宮部行範さんが亡くなったというニュースに愕然とした。1992年アルベールビルオリンピックのスピードスケート男子1000メートルで銅メダルを獲得した、往年のトップ選手である。まだ48歳という若さだったのもさることながら、何とも残念なのは、彼が日本のスポーツ界にはあまりいないタイプの、実に貴重な人材の一人であったと思うからだ。
トップ選手のほとんどが北海道、長野、群馬といったスケートどころからやって来る中で、埼玉・春日部高校から青山学院大に進んで頭角を現したという経歴はいかにも異色だった。やはり時代を代表するトップスプリンターの一人だった兄・保範さんも埼玉・浦和高から慶応大というキャリアだ。二人とも、スケート競技にはほとんど縁のない環境で、独自に考え、工夫した練習で力を蓄えたのである。競技の道をきわめようと決断した行範さんは、大企業への入社を辞退してスケートの名門・三協精機(現日本電産サンキョー)に入り、トップの一角へと上っていくが、その間も、自ら滑りの理論を徹底的に考え、突き詰めていく姿勢は変わらなかったように思う。
当時は何度となく、リンクサイドで話を聞いたものだが、その語り口は常に論理的で明快だった。競技に関することなら何にでも幅広く興味を持ち、自分の滑りに生かしていこうという意図がよく伝わってきた。スケートに限らず、指導者の言うがままに従っていく競技者が多い(それも悪いというわけではないが)中で、自ら道を切り開いていこうとする姿は際立って見えたものだ。スケートどころ、スケート名門校の出身でないからこそ、そうした姿勢を持ち得たとも言えるだろう。それは世界トップクラスの実力を持つ日本スケート界に、それまでにない新鮮な風を吹き込んでいたと思う。
現役を退いた後も貴重な存在であり続けた。というのは、日本オリンピック委員会(JOC)の職員となって働いていたからだ。著名なメダリストが後年、スポーツ関係組織の役職に就くのは珍しくないが、若くしてJOCや各競技団体の職員となり、競技力向上やスポーツ、オリンピック運動の普及発展の実務に直接携わった例はほとんどないのではないか。自ら考える姿勢と能力を持つトップアスリートならでは、理論派メダリストならではの経験や視点は、実務の中でもさまざまな形で生きたに違いない。
どの競技であれ、トップ選手は小さいころからエリート的に育てられ、名門校や強豪チームの中で手厚い指導を受けつつ頂点へ上り詰めていくことが多い。それは当然のことではあろうが、一方では、ひとつの世界、ひとつの価値観の中でのみ、型通りに過ごしていくというマイナス面もある。スポーツに限らず、どの分野でも、型にはまらない、柔軟で新鮮な発想や思考が発展には欠かせないのだから、その意味でも宮部行範さんには多くを期待できたのではないか。JOCをはじめとする競技組織の現場で、豊富な経験と自由な発想を持つ元トップアスリートが活躍する先例としても、その存在は貴重だった。故人のご冥福を祈るとともに、後に続いてオリンピック運動推進の現場で活躍しようという後輩の出現を待ちたい。
もうひとつ、かつての名選手に関する残念なニュースがあった。国際オリンピック委員会(IOC)のフランク・フレデリクス委員に関して、リオデジャネイロ五輪招致をめぐる不正な金銭授受の疑いがあるとされている件である。フレデリクス委員は疑惑を否定しているが、2024年夏季大会の評価委員長を辞任した。かつてオリンピックの陸上短距離で銀メダル4個を獲得した名選手であり、スポーツ界での信頼も厚かっただけに、その傑出した人物が不正疑惑の渦中にあるというのはなおさら衝撃的だ。
過去の取材の中で何より印象的だったのは、独自の知性、自分なりの確かな競技哲学をしっかりと持っていることだった。荒々しいタイプが多く、また薬物使用問題もつきまとうトップスプリンターの世界で、有数の記録を持つ大選手がそうした知的な姿を見せていたのは、競技のイメージアップにも、また母国であるナミビアの知名度を高めるためにも大きな貢献をしていたと思う。現役引退後にIOCメンバーとなってからも、将来のトップリーダーとしての期待が大きかっただけに、ショックはより深い。疑惑解明がどう進むかはわからないが、それはそれとして、より幅広い人材、型にはまらない多彩な人材が国際スポーツ界に必要なのは間違いない。IOCはぜひこれからも、トップアスリート、メダリストの中からそうした人材を発掘、育成してもらいたい。オリンピックが岐路に立っているいまこそ、スポーツやオリンピックに対する幅広いビジョンを持ち、それを実現していける知性派スポーツ人が求められているのだ。
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