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vol.739-1(2017年12月16日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−70
 何も伝わってこない

   2020東京大会のマスコットの最終候補が発表され、小学生による選考投票も始まった。オリンピック、パラリンピックそれぞれのマスコットキャラクターが対になった最終候補作は三つ。全国の小学生の投票によって選ぶという方式はなかなかのアイディアだ。ただ、肝心の候補作品に、どれも強いインパクトがないのはどうしたことか。
 ア、イ、ウの三作品は、それぞれ、市松模様や桜をモチーフにしたり、招き猫やキツネ、神社の狛犬、またキツネとタヌキをモデルにしたりしているというが、どれも似たようなイメージで、よくあるアニメキャラクターという感じだ。さっそく「あれに似ている」「これにそっくり」と、既成のキャラクターとの類似を指摘する声が出てきているのも無理はない。いまや国際的に日本文化の象徴となった観もあるアニメだが、そうであっても、大々的に募集して選び抜いた最終候補が、どれも既視感のあるアニメキャラクター風というのにはいささか寂しい思いがする。いくらアニメやマンガが世界的に評価が高いといっても、日本文化はそればかりではないだろう。
 今回のマスコット選びのニュースを見て、すぐに思い出したのは1992年のバルセロナ夏季大会のことだった。大会マスコットはコビー。地元デザイナーの手になる作品は、犬を大胆にデフォルメしたもので、当初は「なんだ、これは」と思ったものだったが、時間がたつにつれて「悪くない」と感じるようになった。地元でも最初は不評だったが、しだいに評価が上がっていったという。それはやはり、スペインならではのセンス、スペインならではの感覚をそこに込めようという作者の明確な意図があり、それを国民や各国のファンがちゃんと理解したからに違いない。だからこそ、いまでは、最も印象に残ったオリンピックマスコットのひとつといわれているのである。
 では、今回の候補先はどうだろうか。何か強く伝わってくるものはあるだろうか。伝統も現在も踏まえたうえでの、日本ならではのセンスや感覚が込められたものになっているだろうか。あるいは、東京2020の大会理念がそこから伝わってくるだろうか。残念ながら、そうは思えない。ありきたりのアニメキャラ風にアレンジしたものばかりで、インパクトにも芸術性にも乏しいように感じる。もちろん年代や感覚によって受け取り方は違うだろうが、もっと印象の強い作品を期待していたのに、これではいささか拍子抜けだと感じている人も少なくないはずだ。
 近年のオリンピックマスコットには、全体的な評価はともかく、それぞれそこに込められたメッセージがあったように思う。たとえば昨年のリオのものは、ブラジルの文化の多様性を示しているとされていた。今回の候補作からは、そうしたメッセージ性は感じられない。大会後も長く人々の記憶に残るマスコットは少ないが、今回の作品も、どれが選ばれたとしても、長く記憶されるものとはなりそうもない。大会が終われば、似たようなアニメキャラ群の中に埋没して、あっという間に忘れ去られるのではないか。
 これは東京2020の現状をある意味で象徴しているようにも思える。準備はそれなりに進んでいるし、実際、施設整備も大会運営も最終的にはそつなく行われるに違いない。国内の盛り上がりも相当なものになるだろう。ただ、この新たな変革の時代の中で、どのようなオリンピック大会を開こうとしているのかという、具体的で明確な理念や哲学は見えてきていない。オリンピックというまたとない機会を通じて、都民、国民のためにどんなレガシーを残すのか、また、オリンピック開催によって世界にどんなメッセージを伝えようとしているのかという方向性も打ち出せていない。今回の候補作は、そんな、どこか物足りない状況をそのまま投影しているように思える。
 小学生の投票という形によって、子どもたちにオリンピックのことを具体的に考えさせる機会をつくったのはよかった。が、この候補作からオリンピックを開く意味や意義を見出せるだろうか。ただの人気投票になっては、せっかくのアイディアも生きてはこないように思う。

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