もうすぐ3・11から丸5年を迎える。だが、放射能に喘ぐフクシマの復興は名ばかりだ。失言してもなかなか撤回しなかった丸川珠代環境相は、家族とともに原発禍の町に引っ越したらいい・・・。
2月半ば、南相馬市市議が発行する『南相馬市の5年間を振り返る』と記されたパンフを入手した。それを見ると、生活圏(学校・保育所・住宅・道路・公園など)除染においては、この5年間に594億4000万円もの事業費を注ぎ込んだものの、大幅に遅れているという。知人はこう説明する。
「完了予定は平成26年12月だったが、2年以上遅れていて、来年の3月にずれ込んでしまう。理由は仮置き場設置の住民理解を得ることに時間を要してしまったからだね・・・」
しかし、私は思う。いかに除染をし、放射線量を基準値(毎時0・23?シーベルト)以下にしても、3・11前の0・04?シーベルト前後に戻すことはできないだろう。要するに、国際的にそのリスクが明確にされていない、長期間にわたる低線量被曝を余儀なくされるのだ。除染は単なる移染≠ナあり、税金の無駄遣いといってよい。
南相馬市原町区にある映画館の「朝日座」に出向いた。昭和30年代は、主に東映の時代劇が上映され、3本立て30円で観ることができた、私にとっては懐かしい映画館だ。2階席は畳が敷かれていて、寝っ転がって観ることもできたのだが、中・高生の出入りは禁じられていた。何故なら中学時代に2階席を覗いてわかったのだが、大人のアベック(古いなあ、この単語)がいちゃつく場でもあったのだ。
朝日座は1923(大正12)年に地元の旦那衆が芝居小屋兼常設活動写真小屋「旭座」として建築し、戦後に朝日座と改称され、現在は 国登録有形文化財になっている。
それはともあれ、この日の朝日座では公益社団法人「認知症の人と家族の会」の相双地区会主催の「オレンジカフェ」が開かれ、映画『銭形平次』が上映されることになっていた。市内のグループホーム(認知症対応型共同生活介護)から介護士に付き添われた、12人のお年寄りが集まっていた。お茶やジュースを飲み、お菓子を食べた後、若い介護士が笑顔でいった。
「今日は、大川橋蔵さん主演の『銭形平次』を観ましょうね。みんなで一緒に楽しみましょう・・・」 そのときだった。車椅子に座る80代後半のお婆ちゃんが不満そうな表情を見せ、大声でいった。
「私はね、『忠臣蔵』が観たいのよお。『忠臣蔵』だよお・・・」 それに対し若い介護士は笑顔を絶やさず応えた。 「そうだったんだあ。私も『忠臣蔵』は大好きなの。じゃあ、今度は『忠臣蔵』にしましょうね・・・」
その言葉に、お年寄りたちは笑顔で拍手した。私も倣って拍手した・・・。 3・11後、南相馬に限ったことではないが、被災地のお年寄りは少なからず認知症などの症状が進んだという。見知らぬ地に避難し、環境が変わったために短期間で要支援2から要介護4に認定されたお年寄りもいる。ある84歳のお婆ちゃんは、3・11前は杖に頼りながらも自由に歩くこともできたが、現在は認知症が進んだ上に寝たきりの生活を余儀なくされている。娘さんと2人で新潟県に避難し、体育館での息苦しく、周りを気にする避難生活が症状を悪化させたのだ。私と同年代の娘さんは、5年前を振り返りいった。
「体育館には160人も避難していたんですが、洋式トイレは1個で、たびたび詰まるんです。だから、近くのスーパーで用を足していました。嬉しかったのは布団に寝れたことです。このことに関しては新潟の人に感謝してます。それまでは毛布1枚にくるまって寝る毎日でしたから・・・」
この体育館での避難生活は2か月間に及んだ。 実家近くの仮設住宅に行った。デイサービスを受けているという、お爺ちゃんに会った。
「国は介護離職者をゼロにするとか、老人ホームをいっぱい建ててやるとかいってるけど、あんな もんは私らの生活を知らない者の戯言だ。除染に大金をかけるんなら、老人にも分けてくれ。こっちは命がかかってるんだ・・・」
安倍政権は、この声をどう聞くのだろうか―。 |