私の家から車で約30分。早く行かなければと思っていたが、いつものさぼり癖のためだろう。ようやく12月を迎え、東村山市の国立ハンセン病資料館に出向くことができた。10月1日からハンセン病療養所でのスポーツ活動を主に写真で振り返る企画展『生きるための熱―スポーツにかける入所者たち―』が開かれていたからだ(12月27日まで)。
現在も全国14ヶ所の療養所で1700余人の入所者が生活を送っている。ほとんどが70代以上の高齢者であり、散歩するのが唯一の運動。元気なお年寄りは、ゲートボールを楽しんでいるという。
だが、かつては入所者の間でスポーツが盛んだった。資料館でいただいた今回の企画展の冊子には、次のように記述されていた。抜粋したい。
《明治時代の末期にはすでに運動会が開催され、大正時代は野球・テニス・相撲が、昭和初期には卓球が行われていました。これらは戦争で中断を経て、戦後はバレーボール・ソフトボール・バドミントンなども新たに登場し、1980年代にはすべての療養所でゲートボールが盛んになりました。
入所者の間でスポーツが盛んだったと聞くと、少し不思議な印象を受けるかもしれません。しかし、重症化する前に療養所に収容された人も多く、またハンセン病は急激に症状が進むことが少ないため、スポーツに取り組むだけの体力が十分にある入所者が多くいました。そうした入所者にはもちろん、症状が進んでそれらを観戦することしかできない入所者にとっても、「血を湧立たせる」場面というものが不可欠だったのです。
入所者には、限られた空間と選択肢しか許されない療養所の中でも生きていることを実感するために、また自分が患者・回復者だということを一時的にでも忘れられる時間を手に入れるために、何か熱中するものが必要でした。生きがいを見出し療養生活を少しでも充実したものとするために、また』社会と関わる場面を手に入れるために、没頭し他人と対等に渡りあえるものも必要でした。入所者にとってスポーツは、単なる娯楽の域を超えて、生きるために必要なものだったのです。》
私は写真やガイダンス映像、証言ビデオなどによってハンセン病患者の生活を知った。ハンセン病に関する約3万冊の図書を収蔵した図書閲覧室もある。ハンセン病について報じた最近の新聞記事も掲示板に貼り出されていた。
そのような記事を読みつつ、私は学生時代に読んだ遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』を思いだした(ちなみに今回書店で文庫本を手にしたら帯には「ハンセン病への偏見と戦い、愛に生きた娘の崇高な人生」と書かれていた)。
同時に同名の映画をも思いだした。
「岡、お前と同じ福島出身のオンナが早稲田の学生にやられちゃって、棄てられる映画だよ。監督は浦山桐郎だから、なかなかの映画だよ・・・」
映研に所属する友人に、そう勧められて新宿の映画館で観たのだ。原作とはだいぶ違っていたと思うが、登場人物はほぼ同じで、かなり泣かせる映画だった。純朴な女工の同郷出身の女性が、出世欲の強い男に遊ばれてポイ棄てされるのだ。
遠い日の学生時代に読んだ小説と、観た映画を脳裏に浮かべ、私は思った。
―今の原発禍にある福島の現状を知れば、国に棄てられたといってもよい。国にしてみれば『わたしが・棄てた・フクシマ』じゃないか、と・・・。
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