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vol.711-1(2017年4月6日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−52
  巨大パワーはどう使うべきか

 オリンピック大会に、都市再開発などの社会的課題をあれこれ背負わせるのには賛成しない。オリンピック・パラリンピックはスポーツの祭典であり、そこから離れ過ぎるからこそ、さまざまなゆがみが生まれるのだ。ただし、大会開催によって種々の課題が解決に向かうなら、それに越したことはない。人々の暮らしに役立つことであれば、他のイベントにはない巨大パワーを大いに利用してかまわないと思う。
 何よりもまずそのパワーを生かしたいところは、物心すべての面でバリアフリーな街づくりを進めて、誰もが暮らしやすい環境を整えることだろう。真の共生社会を実現するための環境づくりは、掛け声ばかりでなかなか進まないものだが、オリンピック・パラリンピック開催となれば、それを大きなきっかけとも強力な推進力ともすることができる。競技場新設や大会運営に巨費をつぎ込むやり方には強い反発があっても、誰もが住みやすい街づくりになら異論も少ないはずだ。
 そうした観点からすれば、「たばこのないオリンピック」によってスモーク・フリー社会を実現していくことにも大きな意味がある。近年のオリンピック・パラリンピックはどの大会も喫煙を厳しく規制しており、2020年東京大会も当然、それと同等か、あるいはそれ以上の形で臨まねばならない。受動喫煙の弊害はいまさら論じるまでもないほど明確であり、オリンピック開催によって世界最低レベルと評される日本の対策をぜひとも前に進めたいところだ。
 なのに、敷地内禁煙や屋内禁煙を罰則付きで徹底しようとする厚生労働省の法整備に対して、自民党などから強い反対があり、厳しい規制の実現はまだ見えてきていない。受動喫煙による健康被害は明らかなのに、これはいったいどうしたことか。
 もちろん2020年でも競技場や関係施設は全面禁煙になるだろうが、それだけでは一時的、部分的なものにしかならない。「たばこのないオリンピック」は、それを契機に受動喫煙被害のない社会を実現していくのが真の目的であろう。にもかかわらず、ごく常識的に思える厚労省の法整備を、「小さな飲食店が立ち行かなくなる」などとして骨抜きにしようとすることには強い疑問を感じる。他にも、「たばこは文化だ」などとしてスモーク・フリー社会に反対する論をよく見かけるが、そもそも、喫煙する権利と、受動喫煙による健康被害を防ぐこととを同列に論じること自体が間違っている。
 筆者もかつては喫煙者だったので、その気持ちもわかるのだが、もはや他人に少しでも影響を与える吸い方は許されない時代なのだということを、誰もが胆に銘じなければならないのは明白ではないか。2020年大会を開く東京の街、また日本の国が受動喫煙防止に十分な配慮をしていないとなれば、国際的な批判が高まるのは必至だ。禁煙ひとつ徹底できないのでは、「おもてなし」どころではないだろう。
 一方、同様に社会的課題に関する事柄であっても、ゴルフ会場をめぐる女性差別問題には、別の意味で違和感を覚えた。オリンピックがあらゆる差別に反対する姿勢を示しているのは大いに意義深いことであり、名門ゴルフクラブが正会員資格を男性に限定していたのもどうかとは思うが、だからといって、私的なクラブであれば一般市民に大きな影響を及ぼすものではない。それに対し、強く規約の改定を迫るというやり方はどうなのか。オリンピックを開くのにふさわしくないというのなら、別の会場に変えればいいだけの話ではないか。確かに差別反対は正義に違いないが、そうだとしても、一般に強い影響を与えるわけでもない私的な組織にまでそのことを強く求める必要があるのだろうか。重ねて言うが、それなら会場を別のところに移せばいいのである。オリンピックといえば何でもまかり通ると考えているのなら、それは傲慢と受け取られても仕方がない。
 オリンピックが持つ強大なパワーは、多くの人々のためになることに使いたい。それこそがオリンピック開催の意義というものだ。

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