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vol.674-1(2016年4月28日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−27
  「男女混合団体」を考える

 IOCはオリンピックに男女混合の種目を増やそうとしている。実際、その流れはいろいろな競技で動き出しつつある。だが、現時点でそれは本当に必要なことなのだろうか。スポーツにとって、各競技にとって、またオリンピックにとって、それは「あるべき」方向と言えるのだろうか。
 「アジェンダ2020」で、IOCは「男女平等を推進する」の項を設け、「オリンピックへの女性の参加率50パーセントを実現する」「男女混合の団体種目の採用を奨励する」との方針を示している。こうした意向にこたえて、ソチ冬季五輪ではフィギュアスケート団体が実施されたし、続いて2018年に開かれるピョンチャン大会ではスキー・アルペン男女混合団体やカーリングの混合ダブルスが競技種目に入った。スキー・ジャンプでは世界選手権で男女混合団体が行われている。シンクロ、アーチェリー、トライアスロン、水泳などでも男女混合種目をオリンピックに入れる動きが出ているようだ。IOCの強い意向となれば、各競技団体もすぐさま反応しなければならないのだろう。今後、この流れは急ピッチで進んでいくように思える。
 だが、違和感を感じないではいられない。男女平等はこの社会に絶対必要だし、スポーツでも同じことだ。ただ、このやり方はどうだろう。いささか極端、あるいは拙速に、建前的に過ぎるのではないか。
 たとえばロンドン大会では五輪の実施競技のすべてに女子種目が入ったが、中には世界的にさほど普及していないものもあった。2020年東京でも新種目が入るが、そうした中にも女子の歴史が浅く、どこの国でも選手の層が薄いものも見受けられるようだ。オリンピックというスポーツ界最高・最大の祭典には、世界中で行われていて、歴史や伝統の厚みも十分にあるもの、すなわちスポーツ文化として確立している競技が入るべきだ。まだスタートを切ったばかりで普及や熟成が進んでいない種目は、オリンピックにふさわしいとは言いにくい。ただ建前の旗を振りかざして強引に五輪種目としていくのは、スポーツ本来の精神からしてもおかしなことではないのか。
 もちろん、オリンピックという最も目立つ舞台に加えれば、注目度が飛躍的に高まり、普及や強化に直結するという効果は期待できる。ただ、ものごとはすべからく、地道に裾野を広げてピラミッドをつくっていくのが本来だろう。「まずトップをつくってしまう」手法では、IOCがさまざまな面で強調する「持続可能性」の面からも疑問が残る。

 個人競技に団体戦を設ける方向にも違和感を拭えない。競技のためというより、ショーアップやテレビに歓迎されるコンテンツづくりのために行われている感じがあるからだ。団体戦にそれなりの面白さがあるのは否定しないが、それは各競技本来の魅力とはちょっと違うように思う。大会肥大化の弊害がしきりと指摘される中でもあり、純粋に競技の観点からみれば、個人スポーツに団体戦を新設していく妥当性はあまり感じられない。男女混合団体戦も同じことではないだろうか。
 そんなふうに考えてくると、女子種目や男女混合種目に関するIOCの現在の方向性にもろ手を挙げて賛成する気にはなれない。それはあまりに建前を強調しすぎているようにも、また、建前のかたわらでテレビ人気をはじめとするビジネス面のプラスをあてこんでいるようにも思えてしまう。
 女性がスポーツに取り組むのが難しい状況は世界にいくらもある。IOCにはまず、そうした女性たちの手助けをしてほしい。そうした状況を変えていくための具体策を全力で講じてもらいたい。IOCには強い影響力も、援助のための財政的基盤もある。時間はかかるにしても、そうして土台そのものを築いていくことが改革には不可欠なのだ。それらの基盤整備抜きで「男女混合団体を奨励」しても、違和感が募るばかりではないか。

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