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vol.704-1(2017年1月26日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−47
  社会は何を望んでいるのか

 国際サッカー連盟(FIFA)が大胆な改革を打ち出した。オリンピックと並ぶ世界最高峰のスポーツイベントであり、注目度は五輪さえしのぐともいわれるワールドカップ(W杯)。その出場チーム数を2026年大会以降、現行の32から48へと一気に増やすという。この大幅拡大の結果がどう出るのか。拡大路線はオリンピックにも共通することだけに、その行方は大いに気になるところだ。
 1930年の第一回大会は参加チーム数が13だったW杯。それが徐々に増え、80年代から90年代にかけて24に、また日本が初出場を果たした1998年大会からは32となって現在に至っている。競技の世界的な普及や人気度から考えれば、ここまでの増加は妥当といえるだろう。ただ、一気に16もの出場枠を増やすのはやや強引な感じもする。さらなる普及やレベルアップ、そして収益増が狙いと思われるが、そこでいささか気になるのは、収益を増やすために規模を広げていけば、どこかで必ずゆがみが出てくるということだ。
 オリンピックは単一競技のW杯とは一概に比べられないが、やはりさまざまな面での「拡大路線」を推進して収益増を追い求めてきた。大会の商品価値を高めるために華やかさや豪華さをこれでもかとばかりに増していき、選手数の抑制をうたいながらも、新競技、新種目を次々と加え、プロの取り込みもはかってきた。その結果はどうだったか。もちろん多くのプラスも生まれたが、その反面、ビジネス最優先の方針には行き詰まりも見られるようになり、IOCも方針変更を模索し始めているのは周知の通りだ。今夏のリオ大会で、鳴り物入りで復活させたゴルフがさほど人気を集めなかったように、プロであれ何であれ、収益につながりそうなものを何でも取り込もうとするやり方にも無理があるように見受けられる。
 ビジネス規模の拡大、収益の増大を第一に考えれば、どうしても、さまざまな形での拡大路線を推進し続けねばならない。立ち止まるわけにはいかないのである。結果、必ずどこかにゆがみが生じ、いずれは行き詰ることにもなるのではないか。つまりは、イソップ童話に出てくる、腹を膨らまし続けたカエルの話と同じことだ。
 さて、W杯はどうなるだろうか。とりあえずは賛否が相半ばしている。プレーや試合の質の低下を懸念する反対論にも、ビジネス規模拡大により数々のプラスが期待できるという賛成の声にもそれぞれ理がある。簡単にどちらが正しいと決めつけるわけにはいかない。ただ、何より大事ともいえる視点からの評価がまだわからないのは気になる。すなわち、世界中でサッカーを支えているファンがこれをどう思うのか、だ。
 W杯がこれほど注目されるのは、なんといっても最高峰のイメージが強いからだろう。厳しい大陸予選を勝ち抜くこと自体が難しいからこそ、どの国のファンも出場に誇りを感じ、代表チームが本番の舞台を踏むのに胸を躍らせるのだ。それが比較的簡単に出られるとなれば、ファンの思いはどうだろうか。多くの人々がW杯に抱くイメージが変わってくることもあり得ないではない。直接の関係者、いわば「サッカー業界」のそれぞれの考えや思惑はわかるが、一番大切な「ファンがどう思うか」については、どこまで考えられているのだろうか。大幅拡大にどことなく危うさを感じるのは、その観点が欠け落ちているからでもある。
 オリンピックも同じことだ。世界共通の財産である最高峰の大会をなお進化させていこうと思えば、あらゆる角度から考え、それぞれのバランスをとっていかねばならない。伝統に固執するだけではいけないし、収益やビジネス面での発展ばかりを追いかけてもいけない。伝統も歴史も、本来の目的も、もちろん収益性も、それからファンの思いもすべて考慮して、バランスのとれた方向性を模索していくべきなのである。オリンピックやW杯に限らず、近年はスポーツのどの分野でも「カネがすべて」の風潮が強まっているのは、やはり危うさをはらんでいると言っておきたい。

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