は『新国立競技場等の敷地とする場合には、有償とする』という契約を交わしている。それなのに舛添都知事は、国に無償で提供するという、平成33年3月末まではね。都民をバカにしているとしか思えないですよ・・・」
ちなみに明治公園の土地の評価額は約190億円といわれる。渥美さんはさらに指摘する。 「その明治公園の約2万6000uに及ぶ土地の鑑定評価を、都は昨年6月に一般財団法人日本不動産研究所に委託し、810万円もの委託料を支払っている。無償で貸すのなら国に支払ってもらえばいいじゃない。そう思うのは僕だけじゃないでしょうね。つまり、単なる税金の無駄遣い。万事がこんな調子。都民のことなんか何も考えてないし、残念ながら大手メディアも情報を提供しても追及しない・・・」
渥美さんの話を聞きながら、私は原発事故で避難する人たちを思った。国は同じように福島のことなんかも深く考えてないんだろうな、と・・・。 |